第5話 シカの肝臓はすげー美味いから楽しみにしとけよ
――天原衛
俺は急いで家に戻り狩りのための準備を始める。
狩りに必要な装備。水、携帯食、ヘッドライト、軍手、ロープといった細々とした道具はすぐに持ち出せるようにザックにまとめている。
あとは、トドメを刺すために使う槍と、山刀を腰に差し、山靴を履けば準備完了だ。
槍は樫の棒の先に自衛隊でも採用されている銃剣を取り付けボルトで固定している。
銃刀法に思いっきり違反した大振りの刃物だが、人気のない山奥で持ち歩く分には咎められることはない。
「狩りにそんな重装備が必要なんて、やっぱり普通の人は大変ね」
コクエンは魔法で靴を山歩きに適した山靴に変えた以外は、特に服装に変更は無い。
袖が枝に引っかかりそうな気もするのだが、彼女の服は魔法で作り出した炎の衣なのでその心配はないらしい。
「お前もナイフ持ってくか?」
「必要ない。私には魔法があるから」
コクエンは指先からポンと小さな火を灯す。
コクエンは、炎とゴーストの魔法を使いこなす強力なマジンだ。
人間の武器を持ったとしてもなんの役にも立たないだろう。
「魔力切れが怖いから水と食料は持っていくわ。あと獲物を長時間拘束する魔法は使えないからロープも」
彼女の意見を聞いて、小ぶりのザックに必要な道具を詰め込んでいく。
「それじゃ、行くか」
「トウモロコシ泥棒見つかるの?」
「見つかる、見つからないは運だよ。ただ、相手は多分親離れしたばかりの若いシカだ。経験も浅いし罠の見分け方も多分知らない」
俺とコクエンは、シカの足跡を追って山に登り始めた。
「足跡を追うって、けっこう難しいわね」
新しい足跡なので湿った土の上についた足跡をたどるのはさほど難しくない。
しかし、山の地形は湿った土だけで作られているわけではない。
太い木の根っこの上には足跡は残らないし、落ち葉の山、岩、野草の群生地とバラエティに富んだ自然が山の中に存在する。
そういった足跡の残りにくい場所で、足跡を見つけるのはなかなか大変な作業だ。
落ち葉と落ち葉の間にある隙間や、木の根の周辺を丹念に観察してシカが異動した痕跡を探していく。
「足跡見つけたぞ。どうやらトウモロコシ泥棒は、山を登らず稜線沿いに山の反対側を目指すつもりみたいだ」
俺は太い木の幹の周りをグルグルまわって見つけた足跡の角度から、シカの行先を推測する。
「なんで進路を変えたことが判るのよ?」
「足跡の角度見ればわかるだろさっきまでは山の頂上目指して真っすぐ上に昇っていったのに、ここで足跡の角度が90度近く変わってる。あと山の頂上付近は傾斜がきついから動物は好んで昇ったりしないんだ」
「確かに、シカが頂上の景色を楽しむとか想像つかないわね」
だから俺も罠は山を中腹付近に仕掛けることが多い。
食べられる実をつける木の根元や、茂みの中に罠を仕掛けて獲物がかかっていないか定期的に見回りをしている。
「しかし、お前もなかなかタフだな」
俺にとって、周辺の山岳地帯は勝手知ったる自分の庭なので歩き回っても大して疲れたりしないが、コクエンは息一つ切らさずに俺についてくる。
「私も山歩きには慣れているのよ。言ったでしょニビルではマモノハンターをやっていたって」
なるほど、ハンターを名乗るくらいだから、マモノを追って山を歩き回ることは日常茶飯事だったに違ない。
稜線沿いを歩き始めて一時間くらい、いやもっと短かったかもしれない。
「すごい……本当にいた……」
獲物は俺の見立て通り若いオスジカだった。
ワイヤー製のくくり罠に足をとられ動けなくなった若いオスジカが、近づいてきた俺達を見てするどいいななき声で威嚇してくる。
「さて、どうしたもんかねえ獲物はかかったばかりでまだ元気いっぱいだぞ」
不用意に近づけば激しい抵抗にあって怪我をすることになる。
「私が魔法で拘束しようか?」
「出来るのか?」
「相手はマモノじゃなくて普通の動物だから多分大丈夫。念のため、オモイイシに聞いてみるか。№39592、正面に見える罠にかかった動物について判ることを教えて」
『指定された生命体の情報について回答します。生体属性:炭素生命体。学名:不明、新種です。属性:獣。推定体長1.5メートル、推定体重50キロ。推定レベル7』
「レベルは俺より上か、やっぱ野生動物の方が人間よりパワーあるんだな」
「衛さんのレベルは10に更新されてるわよ。息一つ切らさず山中を歩き回って、罠猟に長けた人のレベルが一般男性と同じわけないじゃない」
ほう、俺の方があのオスジカよりレベルが上なのか、恵子の言った通り対象の行動を見てオモイイシがレベルを更新していくという話は嘘ではないらしい。
「それじゃ、拘束をお願いするか。出来れば火は使わないで欲しい」
「なら、ジッタイカがいいわね」
コクエンの右腕が黒い光に包まれる。
おそらく彼女が言っていたもう一つの能力、ゴーストの魔法を使おうとしているのだろう。
「大人しくしなさい」
ゴースト魔法≪ジッタイカ≫
10メートル近い距離があるにも関わらず、シカのノド元がボコリとへこみシカの頭が下から持ち上げられる。
ポルターガイスト現象という言葉を聞いたことがある。家の中の家具やぬいぐるみを目に見えない幽霊が無秩序に動かすことで、物が部屋中を飛び回っているように見える現象のことで、この現象をテーマにしたホラー映画が作られたこともある。
どうやらコクエンが使えるゴーストの魔法でそのポルターガイスト現象を自由に引き起こすことが出来るみたいだ。
頭を持ち上げられたシカの前足が地面から離れる。
先ほど罠にかかったシカは元気なうちは激しく抵抗すると言ったが、それは残り3本の足で地面を蹴り体重移動をすることが出来るかから可能な抵抗だ。
こうやって、前足が地面から離れてしまえばシカはむなしく空を蹴ることしか出来なくなる。
「衛さん、トドメをッ!」
「応ッ!!」
俺はバタバタと空を蹴り続けるシカの心臓を槍で突き刺した。
間髪入れずに刃を返すとシカの心臓からまるで噴水のように血が噴き出してくる。
おそらく大量出血によるショックで即死したのだろう、気が付けばトウモロコシ泥棒はもう動かなくなっていた。
「一撃で心臓を貫くなんてやるじゃない、衛さんのレベル、10よりも上って考えた方がよさそうね」
「そんなことはどうでもいいから獲物の解体手伝え。ザックの中に袋があるからそれに内臓入れるぞ」
獲物をしとめたら狩りは終わり。
そういう誤解をしている人は多いが、狩人の技術が試される本番はむしろ獲物をしとめた後の方が多い。
近くに川があれば川の水に獲物を浸して血抜きをしたいところだが、近くに沢がないので家に持ち帰って吊るして血抜きをする。
ただし、内臓は体温の残りですぐに痛んでしまうので急いで取り出さなくてはならない。
俺は、コクエンに袋を出してもらうとシカの腹を掻っ捌いて内臓の取り出しを始める。
最近は長時間冷やし続けることが出来る保冷剤があるので、保冷剤と一緒に袋に入れておけば冷蔵庫に入れるまで内臓が体温で痛むのを防ぐことが出来る。
行きはよいよい、帰りは恐いだ。
コクエンは内臓と保冷材の入った袋を担ぎ、俺はロープで縛ったしかの本体を引きずりながら今来た道を戻っていく。
「今日は助かったぜ、普段は両方一人で運んでたからな」
「でも、今日お肉食べるのは無理そうね。内臓は……持ち帰るからにはやっぱり食べるの?」
「食べる、食べる、シカの肝臓はすげー美味いから楽しみにしとけよ」
新鮮な肝臓は生でも食える最高に美味い部位のひとつだ。
内臓は冷やすために冷蔵庫にいれ、シカの本体は吊るして頸動脈を切り血抜きする。
家の前でむせ返るような血の匂いが立ち込める。
都会暮らしのお嬢さんなら泣き出しそうな光景だが、コクエンは慣れているのかケロリとした顔で手伝ってくれた。
「動物を解体した経験は?」
「私はマモノハンターだったから無いわね。でも、なんか懐かしい感じするかも……」
懐かしい感じか。
俺の双子の妹、天原恵子はオントネーで暮らしていたころブーブー言いながらも爺ちゃんが捕まえた獲物の解体を手伝っていた。
彼女が、本当に天原恵子なら……その記憶がうっすらと残っているのかもしれない。
「まあ、喜べ今日はごちそうだぞ」
肝臓は軽く焼いてソテーに、腸の部分は冷水で血を洗い流したあとに味噌煮込みにする。
シカは内臓だけでも10キロ以上の肉が取れる。
一度に食べきるのは無理なので、今日食べきれない分は冷凍庫で凍らせていろいろ工夫しながら食べていくことになる。
「肝臓のソテーおいしいいッ!!」
「材料が新鮮だから塩コショウだけでもいけるだろ」
「本当に美味しい。地球の生活も悪くないわね。この世界の人はみんなこんな美味しいものを食べてるの?」
「いや、食ってないと思うぞ」
他の人間も美味いモノを食っていると思うが、シカの内臓を食う機会があるのは狩猟をやってる極一部の人間だけだ。
「確かにみんな人間がみんな猟で食料を得ていたら山から動物が居なくなっちゃうわね。じゃあ、地球にいる人達の大半はどんな暮らしをしているのよ?」
「ニビル人がどんな暮らししてるか知らないが、地球人の大半は町とか集落とかそういうところで集団生活してる」
「そうなんだ。なら、人の暮らしは地球もニビルもあまり変わらないかもしれないわね」
俺は滅多に見ないテレビのリモコンに手を伸ばす。
テレビを付けるとテレビのバラエティ番組で街を歩く人にアンケートを取っている場面が映し出された。
「なにこれ? なにこれ? 建物が全部石で作られてる。」
テレビで映された町の様子にコクエンの視線は釘付けになる。
「これが地球の街だよ。お前は運悪く、人のいない山奥に転移して来たけど地球人の大半はこういう街で暮らしてるんだ」
「そう考えると私が、衛さんに見つけてもらえたのって奇跡ね」
全くだ。
コクエンとデンコが戦っていたのは普段は人が全く通らないド田舎の山奥。
最悪助けが来ないで衰弱死してしまう可能性は決して低くなかっただろう。
「しかし、地球の街って大きいわね。ニビルではクサリクがこんなにたくさん住んでる街なんて考えられないわ」
「地球の方がニビルより文明が進んでるのかもな?」
街の大きさや、人の数は文明のレベルが高いほど多くなる。
もし、ニビルが異世界転生小説によくある文明レベルが中世の世界なら数十万単位の人が住む街は存在しないだろう。
「ニビルの場合、マモノに町を破壊される危険があることと、クサリク以外の知的生命体が居て領土紛争が絶えないから一つの種が大きな町を作るのは難しいのよ」
「ちょっと待てッ!? ニビルには人間以外の知的生命体がいるのかッ!?」
「そうよ、クサリクはサルが進化して文明を持った知的生命体だけど、ニビルには鳥から進化した種族や、猫から進化して文明を持った種族がいるわ」
コクエンの話だと、ニビルに人間と同種と思われるクサリク以外に、6種類。文明を持つ知的生命体が存在するらしい。
プラスして町一つ破壊すことも簡単にやってのけるマモノが、その辺を徘徊しているとなれば東京や札幌みたいな町を作るのはムリゲーと言われてもしかたない。
「ニビルがどんなところなのかすごく興味があるが、とりあえずコクエンの今後どうするかだよな。畑や狩り手伝ってくれるなら、ずっとこの家にいてくれてもいいけど」
「この家で暮らすのは構わないけど、急いて片づけなきゃいけない仕事があるわ。今日シカ狩りを手伝っているときに思い出したんだけど、マモノを退治しないと」
「マモノ退治って、地球にマモノはいないぞ?」
「いるのよ。私が取り逃がしたデンコ。あいつはまだ生きてるわ」
「んなッ!?」
驚きのあまり変な声が出た。
コクエンと激闘を繰り広げたあのサーベルタイガーまだ生きてるっていうのか?
「あいつ自爆して死んだんじゃないのか」
「マモノは、自爆はしても自殺はしないの。考え方が良くも悪くも野生動物と同じだから、相手を殺して自分も死ぬなんて無意味な考え方はしない。だからあの爆発は絶体絶命の窮地から逃げるための隙を作るための策だったと考える方が自然よ」
「って、ことは昨日コクエンが戦ったデンコは……」
「重傷は負っているけどあの場は逃げおおせたと思う。少なくとも死体を確認するまでは安心できない」
昨日デンコが使っていた電撃攻撃のことを思い出す。
トラと同等、いやそれ以上の身体能力を持っているうえ電撃をという飛び道具を持ったバケモノが街に降りるようなことになれば。
「マズいな、警察や猟友会じゃ勝てないぞ」
もしデンコが街に降りたら退治するまで何人犠牲者が出るか想像もつかない大惨事になる。
「というわけで、衛さんには悪いけど明日からデンコを探すのに協力してくれない。発見するためには、周辺の地形には詳しい衛さんの協力が必要なの」
「協力するしかないな、怪我が重くて野垂れ死にしてることを祈るぜ」
「ほんと、それな……戦わずに済むならそれが一番んなんだけど」
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