第27話 由香、何か心配事か? 砲撃援護、上手くいきそうなのなのだ

――天原衛


 マモノは、するどい嗅覚で敵の接近を察知している。

 そんなマモノに近づくにはどうしたらいい?

 対策は簡単だ。

 身体と服が周囲の草や土と同じ匂いを発するようにすればいい。

 今朝、俺は山間を流れる沢に行って、迷彩服とギリースーツを着たまま沢の底の川泥を取ってきた。

 当然服は沢の水を被り濡れる。

 これを陰干ししてやれば、沢の水に含まれる雑菌が繁殖して迷彩服とギリースーツは沢の水やコケと同じ匂いを発するようになる。

 さらに取ってきた川泥を身体に塗る。

 上半身にも下半身にも、顔にも目以外の全ての個所に泥を塗る。

 かつて映画でシュワルツェネッガーは、プレデターの赤外線カメラから身を隠すために身体に泥を塗ったが、俺は山の中で異物となる人の匂いを消すために泥を塗る。

 こうして隠密行動のための準備を整えて俺は一人山の中に分け入った。

 荷物は軽い。

 俺が持っているのは、連絡と砲撃隊に敵の位置情報を伝えるためのタブレット端末と双眼鏡、そして護身用の山刀1本だけだ。

 準備は十分、しかし油断は禁物だ。

 隠密行動の基本は敵の風下に立つこと。

 風下に立てば、匂いもわずかな物音も相手に悟られにくくなる。

 風は基本、山の頂上から麓に吹き降ろすので山には登らず山間を流れる麓の沢沿いに、マモノの姿を探す。

 周囲を警戒することはもちろんだが、常に空気の流れを意識して行動する。

 沢沿いは二つの山から吹き降ろされる風がちょうどぶつかるところなので、あまり強い風が吹くことはないが気圧や天気によって容易に山の天気や風向きは変わる。

 俺は風向きを意識して、沢沿いと二つの山の麓をジグザグと往復して常に自分が風下のポジションを取れるように移動し続ける。

 マモノが沢沿いにずっと留まっている保証はないが、見つからないかもしれないという心配はあまりしていない。

 野生動物は外敵の存在を警戒してグルグルと自分の縄張りをパトロールする習性がある。

 水を飲む場所も縄張りの中の1か所か2か所、特定の場所に決めることが多いので水飲み場を見つけて待ち伏せすればいつかは獲物に巡り合える。

 その場所もおおよその見当はついている。

 恵子達が襲われた獣道をさらに進んだ終点。

 獣道と沢が交差する地点がきっとマモノの水飲み場だ。

 風下を意識しながら慎重に進んだので時間はかかったが、2時間ほどかけて俺は目的の場所に到着した。


(まっ、普通は開けた場所を選ぶよな)


 当たり前の話だが、川幅というのは一定ではない。

 特に山間を流れる沢は地形に応じて川幅が広くなったり狭くなったりするのが普通だ。

 俺がたどり着いたのは流れ着いた石が積み上がって河原となり、川幅が周囲よりも広くなっている場所だった。

 川幅も腰まで浸かるくらい深く。

 水量が多いのでクマが水を飲むにはもってこいの場所だった。

 幸か不幸か、マモノの姿は見当たらないが川の両岸にヒグマのものと思われる足跡がいくつも残っている。

 間違いない、ここがマモノの給水所。

 恵子達を襲ったホウコウハはきっとここから撃たれたんだ。


『マモノの水飲み場を見つけました。これより待ち伏せを行います』


 俺は連絡用のチャットソフトで、ここで待ち伏せをすることを本部に報告する。

 トランシーバー型の無線機を使えると言われたが、音を出す機械の貸出は謹んで辞退させてもらった。

 静かな山奥で声をあげたら、どんな小声だろうとマモノに聞かれる可能性がある。

 俺は水場から少し離れた藪の中で寝そべりマモノがやって来るのを待ち構える。

 迷彩服とギリースーツが俺の姿を覆い隠し、俺は山と一体化する。

 さあ根競べだ。

 悪いが俺は、待つことについては世界で一番慣れている。



――牙門十字


 狙撃任務は二人一組。

 狙撃手と、観測手でチームを組んでやるのが基本だ。

 狙撃手は文字通り銃で敵を狙撃するのが役目。

 観測手は、狙撃手は狙撃に集中できるよう、周辺警戒、着弾観測、無線連絡といった作戦に必要な狙撃以外の全ての雑務を担当するのが役目だ。

 10年前。

 俺達は、俺が狙撃手、衛が観測手でバディを組み、スナイパーチームと呼ばれ持て囃されていた。

 贔屓目抜きに見ても俺達は強かったと思う。

 山岳戦限定とはいえ、入隊二年目の新兵が『ライチョウ撃ち』という特殊な戦術を駆使して演習でキルスコアの山を積み上げたのだ。

 俺達の強さは自衛隊最強の特殊作戦群にも通じるほどで、山岳戦という地の利があったとはいえ遠征に来た特殊作戦群を撤退に追いやったときは勲章ものだと基地司令に褒められたのを覚えている。

 ただし、今思えば正直俺はオマケだった。

 俺は射撃が得意でオンボロの64式小銃で800メートル先のターゲットを打ち抜くことが出来たが、同じことが出来る奴は自衛隊の中にも、北部方面隊の中にも何人も居たと思う。

 俺達の強さの根幹は、衛の山と狩りに関する知識によるところが圧倒的に大きかった。

 敵に発見されずに移動する技術、山中に隠れている敵を探し出す技術、射線の通るポイントを素早く探し出す天性の勘。

 俺達の強さは、衛の特異な能力によって引き出されたもので、俺はさながら優秀なキャッチャーのリードのおかげで好投している新人ピッチャーに過ぎなかった。

 あれから十年。

 自衛官としてキャリアを積みあの頃より強くなったからこそ、衛の強さを改めて感じることが出来る。

 そして嬉しいことに、衛の強さは衰えるどころか、さらに研ぎ澄まされていた。

 何の心配もいらない。

 衛が動いた以上、必ずマモノの正体をつかみ連絡を送って来る。


「待ち伏せする位置が決まったみたいなんで砲を動かします。牙門さん、砲の牽引をお願いします。私は衛君の軽トラで砲弾を運ぶので、先導をお願いしますね」

「恵子さん、悪いけど助手席に乗ってくれ。砲を置くポイントは決めてるんだが、山道の途中で車の入れない場所があったら力を借りたい」

「いいわよ、任された」


 快く俺の頼みを引き受けてくれた天原妹は、助手席に乗り込んで律儀にシートベルトを締める。

 砲撃ポイントは、衛が見つけたマモノの水飲み場から、山頂を挟んで反対側、山の八合目にある大きく開けたポイントだ。


「ここ私が、デンコの自爆に巻き込まれたところじゃない」

「砲を設置するのに邪魔な藪や小石が全て吹き飛ばされて平たくなってるからな。榴弾砲を置くのにここよりいい場所は無い」

「まったくマジン使いが荒いわね。しかし、砲と砲弾の運搬をするのがジムニーと軽トラとは。これ外国の軍人に見られたら笑われるんじゃない」

「狭い林道に入れる車両が外に無かったんだよ」


 砲の設置場所について衛や天原妹の意見を聞いた結果、官給品のハイラックスでは俺が榴弾砲を置きたい場所まで辿りつけないと太鼓判を押されてしまった。

 ハイラックスは中東の砂漠地帯で使うなら最強のオフロードカーだが、天原家の裏山に限らず日本の山は狭い道が多いのでどうしても使えない場面が出てきてしまう。

 いままでは、装備が個人で携帯可能なものばかりだったので車が入れない道は下車して徒歩で移動すればよかったが、今回は何としても105mm榴弾砲を山の中にある指定のポイントまで移動させなければならない。

 しかし、幸いにして日本特有の狭い山道で行動できる車両が2台、ここに存在した。

 中島課長が普段の足として使っているジムニー(正確ににはジムニー・シエラ)と、衛が農作業で使っている軽トラだ。

 検討の結果、エンジンパワーのあるジムニーが砲の牽引を、荷台のある軽トラで砲弾の運搬を行うことで砲の輸送問題は解決した。


「はぁぁぁぁ~」

「由香、何か心配事か? 砲撃援護、上手くいきそうなのなのだ」


 ジムニーの後ろに繋がれた105mm砲を見て深々とため息を吐く中島課長に、カゲトラが羽をパタパタさせながら質問する。


「いや、作戦に不満は無いんですが今後も対策課で榴弾砲の運用続けるなら私のジムニー、砲の運搬用に取られちゃいそうだなと思って」


 ため息の理由のあまりのくだらなさに、俺もカゲトラもズッコケそうになった。


「何言ってるんのだッ! あのジムニーは官給品なんだから作戦に使うならそっちに回すのが当たり前なのだ。だいたい、そんなにジムニー乗り回したいなら自分の金で新しいのを買えばいいのだ」

「新しいジムニーは今から買おうとしたら、納車まで一年以上かかるんですよ」


 そんな小さなトラブルを挟みつつ榴弾砲の輸送隊は山の八合目に向けて出発する。

 日本の誇る2大オフロードカーの性能は大したもので、積載重量ギリギリまでエンジンに負荷をかけているので進む速度は亀のごとき遅さだが、ハイラックスでは入れなかった狭い林道に分け入り、道なき道を踏破して前へ前へと進んでいく。

 途中、天原妹に木の根っこを引っこ抜いてもらったり、岩を砕いたりしてもらったが、3時間ほどかけて俺達は山の八合目にある設営ポイントにたどり着いた。


「時間はたっぷりある、マニュアルを確認しながら確実に設置するんだ」


 自衛隊の砲兵は、敵の反撃を避けるために設営・砲撃・撤収の一連作業を素早く完了させるために毎日ストップウォッチ片手に何十回も反復練習をこなしているらしいが、素人である俺達にそんなプロの仕事は出来ない。

 ただ……。


『砲を撃つだけなら誰でもできる』


 俺が榴弾砲を扱うためのアドバイスを元同僚に求めたときに返ってきた言葉を信じて、俺はただ一発確実に撃つための準備をすすめるのだった。

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