第2話

「女三人寄れば姦しい」なんて言うが、まったくもってその通りである。

 ホームルームや授業開始前、講堂や体育館に集合した時も、騒がしく、黙らせるのにほとほと苦労する。「美しく、おしとやかに」と校訓の一つに挙げられているが、残念ながら夢物語だ。

 男子校の方がひどいなんて聞くが、女子も稀に流血するほどの殴り合いのケンカが起きる。理由を聞けば、好きなアイドルが被っており、「自分の方がそのアイドルをいかに愛してるか」を証明するため、話し合っていたら白熱してつい手が出た、と言う。本人たちにとっては重要なのかもしれないが、外野からしたら呆れてしまう。

 反対に仲が良すぎ、じゃれ合いの末、引き戸にぶつかり、上部に嵌められていた飾りガラスを破損させたりということもあった。想像以上にヤンチャが多いことに最初は驚いたものだ。


 そんな少々元気が有り余っている女子たちが通う、この学校の昼休みは毎日が祭りだ。チャイムが鳴ると同時に教室を飛び出し、購買のパン売り場に押し寄せ、我先に買おうとする生徒たち。あっという間に満席になる食堂内は甲高い笑い声が場に充満している。

 職員室に戻ると、休憩時間返上で作業している先生が居たりして、落ち着いて休憩したいとは思わなくなる。

 しかし、腹は空く。弁当箱を開く。半分はごま塩がかかったご飯、半分はおかず。今日のメインは鯖の塩焼き。一尾だけだが、でかでかと場所を占領している。他は、昨日の晩ご飯にも小皿に乗っていた、いんげんの胡麻和え、ひじきの煮物。刻みねぎの入ったたまご焼きはいつもの顔ぶれだ。

「おっ、今日も美味しそうなお弁当持参してる」

 隣の席から山田先生がサンドイッチ片手に覗き込んできた。

「桂先生のお母様って家庭科の先生だもんなぁ」

「元、です。今は料理教室の先生っす」

「ああ、そうだった。隣駅にあるビルの三階だったよね」

「そうですけど。なんでそんな覚えてるんです?」

「モテるために料理のひとつでもなんて、一回見に行ったんだよ。でも、女性ばっかりはやっぱり肩身が狭い気がして入会はやめたけど」

「は、はあ……」

 入会を辞めてくれてよかった……。同僚がおふくろの生徒になるのは気まずいからな。

「でも、こんなおいしい食事出てくるなら、お嫁さん大変だろうな」

「どうしてですか?」

 山田先生は残っていたサンドイッチを飲み込む。

「そりゃあ、お母様がこんなにお料理上手なんだもん。お嫁さんのプレッシャー半端ないよ。『私も同じくらい、いやそれ以上美味しい料理作らなきゃ』ってさ」

「そうですかね? おふくろはおふくろ、嫁は嫁で良いと思いますけど」

「桂先生はそう考えていても、お嫁さんは違うよ、きっと。桂先生のお嫁さん、どんな人が来るのか見てみたいなー」

「は、はぁ……」


 嫁……ねぇ。

 二十六歳にもなると、周りでも「結婚した」という報告が増えてきた。社会に出てまだ四年だぞ? と思う反面、もう四年かとも思う。大学時代、派手に遊んでいたヤツも家庭を持ち、家族のために働いている姿を知ると尊敬してしまう。

 かと言って、今は所帯を持つ気にはなれないし、そもそも恋人もいない。そりゃあ、良いご縁があればとは思うが、教師をしている限りは出会いも少ない。コンパに行くほどの時間と金の余裕もなし。お見合いをしてまで結婚するっていうのはまだ先にしておきたい……。とにかく今は縁のない話。考えても無駄だ。


 弁当をかっ込み、文庫本片手に校舎の裏へ歩いて行く。

 この学校で働きだして、少しでも静かに過ごせる場所をと、探しに探し、ようやく見つけたのが講堂だった。中はもちろん鍵がかかっていて入ることが出来ないから、コンクリートの階段に腰掛けるだけ。頭上にはアーチ形の屋根が付いていて、雨の日でも問題ないのが良い。講堂はイベントごとがなければ誰も寄り付かず、周りは木々に囲まれているだけでとても静かだ。夏は暑く、冬は寒いが数十分、一人で読書をし、気持ちを落ち着かせれば、次の授業にも身が入る。


 ページを開き、挟んでいたしおりを抜く。夏目漱石の代表作の一つ、『吾輩は猫である』の文庫本。久しぶりに読みたくなり、本棚から連れてきた。ぶ厚く、重さがあるから持ち運びには不向きだ。猫の世界の話から、来客が話す会話を事細かに記しているなど、内容も濃い。こんな数十分ではシーンに変わり映えはないまま、しおりを挟むことになる。なのだが、猫から見る変人奇人の交流は面白く、たまに読み直したくなる。

 ちょうど苦沙弥くしゃみ先生が「腹が痛いだ」なんだと理由をつけて、興味のない観劇を回避しようとしているシーンを読み進めていると、

「桂先生」

 澱みのない、透き通った声がオレを呼ぶ。

 リボンの色は臙脂。学年別にリボンの色が違うから、コイツは現二年生ということになる。しかし、オレのクラスの生徒ではない。制服を規定通りにきちんと着こなし、汚れや乱れが一つもない。艶のある黒い髪を高い位置で一つに括り、そのしっぽを揺らしながら、オレの数段前まで駆け上がってきた。

 胸元につけているプラスチックボードの名札が見える。『浅倉あさくら』の二文字。

 浅倉、か……。二年の現国はほとんどオレが受け持っているとはいえ、まだ四月で顔と名前が一致しない。でも、なぜだ? オレはこの生徒を知っている気がする……。

「何か用か?」

 問いかけると、浅倉は胸に手を置き、数回深呼吸をすると、意を決したように声を発した。

「……私、先生のことが好きです」

「は……?」

 他の奴らのようにニヤケ面ではない。

 頬を桜色に染め、丸く大きい栗色の瞳でオレをまっすぐ見つめている。

 春風が優しく吹くと彼女の後ろで桜吹雪が舞い、まるで仕掛けられた演出のようだ。

 そんな彼女の姿をぼーっと、しばし無言で見惚れてしまった。

「先生……?」

 浅倉が小首をかしげ、こちらを見ている。思考停止していた頭を叩き、無理やり我に返る。これが本当の告白なワケがない。ったく、あの告白ゲームとやらはオレのクラスでとどまらず、二年生全体で流行してしまったのか。くだらんものほど伝染するもんだ。立ち上がり、周囲を見渡す。どこかで嘲笑っているであろうコイツのツレらしき生徒を見つけ出してこっぴどく叱ってやろうと思ったのだが、見当たらない。

「オマエも告白ゲームしてるん……だよな? あのな、友達とのじゃんけんに負けたからって、そういうのは冗談でも軽々しく――」

「告白ゲームってなんですか?」

「え?」

「私、桂仁志ひとし先生がずっと前から好きなんです。先生の彼女になりたいんです。お付き合いしていただけませんか?」

「へ?」

 二人の間に沈黙が訪れる。再び座り、状況を整理する。

 告白ゲームではないだと? じゃあ、この浅倉っていう生徒は本当の本当に告白をするために、わざわざここに来たって言うのか? この何でもない日の昼休みに?

「あー……その……だなぁ……」と動揺している場合ではない。大の大人、教師としてしっかりと答えなければ。軽く咳ばらいをし、喉を整える。

「答えは『ノー』だ」

「先生と生徒だからですか?」

「その通りだ。それに、オマエは今、高二だよな?」

「そうです」

「オレはオマエより十歳も上だ。もし、仮に教師ではなかったとしても、そんな易々と『はい』とは言わない」

「でも、好きっていう気持ちに年齢も立場も関係ないと思います。付き合ってることは誰にも言わないです。絶対秘密にします」


 言って来るだろうと思っていた反論がそのまま来るとは。予想通りで少しニヤけそうになる。最近、教師と生徒の恋愛を題材にしたマンガやドラマがあるからな。それに、ここは女子校。近くにいる異性は我々教師になる。

 山田先生が良い例だ。ああいう少しでも容姿が良い男はもてはやされる。山田先生は競争率が高いから、その陰にいるオレならと思われたんだろう。……考えるだけ、虚しくなる。いいや、落ち込んでいる場合じゃない。生徒が勘違いから生まれた感情で人生のレールを踏み外さないようにしてやらねばならん。


「それは年下の立場だからだ。オレは成人してるし、仕事もある。責任や世間体ってモンが付きまとってきてだな……。まあ、オマエも成人して就職すればわかる、いかに夢見がちなことを言っているかがな」

 浅倉は眉をハの字に下げ、唇を強く閉じ、何も言い返さない。正論だとちゃんとわかっているようだ。理解が早い生徒は助かる。

「話はそれだけか?」

「あっ……」

「他に何か言いたいことがあるのか?」

「いえ、なにも……。失礼します」

肩を落とし、教室棟の方へと歩いて行った。小さくなる背中を見送りながら、

「……男、見る目ねぇな」

 ぼそっと呟く。

 山田先生の代わりとはいえ、若々しさがないだの、野暮ったいだのと言われるオレに告白するとはな。どの学年の生徒も、口を開けば「山田先生」と言いやがるのに。変わったヤツだ。にしても、オレと深い接点はないはずなのに、浅倉のことを前から知っている気がするのは何故なんだ? まさか元カノの妹? いや、ああいう系統の顔は一人もいなかったはずだ。それか葬式の時にしか顔を合わせないような遠い親戚……なワケないか。じいさん、ばあさんばっかりだしなぁ。じゃあ、なんで……? 考えていると、休憩終了を知らせるチャイムが鳴り、大急ぎで階段を駆け下りた。


 この一件でオレは彼女のことを覚えてしまった。

 二年C組、出席番号二番、浅倉紗子さえこ

 オレが現国を受け持っているクラスだから、やはりそれで名前を知っていたのだろう。授業は真面目に受け、提出物も期限内に出している。ゴールデンウィーク明けに行われた中間テストの点は、中の下でまずまず。漢字間違いが多く、それで細々と点数を落としているのが残念だ。

 廊下で友人たちと楽しそうに会話している姿を見ると、ごく普通の女子高生。オレに告白したことなどすっかり忘れたかのように日常に溶け込んでいる。あれくらいの年齢からしたら、十歳上は充分大人で魅力的に見えたりするもんだよな。尊敬や憧れが恋心と勘違いしてしまうだけ。そのことにあの告白で浅倉はしっかり気づけたのだろう。

 そうオレは思っているのだが――授業中、廊下ですれ違う時、視線を感じた方を見るとそこには必ず浅倉がいる。そして視線が合えば、特に話しかけてくることなく、ただ微笑み返してくる。そこには優しさと、なにか隠れた企みが共存した得体の知れなさが感じ取れ……。オレは怖くてすぐに目をそらしていた。

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