それはあまりに突然に⑤



 その日の授業は一切頭に入らなかった。

 ふとした瞬間に朝見た光景が頭に浮かび、その度に胸が苦しくなり吐き気もあり、結局ずっと上の空だった。

 苦しいだけの時間が過ぎるとクラリスとの対話の時間となり、僕は指定していた空き教室へ一人で向かった。


 僕達だけではまともに対話をする事は難しいとバルセル侯爵令嬢の提案で彼女も同席する事になったが、クラリスは相変わらず子息にベッタリだった。

 そしてこの重苦しい雰囲気の中最初に口を開いたのは僕だった。


「クラリス、やはり今朝の説明では納得が出来ない。いくら何でも一目惚れという理由だけでこの婚約を解消する事は出来ない、それは君も分かっているだろう?」

「何と言われようとも、私の気持ちは変わらないわ。私はライアン様に一目惚れしてしまったの、こんなに人を愛おしく思ったのは生まれて初めてなのよ」


 クラリスのその一言を聞いた僕の胸はナイフで何度も刺されたみたいにグチャグチャになった。


 (僕との間には?愛はなかったと言うのか……?)

 (僕とクラリスの間には確かに愛があったはずなのに)


 クラリスの発した言葉に強い衝撃を受けた僕が固まってしまっていると、状況を見たバルセル侯爵令嬢が慌てたように言葉を発した。


「エイブリー様、それは流石にお言葉が過ぎるかと思いますわ。殿下とエイブリー様は昨日まで仲睦まじく過ごされていたではありませんか。部外者のわたくしがこんな事を言うのは違うかもしれませんが、突然こんな形で殿下に告白するのは流石に褒められた行動ではないわ」


 バルセル侯爵令嬢がクラリスを説得しても、彼女の行動が変わる事はなかった。

 むしろ迷惑そうに眉を顰め温度のない瞳で射抜くように見つめると、冷めたように口を開いた。


「シャーロット様には関係ないわ。この際はっきり言うけれど、私は今まで殿下に対して婚約者として敬意を持って接してきただけ。そこに燃えるような愛情を抱いた事は一度もなかったわ」

「エイブリー様……」


 クラリスがそれ以上言葉を発する事はなく、すぐに横にいる子息の腕に絡み付くように体を密着させていた。

 とても婚約者がいる人間がしていい行動ではない。そんな子供でも分かるはずの常識が今のクラリスには通用しないようだった。


 (自分の常識を覆してでもその男が好きなのか)


 この日、結局クラリスを説得する事は出来なかった。

 彼女は最後まで子息の側を離れようとしなかったし、僕との婚約は解消ないし破棄を希望する気持ちも変わらないと言う。

 クラリスの突然の変化に僕はひとつの疑いが生まれた。

 だけど同時に本当に彼女自身の気持ちの変化も否定できないでいた。

 部屋から退出する際、バルセル侯爵令嬢がこちらを気遣わしげに見ていたが僕にはその視線に応えるだけの気力も勇気もなかった。


 「エイブリー様はああ仰っていましたけれど、わたくしは殿下との間に愛情があったと思いますの。それは当事者である殿下が一番よくご存じなのではないでしょうか?」


 バルセル侯爵令嬢の言葉に引き攣った笑顔でしか応える事の出来なかった僕は、その後茫然としたまま、護衛と共に男性寮へと戻った。

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