王子様みたいな『自称』妹さんに、退院するまでめちゃくちゃ可愛がられてドキドキさせられてしまった話

すっぱすぎない黒酢サワー

第一話 目覚め


 とある大きな病院の一室。

 

 天気の良いその日、窓の外からは鳥の鳴き声や草木の擦れる音が聞こえる。



 はじめはか細い声で、それは徐々に大きくなりながら。

 

 朦朧とした意識の中で、誰かを呼ぶ声が聞こえた。



「――――」

 

 

 何かを心配するような女性の声が聞こえる。


 

「――にくん。――にくん」


「あにくん」


「あにくん。大丈夫かい」

 


 ひんやりとした何かを額に感じながら。


 気が付けばその声は、自分をのぞき込む少女の口元から聞こえた。


 吐息が当たるような距離。

 


「大丈夫そうだね。よかった」

 


 ほっとしたような少女の顔が見える。


 

「目は覚めたかな?」

 

 

 あまりにも近すぎる場所から聞こえていた声が、少し離れる。


 少女がベッドのわきの椅子に座った。



「熱でもあるのかと思ったけれど、そこまで暑くないね。うん。大丈夫」


 ――。


「どうしたんだい? きょろきょろと辺りを見回して」


 ――。


「え? 私は誰かって?」


 ――。


 少し悲しそうな声色の女の子。

 


「唯一の妹である私を――トウカを、忘れてしまったのかい?」



 困ったような様子で話す女の子。


 

「……本当に、忘れてしまったんだね」


 ――。


「ううん。ごめんね。あにくん。意地悪だったね」



 少しの沈黙。


 少女は意を決したように話を始めた。


 

「あにくんは、仕事の帰りに事故にあったんだ」


「……大きな交通事故だったんだよ」



 涙混じりに絞り出すような声を出す少女。


「も、もしかしたら、意識が戻らないかもと言われてね……」


 ――。

 

「う、ううん。大丈夫だよ。あにくんは優しいね」


 

 涙をにじませながらも、笑顔を見せる少女。

 

 

「でも、良かったよ。あにくんの意識が戻って」


「ここは病院だよ。あにくんは事故にあってから、丸一日以上寝ていたんだ」

 

 

 ――。


 

「あ、あにくん!? 急にどうしたの? 立ち上がったら危ないよ!」



 寝ていた体を起こそうとして、ベッドから落ちそうになったところを、少女に支えられる。


 体が当たったベッドから大きな音が鳴った。


 倒れた拍子に、少女の髪が自分の頬に当たるぐらいの距離まで近づく。


 焦ったような、心配するような声で少女が言う。

 


「あにくん。落ち着いて」



 まるで子供に教えるように、ゆっくりと話す少女。


 

「すぅーーはぁーー……。すぅぅぅーーーはぁぁぁぁーーーー……」



「一緒に深呼吸しよう。まずは落ち着いて。大丈夫。私がついてるから」


 

「すぅぅーーーはぁぁぁーーー……。すぅぅぅーーーはぁぁぁぁーーーー……」



 少女の吐息が頬に何度も当たる。


 

「落ち着いたかい?」


 ――。

 

「よし。一度ベッドに戻すよ。無理に力を入れないようにね」

 

「よいしょっと」


 

 少女の力を借りて、ベッドに戻る。

 


「ふう。びっくりしたかい?」


 

 ――。

 

「どうして体が動かないのかって? うん。お医者様が言うには、事故の後遺症がわずかに残っているそうだよ」


「一時的なものらしいから、しばらくしたら良くなるそうだけど。少しの間の我慢だね」


「大丈夫さ。私がついているからね。心配しないで何でも頼って欲しいな」


「何か欲しいものはあるかい? 食べたいものがあれば何でも言っておくれよ」

 


 少女がズレてしまった布団をかけなおす。


 ――。



「どうしてそんなにしてくれるのかって?」


「大事な大事な。二人だけの家族なんだ。当たり前だよ」


「あにくんだって、私が同じ目にあったら、きっとこうしてくれるだろう? わかっているさ」


 

 少女が自分の手に触れる。

 

 慈しむような優しい声で少女が話す。

 

 そよぐ風の音だけが聞こえる病室で、少女の声がとてもクリアに聞こえた。


 

「ねえ……。あにくん……」

 


 椅子から立ち上がった少女の顔が、再び近くに来る。


 自分の耳元で、囁くように自分に語り掛けるように、まるで告白するような少女の声。


 

「ごめんねあにくん。私は、実は少しだけ嬉しいんだ」


 

 上気したような声を出す少女。

 


「理由はどうあれ、これであにくんと一緒に居られるからね」


「ほら、覚えてないと思うけれど、最近はあまりお話出来ていなかったからね」


「もしかしたら避けられているんじゃ? なんて思ったりもしたよ」


「……そんなわけないのにね。だって、あにくんが私を避ける理由なんてないのだから」


「ふふふ……。それじゃあこれから、好きなだけお世話されてくれるかな」


 

 彼女の声と共に、耳に吐息が当たる。

 

 

「安心してね。あにくんに選択肢はないよ」


「覚悟しておいてね」

 

 

 ふっと、息を吹きかけられる。


 少女の声が耳元から遠ざかった。


 静かに椅子に座りなおし、笑顔で話す少女。


 

「ふふふ。なんちゃって。冗談さ」



 少女の声は、元のハッキリとした、けれど年齢相応の無邪気な声に戻っていた。

 


「いっぱい頼ってくれて、いいからね」

 

 

 少女の唇から、言葉が漏れた。


 


「ふふ……。なんだか、目覚めちゃいそうだよ」



 

 最後の言葉は、かすれるような小さな声だった。


 

「……もう少し早く、こうしておけば良かったかな?」




 窓の外では、小鳥たちが楽しげに鳴いていた。


 

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