異世界誘拐事件録
明智吾郎
ChapterⅠ渡来編
発覚
夢を見ていた。
夕暮れの砂浜に腰を下ろし、恋人の雪と並んでいる。波の音は穏やかで、時間だけがゆっくり流れていた。結婚の話をしていた。
「雪、話があるんだ」
雪は悠の肩に体重を預け、「なあに?」と微笑んだ。
「俺と、結婚してほしい」
胸の奥にしまい込んでいた言葉だった。言うには遅すぎるくらい、待たせてしまった言葉でもある。
——返事を聞く前に、無遠慮な電子音がすべてを切り裂いた。
悠は目を開けた。
薄暗い書斎。埃をかぶったソファ。現実は、相変わらず手加減をしない。
夢だったことを理解すると同時に、苛立ちが残った。体を起こし、ポケットから煙草を取り出す。火をつけ、肺いっぱいに吸い込む。焦げた匂いが、頭を冷やす代わりに、現実だけをはっきりさせた。
雪がいなくなったのは、一ヶ月前だ。
何の前触れもなく姿を消し、両親が警察に行方不明届を出した。
誘拐の可能性が浮上したのは、それからさらに一ヶ月後だった。
浪野悠。二十三歳。
探偵業を生業にし、渋谷の雑居ビルに小さな事務所を構えている。警察と手を組み、事件の後始末に呼ばれることもある。
そして今、悠は一つのことだけを決めていた。
雪を見つけ出す。手段は問わない。
洗面所で顔を洗い、携帯をポケットに戻しかけた、その時だった。
ピピピピッ。
着信音が鳴る。画面には「釜野」の名前。大学の同期で、今は警視庁の刑事をやっている男だ。
「よう、久しぶりだな」
受話器越しの声は、相変わらず愛想がなかった。
「例の事件だが……お前の力を貸してほしい」
「面倒くせえな……」
そう言いながらも、悠はコートを手に取っていた。
雪に繋がる可能性があるなら、無視する理由はない。
警視庁・連続誘拐事件捜査本部。
重たい足取りで門をくぐり、建物の奥へ進む。空気は張りつめていて、歓迎されていないことだけは伝わってきた。
部屋に入ると、釜野が軽く手を振る。
「よう」
他にも数人の捜査官がいた。向けられる視線は冷たく、値踏みするようでもあった。
「早速だが、これを見ろ」
釜野が地図を広げる。新宿の一角。最新の誘拐事件の現場だ。
「現場に行ったんだが……とんでもないものがあった」
「待て。そもそも、なんで誘拐って断定できる? 行方不明ってだけじゃないのか?」
「現場に、犯人のものと思われるマークが残されていた」
用紙が机に置かれる。油性ペンで描かれた、海賊旗のようなドクロ。
「すべての現場に、このマークが残されていた。雪ちゃんの現場にもな」
釜野の声は低かった。
悠はマークから目を離さなかった。
偶然で片付けるには、揃いすぎている。
雪は自分の意思で消えたわけじゃない。
誰かに連れ去られた。そして、その“誰か”は、必ず足跡を残す。
悠の中で、判断が固まった。
「大丈夫か?」
「……ああ」
「三日前、新宿で新たに男児が誘拐された。現場には同じマークがあり、そのそばに倒れていた妙な男を拘束した」
「俺たちは、そいつが犯人の一味だと踏んでる。だが、何も話そうとしない。まるで誰かに“喋るな”と命じられているかのようだ」
釜野は真っ直ぐ悠を見る。
「なぁ悠。お前、大学で心理学やってたろ? そいつから話を引き出してくれないか?」
「は? 結局、俺に雑用やらせたいだけじゃねえか。警察でやれよ、そんなの」
「……雪ちゃんの手がかりかもしれないんだぞ」
その一言で十分だった。
釜野は、雪が消えてからずっと気にかけてくれている。今回も、その延長線上だ。
「……わかった。話だけ聞いてくる」
悠と釜野は並んで歩き出す。
拘留所へ向かう廊下は、無駄に長く、静かだった。
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