男女貞操逆転世界で《稀代の悪男》は大海を知る
イコ
始まり
第一話 処刑
意識が覚醒すると、辺りから大勢の声が聞こえてくる。
ああ、そうか。私は処刑されるのだったな。
朦朧とする意識が少しずつ明確になり、ぼやけている視界に色を帯びていく。
度重なる拷問と長き牢獄によって、全身が痺れ、片目は見えなくなってしまった。
今も両腕は縛られ、首が処刑台に固定されている。
全身の衣類は脱がされ、生まれたままの姿で私は死を迎えるのだ。
王都で一番の大広場に用意された処刑台。
民衆からは《稀代の悪男》として罵りが飛んでくる。
ふっ、《稀代の悪男》が生涯一人だけしか相手したことがないとは笑い草だろう。
それも拷問姫と呼ばれる、拷問の一種で犯されたに過ぎない。
愛した者や騙した女性は一人もいない。
こんな男が《稀代の悪男》とは、笑うしかない。
長く伸びた髪は切ることもできないまま、漆黒の艶髪はくたびれて輝きを失ってしまった。
数ヶ月の牢獄によってやせ細り骨が浮き出ている。
「顔を上げよ!」
大将軍サファイヤ・ブラックウッド。
我が妹ながら美しい女性に成長を遂げた。
兄妹でありながら、似ていない容姿。
紺に近い青黒い髪を一つに縛り、厳しい顔で私を見下ろしていた。
「ありがたく思うがいい。貴様のような《稀代の悪男》に対する女王陛下の慈悲だ。痛みなく一刀で終わらせてやる」
苦々しい顔を見て、ふと昔のことを思い出す。
「兄様と結婚する」といって、私を好いてくれていた少女はもういない。
投獄される前の私は傲慢な人間だった。
当時の私は女王陛下の花婿候補に選ばれ、花婿教育を受けていたこともあり、他者のことを顧みず、家族ですら蔑んで見ていた。
妹だけじゃない。
母や協力してくれた者たち全て相手になどしていなかった。
普通の家であれば、初めての相手を家族にしてもらう男も少なくない。
妹のサファイアも私との初めてを夢見ていたのだろうか? 申し訳ないことをしたと思う。
こうして処刑される前になって、やっと自分が傲慢で我儘な人間だったと思い知らされる。
牢獄で自分のしてきたことを考え、何度も皆に謝りたいと思った。
私は世間の常識を知らなかったのだ。
たった一人の人間のことだけを考えて生きてきた。
顔を上げた先には、その相手である女王陛下が目に入る。
女王陛下の花婿になるため、全ての時間を捧げてきた。
幼い私が好きになって、全てを捧げた女性。
浅はかな嫉妬によって、全てを狂わせてしまった。
女王陛下から愛されようとして、女王陛下が愛した男を憎んでしまった。
処刑を観覧する席には、女王陛下を筆頭に、側近である権力者たちが、私の処刑を見るために集まってきている。
全員が見目麗しく能力が高い女性たちばかりだ。
この国では全ての事柄は女性が取り仕切っている。
世界中で男性が少なくなり、女性に庇護されるようになって久しく。
女性が社会的、経済的に世界を主導しており、かつては男性の王を輩出したことなど忘れ去られた時代。
私は女王陛下の夫になるため、幼い頃から教育を受けてきた。
全ては女王へ尽くすために。
ただ、女王陛下に愛してもらいたかった。
それだけを願うあまりに周りが見えなくて、取り返しのつかないことをした。
黄金のドレスに身を包んだ女王陛下の瞳が私を見下ろす。
誰よりも美しく気高い人。
彼女の隣で幸せな生活を送ることだけを考えてきた。
だが、今の私は全てを失い。
家族に迷惑をかけて、《稀代の悪男》として処刑される。
妹のサファイアが大将軍として、女王の側近であったことが、唯一の救いだ。
サファイアのおかげで迷惑をかけた家族や、使用人たちは処刑されずに済むのだから。
「ちょっと待っていただけますか?」
「ナルシス様! こんな場所に来るべきではない!」
処刑台に上がってきた男が一人。
これだけ女性が多くいる中で、男性の登場は珍しく。
民衆は現れた男性の姿を見て、ため息を吐き、艶っぽい声が漏れる。
「サファイア様、申し訳ありません。ですが、最後の挨拶をさせて頂きたいのです」
「くれぐれも気をつけてください。何をするのかわかりません」
聖男、ナルシス・アクラツ。
私が処刑される原因となった、歴代の聖男を継いだ者。
《稀代の悪男》と言われる私とは対照的な男だ。
サファイアから発せられる声は、私に向ける侮蔑の声とは異なり、ナルシスに対しては、気遣うような声が聞こえてきた。
何もできないさ。
すでに両腕の力はなく、剣も使えない。
魔力もここにくる前に全て放出された。
最後に残されたのは、ナルシスを睨むことだけだ。
ナルシスは、私から女王陛下を奪った男であり、妹や女王の側近たち全員から愛される男だ。
「きっとボクこそがマクシム様の最後を飾るに相応しい相手だと思うのです」
「わかりました。少しだけですよ」
女王陛下がナルシスの行動を許可するように、サファイアに指示を出した。
サファイアが二人だけで話せるように距離を取る。
「こんにちは、マクシム様」
優しく穏やかな声は女性たちから、聖なる男として崇め奉られる存在になった。
女王陛下の寵愛を受け、民衆からも支持されている。
「あなたには散々な目に遭わされてきました。だから、処刑されるあなたの最後の言葉を聞くのは、僕でありたい」
美しく中性的な容姿、色白な肌、女性に好まれる細くてか弱い体。
自分とは対照的な者が膝を折って顔を近づけてくる。
私はナルシスが嫌いだ。
恵まれた容姿と、優しい雰囲気で、いつの間にか女王陛下へ近づき、私から彼女を奪い去ってしまった。
それだけじゃない。
女性たちから愛されて、女王陛下から寵愛を受けるナルシスに嫉妬した。
下級貴族である男爵家の出身だったこともあり、侯爵家として生を受けた私は選民意識が高く、上位貴族の力を使ってナルシスを攻撃した。
私は失敗してしまった。
思い出してみれば、ナルシスは見た目だけでなく、男爵家の下級貴族でありながら努力を重ねていた。
上位貴族に負けぬほどの教養と知識。
《聖男》に選ばれるほどの慈善活動と、男性にしては珍しい魔力の高さ。
清らかな心と魔力を持っていると、教会に認められた存在。
女性が社会を構築する国で、男性は女性に愛されなければ意味がない。
それは女王陛下一人ではダメなのだ。
ナルシスは多くの女性から愛されていた。
私にとっては女王陛下だけが女性だった。
一途に一人を思い続けた私は傲慢な犯罪者として処刑される。
結局は、その一人からも愛されることはなかった。
牢獄で考える時間を頂き、やっと後悔の中で気づくことができた。
私は世界を知らなかったのだ。
醜く嫉妬した私は全てを失った。
今ならば自分が悪いことがわかる。
嫉妬などしないで、ナルシスのように女性に愛される道を選べばよかった。
彼にも謝りたい。
これまで散々彼に酷いことをしてきた。
声を絞り出して、最後に謝ろう。
「うあ、あ」
拷問のせいで、声すらも出すことができない。
これが私の最後なのか、惨めだな。
「やっとです。やっとあなたを殺すことができる」
それは誰にも聞こえない呟きだった。
そして、聞いたこともない恐ろしい声。
驚いて私はナルシスに視線を向ける。
薄暗い笑みを浮かべた醜いナルシスの顔がそこにはあった。
「あ! うっ」
「もう、声も出せないのですね。男らしくて、女性が放っておかなかった氷のマクシム様とは思えませんよ。あなたは寡黙で、女性たちに冷たくしていた」
女王陛下に浮気されたと思われたくなくて、他の女性たちに冷たくしていた。
「あなたの周りにいた女性たちを取り込んで、破滅させるのは簡単でしたよ。そうそう、どうしても一人だけ。あなたの専属メイドだけは言うことを聞いてくれなくてね。だから事故に見せかけて殺させてもらいました」
悪気を全く感じない声で、私の脳裏に尽くしてくれた忠臣の顔が浮かぶ。
どんなに冷たく扱っても、私のために尽くしてくれたメイドのアルファ。
こいつがアルファを殺した? 事故に見せかけて?
「美しい人だったので、もったいないことをしました。仕方ないですよね。僕のいうことを聞かないんですから。それとね、私の秘密を一つ教えて差し上げます」
なんだ?
今まで見たことがないナルシスの顔だった。
普段のナルシスは、誰にでも優しく笑顔が絶えない男だった。
これがナルシスの本性? 私は誤ってなどいなかった。自分自身が最初に感じたナルシスへの嫌悪感が正しかったことを思い知る。
こいつの心は醜い。
腹黒で、最悪なやつだった。
私に後悔があるとするならば、こいつの本性を最後の最後まで暴くことができなかったことだ。
「さぁ、もう終わりにしましょう。ナルシス様」
「はい。どうやらマキシム様は声を出せないようです。私はね。転生者なんです」
なっ? なんだと転生者? どういう意味だ?
「……そうですか」
死ぬ直前に告げられた意味のわからない言葉。
こんな奴に殺されるのか? 悔しくて、悔しくて、涙が溢れてくる。
どれだけ私はバカだったのだ。
ただ、女王陛下との幸福な未来を願っただけだったはずなのに。
ナルシスに嫉妬して、本当に大切な人々を失って自分自身も死んでしまう。
「兄様、覚悟」
もう何年も呼ばれていない兄様と言う呼び方。
サファイアの声は震えていた。
最後に私を想ってくれていたのかもしれない。
彼女の想いを踏み躙ってしまった。
アルファと同じく、彼女も家族として私を愛してくれていたのに。
そんなことにも気づかなくて、すまない。
家族を殺すことでしか、名誉を晴らせなくしてしまって。
妹よ、愛しているよ。
剣が振り下ろされて、私の首が飛ぶ。
ナルシスは少しだけ距離を取って処刑を眺めていた。
嬉しそうに笑うナルシス。
私は奴に負けた。
事切れる私の見た女王陛下は、冷たい眼差しでつまらなさそうに私の死を見ていた。
最後まで、悲しんではくれないのだ。
死ぬ寸前だから、わかることがたくさんある。
私を愛してくれたのは、メイドのアルファ。そして、家族だけだった。
剣を振り下ろしたサファイアは一つ筋の涙を流し、走馬灯という名の思い出が、後に続いて歩く幼き彼女を映し出す。
ごめんね。
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