『炎龍』

片喰藤火

炎龍



『炎龍』


 意識が灯ると視界が開ける。 

 すると邪気が無く純真な笑顔をした娘の顔が其処にある。

 この娘が我を点けたのだ。


 この娘は独り言を言う。

 独り言と言うのは間違いかも知れない。

 我がそれに答えているからだ。残念ながら我の声は聞こえていない様子だが。

 ならば我が会話をしていると思っていても、娘からしたらやはり独り言であろう。


 この娘が何者なのかは分からない。

 かく言う我も、我が何なのか……自分でも分かってはいない。

 ただ、意識が灯った瞬間から言葉は理解できたし、知識は相応にあった。不可思議な事だ。


 娘の独り言から読み解いていくうちに、ぽつぽつと娘の事や世の事、我の事も分かって来た。

 娘の話に因ると、我は洋燈(ランプ)のようだ。

 我は娘の母君の形見であり、舶来品だと言う。

 我が外国の御伽噺に出て来る洋燈の精霊なのか、洋燈に取り憑いた幽霊なのか、洋燈の付喪神なのかは分からないが、

娘が我を点けた時、娘の瞳に写り込む我の姿は、行燈でも提灯でもなく洋燈なのだから、それが我なのだろう。

 しかし洋燈に思考や視界があること自体、この世の道理に反している。

 我以外の物に話しかけても意思疎通など出来ない。物は意志を持たないのだ。


 そもそも娘が我を点けたのは、夜に画を描く為である。

 昼間も描いているのかも知れないが、我の意識があるのは火が灯された時だけだ。


 描いているのは、この国の幻獣「龍」だと言う。

 筆は進んでいない様子だ。

「そうやって直ぐに咥えるな」

 はしたないから思わず注意した。我にはそれがはしたないと言う感覚があるらしい。

 この娘は作業が滞ると、煙管のように小筆の柄を咥えるのが癖なのだ。

 他に気になるのは着物の着方だ。きちんと着て欲しい。

 振袖も襟を抜いて着ているので、花魁の様な婀娜っぽさがあるかと言えば皆無だ。

 背伸びしているわけでもないだろうが、返って痛々しい。

 

 娘が咥えていた筆を硯の脇に置いて伸びをする。どうやら今日はここで終えるらしい。

 娘は我に近づいて「おやすみ」と言って我をふっと吹き消す。

 意識が途切れる瞬間、墨の匂いが漂ったように感じた。


 次に意識が灯ると、娘は篆刻をしていた。雅号の落款を作っているのだと言う。

 娘は炎墨と名乗る様だ。

「女だから才が無いってサ」

 娘はつまらなそうに彫りながらつぶやいた。

 才能の良し悪しは我には分からない。画を見る限りではとても上手いように思う。

 しかし今まで印を作らずに画を描いてきたのだろうか。

 雅号印を押すこの作品は特別なのだろうか。だとしたら画を描き終えてからの方が良いと思うが。

「才があろうが無かろうが、男か女かは関係ない。鍛錬するだけだろう」

「そーネェ……」

 娘が我の言葉にぼんやりと反応した時に、娘の目が見開いた。

「ちょっとあんた」

 理が捻じ曲がったのか。聞こえてないはずの我の声が聞こえた様だ。

 これはあってはならない事だ。と、何故か思ってしまい、口を噤む。尤も噤む口など無いのだが。

 娘が我を揺らしたりするので危ない。

 洋燈の燃料は油より燃えやすく明るい。零れて燃え移ったりしたら大変だ。

「やめろ。火事になる!」

「――!うわー凄い。どこから声が出てるのかナ」

 我が話せると分かると矢継ぎ早に質問をされて少々ウンザリした。

 我の事を質問をされても答えようがない。我自身が知らないのだから。

 仕方なく今まで娘が喋っていた独り言は全部聞いていたと言う事を伝えた。

 頭を抱えて恥ずかしがる素振りは見せたが、娘は喜んでいる。


 家にはあまり喋れる人が居ないらしい。だから夜に独り言を言っていたそうだ。

 家は裕福な商家で、娘が画を描く事も許しているし、画材にも不自由していない。その分囲われているように育てられ孤独だと言う。

 結局娘が一方的に話し、我が相槌を打っているだけのような会話なのだが、独り言をしている時より生き生きしていて良いと思った。


 娘が喋り疲れた後、思いついたように我を指さした。 

「烈火にしよう」

 何の事かと思ったら名前か。我を愛玩動物にでもしようと言うのか。

 我自身は名に劣る小さい火でしかないのだが、大層な名を付ける。

「いいの? 駄目なの?」

「構わない。そう呼べ」

 名の話題が出たので、我も娘の雅号の由来を聞いてみた。

「由来ねェ……。炎はさ、母様の命を奪ったものだけど、自由にゆらめいて、熱くて力強くて、なんか見惚れてたんだよネ」

「墨は?」

「うーん、父様から貰ったからかな」

 娘は歯切れ悪く答える。

 仲が悪いのかと問うたら、そうでもないと言う。

「アタシさ、お得意様の所に嫁がされるんだよ。愛だ恋だも知らないのに、おかしな話よね」

「父君を恨んでいるのか」

「まさか。恨んでないよ。先方の殿方は良い人だし。ただ……」

 言い淀んだ後につらそうに語ったのは画を止めろと言う事だった。

 娘は大切に育てられてはいるが、籠の鳥と言う奴で、自由を感じられるのは画を描いている時だけなのだ。

 画を描く事を嫁ぎ先もあまり良く思っていないとの事だ。 

「言葉遣いもサ、ちょっとやさぐれた感じで反抗してみても、なんの意味もなかった。画もこれで終わりにしなくちゃ」

 それから数日間は画を進めなかった。

 殆ど我と会話をするだけで夜を過ごす。

 だが結納の日目前になり、踏ん切りをつけたようだ。龍の画を完成させ、落款を押した。

「これで終いネ」

 娘はこの日の夜は我を消さなかった。

 会話は無い。壁に影がゆらめき、少し煤臭い静寂の時間が流れ、娘はそのまま眠り込んでしまった。


 明け方にけたたましく鐘が鳴り響いた。

 我は大声で叫んだ。

「起きろ!」

「何?」

 分からない。が、下人達が騒いでいた声を聞くと火事の様だ。

 直ぐに下女が娘の部屋に駆けつけて来て「外へ避難して下さい」と言うだけ言って一目散に逃げてしまった。

 それを聞くと娘が我の取っ手を掴んで一緒に逃げだした。

「馬鹿。邪魔になる。置いて行け」

「嫌だ」

 長い廊下を走り、角で家人とぶつかった。

「烈火!」

 我はぶつかった衝撃で娘の手から離れ、洋燈の硝子は砕け、火が床に広がった。

 娘はその火の中へ壊れた洋燈を取りに来た。

 何を考えている。逃げるんだ!

――!

 我の声が出ていない。この洋燈があったからこそ我の言葉は伝えられたのか。

 このままでは娘は焼け死んでしまう。

 母君を焼き殺した炎のように、我の火でそうなってしまったら我自身を許せぬ。

 火は大きくなり、娘を取り囲もうとしている。

 どうすればいい。どうしたら娘を救える。

 ふと我は娘の言葉を思い出した。「――炎はさ、母様の命を奪ったものだけど、自由にゆらめいて、熱くて力強くて、なんか見惚れてたんだよネ」

 自由にゆらめき、熱く、強く……。

 我は娘が描いた龍を思い浮かべ、強く念じた。すると周囲の火が我の意志に集まり、火の鱗が出来、うねる体躯から鋭い爪、巨大な顎から鋭い牙、頭に神々しい角が生えた。

 炎墨が描いた龍その物だ。

 我は天井を突き破り、力強い眼差しで娘を見下ろす。

「我は炎龍烈火。すべての炎を喰らいつくしてやろう」 

 我は燃え盛る炎全てを我の火とし、全てを空へ引っ張り上げる。

 邸を燃やす炎と融合した我の視界は一気に広がった。


 これが世界か……。


 明け方の薄暗い地平の彼方が煌々と輝いていた。

 空へ昇ると、我の身体が徐々に失われていく。

 燃やす物が無ければ、炎は生き続けることは出来ない。

 雲を越え、朝日の中へ突き進み、全てが光に包まれた時にフッと視界が途切れ、我は娘の足元で燻っている小さい火の視点になった。

「ああ……。無事か……」

「烈火!? 消えるな」

「炎墨よ……幸せに、な」

 我は燃え果てた墨になった。


 ――。

 あれから何年経ったのだろう。

 あの火事は放火だったらしい。でも犯人は捕まらなかった。

 父様に罰が当たったんじゃないかと思う。

 母様が死んでからは商売に打ち込んで、それが原因で商売敵から恨みを買われていたに違いない。

 でもそれが父様なりの現実逃避だったのかも知れない。

 アタシが画にのめり込んだ様に。

 幸い家が裕福であった事で実家の立て直しは早かった。

 結納は遅れたけれど、婚約解消の様な事にはならず、めでたく嫁いだ。


 嫁いでもアタシは画を止めなかった。

 洋燈と龍を生涯の画の主題として、小筆を咥えながら烈火の事を思い出す。

 旦那様に悪いと思いつつも。アタシは老いても、炎に恋焦がれているのかも知れない。



――終――

 



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『炎龍』 片喰藤火 @touka_katabami

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