「たべっ子どうぶつ」についての所感

たきのまる

「たべっ子どうぶつ」についての所感

たべっ子どうぶつ


『健康』と辞書で索引をかければ、その反対語に『お菓子』と出てくるだろうに違いない。

 しかし、実際に『健康 反対語』と検索して出てくるのは『病弱』『不健康』『病気』であり、そもそもの話として状態を表す言葉の反対語で名詞を挙げること自体がナンセンスであった。


 近年では健康志向のお菓子の製造・販売が目立つ。例えば、低GIを売りにしたカカオ由来の高ポリフェノールを含んだチョコレートや、全粒粉のビスケット、糖として吸収されないフラクトオリゴ糖を用いた商品など、筆者は食品の専門家ではないが、街中のスーパーやコンビニに足を運べば、自己啓発本のように高らかに、かつ、さも正論であるかのように健康志向であると銘打った商品が、物価高なんてパラレルワールドでの話かのような価格で並んでいる。

 故に、お菓子という耳たぶの毛ほどの背徳感のある存在を選ぼうとしているそんな中で、健康志向であるとまるでデモのプラカードのように掲げられた商品を強制的に見て見ぬふりをしなくてはいけない状態こそ不健康であると考えてしまう。


 健康と不健康が混沌とする現代のお菓子売り場にて、電車の車内の壁に面する優先席ではない席などと同等に位置するお菓子の1つが「たべっ子どうぶつ」であると筆者は考える。それは増税の波に負けず、非喫煙者からの目にも負けず、ビルの外に追いやられた喫煙所にぽつんと佇む四角い備え付けの灰皿の前で煙草の箱とライターを握りしめた喫煙者の気持ちと似ているのかもしれない。

 喫煙とたべっ子どうぶつを同類のように書くとは何事かとファンの方には申し訳ない。

 しかし、「彼」を手にした時、「彼」を開けた時、「彼」を口に入れた時の安堵感と多幸感は言葉では表せられないものである。


「たべっ子どうぶつ」は株式会社ギンビスから発売されているビスケットのお菓子である。

 臙脂色より明るい色のパッケージの中心には本製品のビスケットの写真と、その下には猿、ライオン、ワニといったデフォルメ化された動物たちが描かれている。

 通常、「たべっ子どうぶつ」といって連想されるものは前述したものであり、味としては「バター味」と明記されている。そして、バター味と明記しているならば、その他にも味の種類があるのかと予想してしまうが、そんなことはなく、「たべっ子どうぶつ」としての味の種類はバター味の一種類しかない。

 では、たべっ子どうぶつの他の味を食べてみたいという酔狂な輩は何を口にすれば良いのかと問われれば、「たべっ子どうぶつシリーズ」を食べていただくしかない。


「たべっ子どうぶつシリーズ」とは、たべっ子どうぶつから派生したお菓子の事である。名はたべっ子どうぶつと謳っているが、どれも「たべっ子どうぶつ 〇〇味」と明記をしていない。

「たべっ子どうぶつシリーズ」では、チョコが染み込んだ「たべっ子水族館」、ホワイトチョコが染みこんだ「白いたべっ子どうぶつ」、ホワイトチョコが中まで染み込んだ「たべっ子水族館 ホワイト」、さらには新商品として「いちごのたべっ子どうぶつ」と「抹茶のたべっ子どうぶつ」があるのでそちらから選んで召し上がっていただきたい。

 ちなみに、ホワイトチョコが染みこんだ「白いたべっ子どうぶつ」とホワイトチョコが中まで染み込んだ「たべっ子水族館 ホワイト」はほとんど同じなのではないかと疑問が残るが、ビスケットの形状が「どうぶつ」なのか「水族館(水生生物)」なのかという点と、ホワイトチョコが『ただ単に染み込んでいる』のか『中まで染み込んでいる』のかという2点で差別化を図っているのだと思う。

 どちらにせよ、筆者は「たべっ子どうぶつ」と「たべっ子水族館」しか食べたことがないので分からない。さらに言えば、せっかく中まで染み込ませる技術があるのだから、白いたべっ子どうぶつの方にもそれを導入しないのはなぜかといった疑問も残る。


 そんな疑問はさておき、皆さんは一度は食べたことがあるであろう「たべっ子どうぶつ」。それがなぜ健康志向のお菓子と一線を画す存在なのかを説明していこうと思う。

 これは単なる個人的な意見や思考に過ぎないので、この世界が回っていくことに何ら影響を及ぼさないであろう前提で呼んでいただきたい。

 まず「たべっ子どうぶつ」の謳い文句は何かを読者は知っているだろうか。

 パッケージを手に取ると、左上の紺色と青色の二色で描かれた楕円にはこんな文字が書いてある。


「カルシウム&DHA入り 卵不使用 体にやさしいね!」


 この袋に書かれた文言をはっきりと口に出して言える方はいるだろうか。

 きっと多くの人は「なんとなくあったな、そんなの」程度でしか思い出していないだろう。


 つまりはそういうことである。

 

 一体どういうことだと頭を傾げる方もいらっしゃると思うが、分かりやすく言えば、多くの人が「たべっ子どうぶつ」を食べる時に、カルシウム入りだとか、DHA入りだとか、卵不使用だとかそんなことは一切頭にいれずに「たべっ子どうぶつ」を口に運んでいるということだ。

 多くの人は「たべっ子どうぶつ」を食べるために「たべっ子どうぶつ」を食べているのだと筆者は考える。

 それは、いかに健康志向であるかを掲げるデモ行進とは反対方向に駆け出していく行為だと思える。

 

 卵不使用である点については、アレルギーに敏感な幼児期のお子さんをもつご家庭にとってはありがたいものかも知れない。それについては卵アレルギーであった経歴を持つ筆者としても非常に配慮がきいていて嬉しい。

 ただ、パッケージの裏面の満員電車のように文字を押し詰めたような成分表を見てから食品を購入することが奇妙なことではなくなった現代、「たべっ子どうぶつ」の成分表を購入の判断材料としている方はいるのだろうか。


 たとえカルシウムが入っていなくとも、たとえDHAが入っていなくとも、たとえ卵が使用されていたとしても、おそらく「たべっ子どうぶつ」の売上は低下することはないであろう。


 それを支えているのは「たべっ子どうぶつ」というブランディングだけではない。

 当たり前なのだが、「たべっ子どうぶつ」には「たべっ子どうぶつ」でしか味わえない『味』があると筆者は考える。

 それは味覚という意味の『味』でもあり、風情という意味の『味』でもある。

 味覚としての味という部分については、あのビスケットの心地の良い軽さは、一昔前の手作りの鍋敷きのようなダサい模様をしている手のひら大の一般的なビスケットでは味わえないものであるし、口で溶けたビスケットからほんのり香るバターの甘みは、近年の「馬鹿みたいにバターを使ってれば満足なんだろう、お前たち」といった喧嘩腰ともやっつけともいえる態度を露わにするバター味の商品では味わえないものだ。

 小腹が空いた時には物足りなく、口が寂しい時には食べごたえのある、あの絶妙な距離感に「たべっ子どうぶつ」は佇んでいる。


 そして次に、風情という意味での『味』について述べさせていただく。


「たべっ子どうぶつ」といって忘れてはいけないのはその形と書かれた英語だ。

 動物の形をしたビスケットはとても可愛らしい。そしてその形が幼稚過ぎないのが素晴らしい。ファッションのモデルが人差し指と中指で持ち、頬に近付けアンニュイな表情をしていても、アクセントとして成り立ってしまうデェフォルメされた動物の形がとても好きだ。

 さらにビスケットの中心に書かれた英語が「抜け感」を出していて好きだ。そして、外国の教材で使われるようなあのフォントと、文字の掠れ具合がおしゃれにさえ思える。

「抜け感」を出しているポイントとして一番重要なのは、その文字の掠れ具合にある。

 ビスケットの中心に描かれた文字は基本的に掠れている。捜してみれば一袋の中には、中心に綺麗な刻印されたもののほうが少ないと思う。そしてたまにある、はみ出てしまうのではと心配になってしまうほどに異常にズレた刻印が愛らしい。

 さらに言えば、「たべっ子どうぶつ」のビスケットはすぐに割れてしまう。もしくは欠けてしまう。筆者の経験でいうと袋の中の全体の三割ほどは欠けているか割れているかのどちらかだろう。

 それが悪いのではない。むしろ良いのだ。

 中途半端になってしまったビスケットを袋の中から摘む度に、儚さを感じ、ひとつひとつを大切に味わわなくてはとハッとさせられる。

 逆に言えば、完全な姿のビスケットは口で咀嚼するのが申し訳なくなり、筆者の場合は口に運ぶのを後回しにしてしまう。


 動物の形、文字の掠れ具合、刻印のズレ、ビスケットの欠損状況によって、袋から摘んだ一つの「たべっ子どうぶつ」のビスケットは世界に一つしか無いものになっている。

 それは小学生の教室の後ろに貼ってある習字の半紙を見た時のような面白さと豊かさによく似ている。


 他愛無い中の他愛無い話題の中に「うまい棒の何味が好き?」というものがあるが、その話題に匹敵するであろうと筆者が勝手に考えているのが「『たべっ子どうぶつ』の動物で何が好き?」だ。

 これはとても興味深い話題に違いないと考える。

 これを読んでいる読者の方も考えて頂きたい。


 あなたは「たべっ子どうぶつ」の動物で何が好き? 

 

 きっとおそらくこの質問をされた方は「何があったっけ?」と記憶を掘り起こしてあるに違いない。

 そんな中で筆者が推したい動物はコウモリだ。

 両方の羽を広げ胸の位置に「BAT」と書かれたビスケットである。

 なぜ好きなのかと聞かれれば、その答えは筆者の幼少期に遡る。


 幼い頃、ヒーローが好きだった。

 仮面ライダーやスーパー戦隊やウルトラマンといった、いわば特撮のヒーローが好きだった。

 そんな中で、バットマンを知った少年はタイトなスーツと口元が露出した真っ黒な存在に興味を持った。

 正しさや正義を押し付けることなく、自らが正義だと思うことを貫くだけの無口でクールな筋肉隆々の後ろ姿に心惹かれた。

 そんなバットマンのマークは「たべっ子どうぶつ」のコウモリとよく似ている。

 そのため、子供の頃は「たべっ子どうぶつ」を食べる時には必ずコウモリのビスケットを探していた。そして念願叶って見つけた時には母親にそれを見せびらかし、割れないように大切に小さな手のひらの中にしまっていた。

 おそらく「たべっ子どうぶつ」の動物はランダムに入っているはずなのだが、大人になった今でも小さな袋の中にコウモリのビスケットは珍しいものだと勘違いしているし、もし袋の中にあれば「おっ」と嬉しくなってしまい、コウモリの綺麗なシンメトリーに感嘆の声を上げてしまう。

 だから筆者は「たべっ子どうぶつ」の中ではコウモリのビスケットが好きである。


 健康志向が重要視される食品の川の中で反旗を翻すように留まっている「たべっ子どうぶつ」。

 私達は「たべっ子どうぶつ」が食べたくて「たべっ子どうぶつ」を食べているのであり、そこに他の価値は存在しない。しかしそれでいいのだ。

 その純度の高い欲望こそ、増えすぎた理性によって複雑化する健康志向のプラカードに風穴を空けてくれる。

 そして「たべっ子どうぶつ」もそれに答えるかのように、今日もひっそりとスーパーの棚に陳列されている。

 招き入れるわけでもなく、高らかに訴えることもなく、ただそこに存在している。そして今日もその明るい臙脂色の袋を手にする人がいる。

 そう思うと少しワクワクする。そしてスーパーの棚に足を運んで見たくなる。

「たべっ子どうぶつ」の優しい甘さはくどすぎず、物足りなくもなく私達の舌の上でゆっくり溶けていくのだろう。


 今回この文章を書くにあたって、いま一度「たべっ子どうぶつ」について調べてみた。すると「全粒粉入りたべっ子どうぶつ」という文字が筆者の目に飛び込んできた。



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