モンスターズ・ナイトⅣ-鐘の鳴る丘-

神夏美樹

■漂流

1.ガラパゴス

――南緯1度36分、西経89度16分付近。


GPSの示している位置が正しいとすれば現在位置はエクアドル領『ガラパゴス諸島』付近の筈だった。ほぼ赤道直下だったから降り注ぐ太陽の光はまるでレーザービームの様で空を見上げる事すら出来ない程に眩しかった。


WBSSⅣは潮の流れに身を任せる金属の塊と化し機体は浮力を得るためのエアバックが数個展開され横倒しに浮かんでいる。内部電源は完全に消失し飛行用の化学燃料も使い切ったから設備を動かすには頭部から突き出した太陽電池パネルだけが頼りのジリ貧状態。ただ、気象衛星の情報から判断すると嵐の予定は当分無さそうだから電源の心配は必要なさそうで、節電すればバッテリーの充電も出来そうな事が唯一の朗報ろうほうと言えそうだった。


ただ、サバイバルキットの中に含まれる食料や飲料水には極めて深刻なタイムリミットが告知されている事は確かだった。


鈴木はそのサバイバルキットに含まれていた極めて脆弱な資源である釣り竿に同梱の糸を繋ぎ、素性の良く分からない餌を付けて海面に垂らしていた。これで魚が釣れるとは思えなかったが赤道直下の豊かな海は何らかの恵みを与えてくれる可能性が全く無いと言えば噓になるだろうがあくまで可能性の範囲に留まる確率でしかなかった。


「はぁ……」


佐藤は小さな折り畳み椅子に腰かけて、くだんの釣り竿で大海原に釣り糸垂を垂れる。サングラスを掛けているから海の照り返しは気にならなかったが赤道直下であるから当然並外れた暑さ、既に三時間ほど釣り糸を垂れているが獲物がかかる気配はまるで無い、出るのは溜息だけ。背中を丸めて左腕で左脚に頬杖をついて見詰める糸の先はピクリとも動かない。


「ねぇ、どう、調子は?」


コックピットのハッチが開き中から女性の声が聞こえた。同乗していた神楽の声だった。それは妙に明るくて屈託が無い。まるで漂流している事を自覚していないかの様だった。元警察庁の優秀な官僚だった彼女がそういう態度をとるのは今までの重圧から解放された反動なのかもしれない。能天気さすら見せる彼女は人間らしい輝きが戻っているようにも感じられた。


神楽はコックピットから這い出ると揺れる機体の上を注意深く歩き佐藤が座っている場所まで移動する。そして四つん這いになると釣り糸についている『浮きに』視線を移す。波に揺れている以外はピクリとも動かない様を見て苦笑いを浮かべる。


「まぁ、気長に行きましょう」

「……そう、ですね。焦ってもしょうがないですからね」


神楽は体を起こしてどっかりと胡坐をかいて座り込む。繋ぎ状のパイロットスーツは腰のあたりまでファスナーを下し、腰の部分で両腕を結び、上半身はTシャツ一枚。実はパイロットスーツをきちんと着ていた方が内部の冷却機能で本当は涼しい筈なのだが締め付けられるのが嫌で上半身を脱いでしまったのだ。


「あ、神楽さん、コックピットの中に入って下さい。冷房効いてるし涼しいですし」

「ううん、良いの、折角の海じゃない、しばらく眺めていたいわ」

「丸の内なら海は目と鼻の先でしょう、それほど珍しくは無いんじゃ?」


佐藤の問いに神楽は苦笑い、その意味を彼は理解出来なかった。そして神楽はちらっと横目で佐藤を見てから徐に口を開く。


「窓から眺める海は風も感じられないしにおいもしない。波の音もしないから。パソコンの壁紙みたいなものよ」

「そんなもんですか」

「うん、そんなもん」


視線を上げた神楽の瞳に映るのは乱反射する波の輝き、そして雲すら見たらない抜ける様な青空。警察官僚として無味乾燥むみかんそうな日々に忙殺ぼうさつされてきたこれまでの人生がすべて否定されている様にも感じられる風景は心に潤いを与えてくれそうにも感じられたが逆にさらさらと綱粒に戻してもしまいそうだった。何故そんなギャップを感じるのか、自分の心すら理解出来ない可笑しさに唇をぎゅっと噛み締める。


「ど、どうしたんですか、神楽さん」


心配そうに覗き込む佐藤に気付いて神楽はふいに顔を上げ、無理やりな笑みを作って見せる。ると


「え、ああ、何でもないわ。それにしてもきれいな海ね。こんな光景、も一生見られないかもね」

「そうですね、俺もこんなに澄んだ瀛をみるのは初めてですよ」

「命が始まった頃の海ってこんな感じだったのかしら」

「……命が始まった頃?」

「うん、創世記の地球の海、綺麗だったんでしょうね」


目を細めて遠くに視線を移す神楽に向けて佐藤はゆっくりと顔を向ける。そのサングラスの奥の瞳はちょっと困った表情を見せる。


「あの、悪いんですが……」

「え、なぁに?」

「ワインダー博士に聞いた事が有るんですが四十億年前から三十億年前の地球の海って、汚かったみたいですよ、鉱物やら妙な化学成分やらで」

「……そ、そうなの?」


佐藤はゆっくりと頷いて見せた。そしてサングラスを少しずらして眉間に皺を寄せて見せた。


「生命誕生の神秘とロマンを秘めた輝きに満ちて、なんて、そう言う訳には行かないのかぁ」

「まぁ、残酷な現実と言う奴ですね。でも、それでも生命が生まれたんだから大したものですよね」

「そうね、不思議な物ね」


二人は顔を見合わせながらくすくすと笑い出す。その姿を見詰めているのは赤道直下の太陽だけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る