誉み間違い

汐芦望

第1話 誉み間違い

 第一話もなにも、小説投稿サイトに登録して、どう執筆すればよいのかをまず実践してみて掴もうという考えから挑んでいるわけで、物語の皮切りになるようなエピソードは特に浮かばない。


 だから、個人的に、たまに、勝手気ままにつけている、誰かに読ませるわけでもない日記を引き出しから手に取りぺらりと読んで、題材を探した。五分もしないうちに、「訃報」を「ケイホウ」と読み間違えたという些細なネタを仕入れ、たったそれだけのことについて書こうかと思う。


 誰かに読ませるわけでもない文章の内容を題材にしてしまうのは、矛盾が生じている気もするが、深いことを考えないで書きはじめた意思には反していない、はず。なので続ける。昔から漢字を適当に読んでいる自覚はあった。街の名前にある「定」を正しくは「じょう」と読むのに、高校生まで「てい」と読んでいた。長年同じ場所に暮らしてきて、バスの停留所でもさんざん「お降りの方はブザーを――」の前に整った声の女性が読み上げているのを耳にしているはずなのに、だ。


 頭ではなんとなく理解していても、口が軽々とその理解を無視して思考を介さず読み上げているのではないだろうか。いや、そんなわけはないか。

 他にも、「紙袋」を「ビニール袋」と言ったり、「椎茸」を「松茸」と称したり、見たものと口にしている単語の食い違いが交錯し、そのたび家族には馬鹿扱いされてしまう。――なんだか書いてて悲しくなってきた。でもめげずに続ける――もはや読み間違いに留まらず、呼び間違いばかり。


 そこで冒頭に戻るが、「訃報」を「フホウ」と読めなかったのも、傾ける意識の薄弱さからきている気がしてならない。人が亡くなったとき、悲しいなと思う反面、ここでは悲しいと思わなければ嫌な人になってしまうではないかという恐れから勝手にそう思考しているだけで、本心では悲しみの感情は薄いのではないだろうかと。意識があまり向かない、だから、「訃報」を「ケイホウ」だなんて読んでしまうのだろう。

 最初は、「訃」を「計」に似ているというだけで「ケイ」と考える思考に巧みさを感じて、肯定的に書こうかと思って文章を打ち始めたはずだったが、いざ打ちながら文章のつづきをどんどん考えていくうちに、自分がどれだけ冷たい人間なのかというところに行きついてしまった。悲しい――つまるところ、自分にあまり関係ない人が亡くなるよりも、自分が冷たい人間であると発覚したほうが悲しいのだ。


 タイトルを先に決めなきゃエピソードを書き始められないので、とりあえずきっと肯定的に着地できると思い張って決めた「誉み間違い」が、もう恥ずかしい。誉めるところがあるとしたら、恥ずかしくなっても悲しくなっても今パソコンに向き合ってつづきの文章を懸命に頭でひねり出そうとしているところだろうか。

 日記と違いエッセイとして物語に転換しなければならないという意思により、悲しいままには終われない、若干のくささ、が出てしまった。


 とりあえず、ここまでの文章を読み返して直そうとなると一生投稿できずに終わりそうなため、あえて推敲せずに載せるが、「駄文」だと感じても、「駄目」と思わず、「駄菓子」の「駄」として受け止めてほしい、な。

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