僕のたからもの 《竜之介》


『……私たちがひとつになったら、きっと私たちもっともっと安心して生きていけるでしょう……?』

瞼の裏で、僕のなかの有栖が言った。

いや実際の有栖はそんなことは言わない。

ただ無邪気に、時折不安げに微笑むだけ。


だけど……僕は怖かった。

いつからかわからない。

気づいたときには、そいつは僕を飲み込もうとしていた。

飲み込まれる前に、なんとかしなければいけなかった。

僕は必死だった。

自分が自分じゃなくなる恐怖。


有栖…

彼女は天使のように清らかな心で、僕を救ってくれた。

彼女のおかげで、僕は自分の弱さに向き合うことができたんだ。

この腕のなかで寝息をたてる有栖が僕のすべて。


「俺のたからもの…有栖……」

囁きとともに、腕のなかで眠る彼女の額に口づけを落とした。

どうか、このままずっと僕だけのものでいて。




朝になってもやはり兄は帰っていなかった。

有栖の目が彼を探して、いないことを知り軽く落胆の色に染まる。

「大丈夫だよ有栖、兄貴は今夜には帰ってくるから」

僕はそんな有栖を見たくなくて、さっと明るく声をかける。

有栖はほっとしたように微笑みを浮かべる。

「ん…そうだね。

朝食は、パンと…スクランブルエッグにしようか?今朝は気分もいいし、私がつくるよ」

「じゃあ俺がコーヒー入れるね」

ふたりでも僕はかまわない。

兄が嫌いなわけじゃない。

尊敬もしている。

なんでもそつなくこなし、バランスをとるのがうまい兄。

兄がいるから、僕たちがうまくやっていけていることも知っている。

ただ、兄が、バランスをとるために、するりと有栖から逃げているように感じる時、僕はうまく言葉にはできない複雑な気持ちになる。

それは僕の思い過ごしなのかもしれないけれども……


「ねえリュウ、今日の放課後、図書室に本返しに行くから付き合ってくれない?」

朝食をとりながら、有栖が頼んできた。

「うんいいよ」

僕は二つ返事でOKした。

「ありがと」

そう言って笑う有栖の顔を見ると、胸の奥がきゅっとする。

「ほら…ごはん食べ終わったら、髪を結ってあげるよ。今朝は時間があるから編みこみのハーフアップにしてあげようか」

朝は、僕が有栖の髪をとかして、結ってあげるのが常だ。


兄がいる時は兄が、そしてかつては母がそれをしていた。

高校生にもなる双子の姉の髪を結ってあげるなんて、ちょっと普通じゃないことはわかってる。

(もしかしたら、有栖は天然だからわかってないかもしれない)

でも、普通ってなんだ?

普通じゃないってなんだ?

僕たち、一生けんめい、普通でいようとしたんだ。


「嬉しい。リュウ上手だもんね、いつもありがとう!」

有栖は無邪気に喜ぶ。

「よし、できた。いいかんじ」

鏡の前で、くるくる回って、嬉しそうな有栖。

かわいい……すごく似合っている。

ふわりと揺れる髪。

有栖の髪は僕と違ってやわらかで光に透けるような栗毛色。

彼女の柔らかな髪に毎朝触れられる…それが本来は僕の役割じゃないからって、かまわない。


だって、僕は有栖のことが好きなのだから。

いつか、彼女が僕の手を振り払い走り出す日が来たとしても、その日まで僕は……

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