悪役令嬢は異世界でマッサージを広めたい 〜前職活かしてイケメン探し始めます〜 

もちづき 裕

番外編 1 リーゼロッテの場合

「アグライア・ウェルナー伯爵令嬢、貴女との婚約はここに破棄する事を宣言する!」


 ホーエンベルグ公国はバシウス大陸の南方に位置するペリリュー海に面した国であり、ホーエンベルグ公家が統治をして百年という、まだまだ歴史も浅い国となる。


 年に3回行われる公家主催の大舞踏会で、婚約破棄を宣言したのはアルテンブルグ侯爵家の嫡男セオドアとなる。そのセオドアに腰を抱かれるようにして隣に立つのは、アグライアの異母妹となるネイディだった。


 良くある話、良くある展開。ネイディは後妻の娘であり、アグライアとは異母姉妹ということになる。先妻の娘であるアグライアは、元々、生家での待遇が使用人以下。


「腐った豚はアルコールで浸しても、汚臭は消えずにいつまでも残っているのだな」


 セオドアに嘲笑われながら、真っ赤なワイン頭から掛け回されたアグライアはその時、自分が日本人だったことを思い出したのだった。


 その後、舞踏会場を逃げ出したアグライアを待ち構えていたのはダーフィトと名乗る商会の会頭であり、突然出来た縁を頼ったアグライアは、隣国ブザンヴァル王国まで逃亡することになったのだ。


*詳細については『異世界で転職をしたはずなのに』もしくは、パルプライド社様より発売の『悪役令嬢は異世界でマッサージを広めたい 〜前職活かしてイケメン探し始めます〜』を手に取って読んで頂ければ幸いです。


 さて、前世ではカイロプラクティックと柔道整復師とマッサージ師の資格を使って働いていたアグライアは、前職を活かしてブザンヴァル王国にマッサージの店舗を立ち上げることになった。


この世界の人々には、ツボ押しマッサージやフェイシャルマッサージ、脱毛予防のヘッドスパなどが衝撃的だったらしく、アグライアのマッサージは大人気!


この世にはないマッサージベッド、ヘッドスパで使うリクライニングチェアの開発にかかった費用や、店舗として活用している高級離宮の改修工事で多額の借金を抱えながらも、荒稼ぎした施術料で借金を返済していたアグライア。頑張ってはいるのだけれど、なかなか負債の全額返済には行きつかないような状況に陥っていた。


「ウルスラさん、どうしましょう!一体どうしたらいいんでしょう!」

「アグちゃん!落ち着いてください!」

「だって!こんなのどうやったって落ち着いてなんていられないじゃない!」


 離宮での仕事を終えたアグライアが富裕層の平民向けの店舗へと移動中、馬車にありえないような衝撃が走ったのだった。


 そうして一旦止まった馬車は、今度はありえない速度で走り出したため、先ほどから御者に向かって声をかけているのものの、一切の返答が返って来ない。


褐色の髪にエメラルドの瞳を持つ、右目下の泣きぼくろがやけに色っぽいウルスラは、自分の髪の毛のほつれを元に戻しながら、

「たかが誘拐です、アグちゃん落ち着いて!」

と、言い出した。


「たかが誘拐?たかが誘拐!」


 アグライアは菫色の瞳を大きく見開きながら、泣きぼくろがやけに色っぽいウルスラの顔を見つめた。


「生まれ変わる前だって経験がない誘拐をされているのよ?誘拐って、誘拐って!ウルスラさんどうするんですか!私!絶対に身代金を用意することが出来ないですよ!」


 舞踏会で婚約破棄をされたアグライアは、無一文の着の身着のままの状態でブザンヴァル王国へと移動をしてきたのだ。その後の初期投資に力を入れすぎた故、マイナスからプラスに転じることが出来ていない。


 プラスがないから貯蓄とか資産とかがあるわけでもない為、

「アグライアを返して貰いたければ金を用意しろ!」

と、例え言われても用意する金がないのだ。


「大丈夫ですよ、ダーフィト様が助けに来てくれますから」


 途中から森の中を抜けて悪路を進んでいるために、座席からお尻が弾んで仕方がない。アグライアはお尻がぴょんぴょん弾んでいると言うのに、ウルスラは片足を組んだまま微動だにしないのは何故だろう?


「ダーフィトさんが助けてくれる?何故?」


 今頃、商会で働いているはずのダーフィトが、アグライアが誘拐されたことなど知るわけがない。知るわけがないはずなのだが、とにかく金にうるさいダーフィトだから、借金をまだ返済できていないアグライアが無駄死にしそうな今の状況を、野生の勘を使って気が付いてくれることもあるかもしれない。


「でも・・いくら金の亡者だったとしても超能力者じゃあるまいし。私が危機的状況に陥っているのを『嫌な予感・・』とか言い出して、アニメじゃないんだから動き出すはずがないじゃない。でも・・あのダーフィトさんよ・・『アグちゃん、君がお金を返し切るまでは絶対に死なせないよ!』とか言い出して追いかけてきそうでもあるわよね・・」


 元々、ダーフィトに仕えていたウルスラは、アグライアの護衛も兼ねて側にいる。自分の主人がアグライアにとって『金の亡者』認定されていることに含み笑いを浮かべていた。


 そうこうするうちに、馬車は森の中の瀟洒な一軒家の前に停車をして、ぎらりと光る抜き身の長剣を携えた男たちに追い立てられるようにされながら、家の中へと移動することになったのだ。


 アグライアがウルスラと引き離される事もなく応接室へと案内されると、革張りのソファに座っていた一人の令嬢が、キリリと形の良い眉を引き上げながら、意思の強そうな眼差しをひたとアグライアに向けて、


「もう!あの人には近づかないで欲しいのです!」


 と、出会い頭に突然、切り出されたのだ。


 ちなみにこの令嬢、何処の誰なのかを、後に控えるウルスラは知っている。オリオール侯爵家の令嬢リーゼロッテであり、彼女の後の方では、白髭の年老いた執事がオロオロしながら右往左往している。


「あの人に・・近づかないでですか・・」


 アグライアは、お人形のように可愛らしい目の前の令嬢が間違いなく高位貴族の令嬢だということは、着ている衣服から何となく察することが出来るものの、何処の誰だか分からないし、令嬢が言うあの人が誰なのかも分からない。


 だがしかし、おそらく令嬢が言う『あの人』とは高位身分の令息であるのに違いない。アグライアのヘッドスパはおじさまたちに大人気となっているのだが、最近、確かに、高位身分の令息が一人、足繁くヘッドスパに通っているのだ。


 その人の名はジュエル・アデージュ侯爵令息!漆黒の髪に凍てつくようなブルーサファイアの瞳を持つ美丈夫で、瞳の色からか『氷の美貌』とも呼ばれ、年若い令嬢たちから大人気!だというのに有名な女嫌いのため、女性を近くに寄せない。その為、最近、一番彼の近くに寄って(頭のマッサージをして)いる女性はアグライアということになるだろう。


「なるほど!なるほど!ご令嬢は、あの殿方がお好きなのですね!」

「なっ!」

「わかります!わかります!あの近寄りがたいところが良いんですよね?あの難攻不落な雰囲気の男を是非とも落としてみたいと思っていらっしゃるんですよね!」

「せ・・せ・・赤裸々に言わないで!」


 顔を真っ赤にしながら驚き慌てる可愛らしい令嬢を見ながら、それならそれで、この機会を利用しようとアグライアは考えた。


「かの男性、難攻不落に見えますが、簡単に落とす方法を私は知っております」

「まあ!本当ですの!」

「ええ、本当です。ウルスラさん、あのプリント、こちらの御令嬢に渡して欲しいのだけれど」


 馬車から仕事道具を入れたバックを持って降りているので、例のプリントはウルスラが抱えたバックの中に入ったままのはずだった。


「こちらをお渡しする形で宜しいのですか?」

「ええ、もちろん!」


 令嬢は、渡されたプリントを手に取ると、並べられた文言に目を走らせながら、

「これで本当に、私はあの方を手に入れられますの?」

 と、半信半疑といった様子で問いかけてくる。


「絶対とは言いません。ですが、私は意中の男性を落とすテクニックを伝授いたします。講義は三回、五人以上集まれば開催いたしますので、お友達と揃ってご参加くだされば嬉しいですわ!」


「お友達と一緒に・・・」

 不安そうな表情を浮かべる令嬢に、アグライアは満面の笑みを浮かべた。


「講義の最中に、貴女様があの方を狙っているなんていう話は致しません。ただ、令嬢として持っていても何の邪魔にならないテクニックを伝授するのです。そして、そのテクニックは・・貴女様が好ましく思う殿方が、愛してやまないものなのです」


 アグライアが令嬢のヘーゼルの瞳を見つめながら断言すると、令嬢は一つ大きく頷いた。

「わかりました!この講習会に参加できるように手配を致しますわ!」

「それから、丁度、貴方の意中の方が愛してやまないものを持っていますので、これもサービスでお渡ししておきましょう」


 アグライアは、ウルスラのバックに入っていた『育毛剤』の瓶をリーゼロッテの手の中に置くと、

「可愛らしくラッピングしてくださいね!きっと喜ばれますよ!」

と言って、花開くような笑みを浮かべたのだった。



       ◇◇◇



「それで?そんな経緯があってリーゼロッテ嬢は僕に『育毛剤』を送ってくることになったわけ?」

 目の前の執務机の上に置かれた育毛剤を指先で突きながらダーフィトが問いかけると、報告にあがっていたウルスラは大きく一つ頷いた。


「第三王子であるダーフィト様の妃の座を、リーゼロッテ様は今でも狙い続けているのです。現在、年頃の国内の令嬢の中で一番身分が高いのは侯爵令嬢であるリーゼロッテ様ですから、アグライア様を煙たく思い、今後、近づかないようにと脅迫するつもりでいたのでしょう」


「それが何で講習会に繋がるのかな・・・」


 アグライアはお金集めの一環として、令嬢向けのマッサージの講習会を企画していた。マッサージ師志望の生徒たちが次々と嫁もしくは夫を見つけて結婚していくのを見送ったアグライアは、

「これ、貴族向けにやったらお金になるかも!」

と言って、結婚できずに置いていかれる悔しさ、悲しさを別のものに昇華させようと頑張っているところなのだ。


「ダーフィト様、失礼致します。宰相様より報告の件について、詳細なものが出来ましたのでお持ちいたしました」


 ダーフィトの執務室に入ってきたジョエルは、アデージュ侯爵家の嫡男。氷の美貌の異名を持つ男なのだが、最近、額部分が脱毛によって大きく広がってきているという悩みを抱えている。


「アデージュ侯爵令息、書類の件は礼を言う。ところで、貴公にプレゼントして欲しいと頼まれたものがあるのだ」


 若くして宰相補佐についた男は、連日の激務で顔色も悪く、美貌に翳りが見えている。そんな男の前に可愛らしいラッピングをした『育毛剤』を差し出すと、

「リーゼロッテ・オリオール令嬢から君へ、もしも機会があれば渡してくれと頼まれたものだ」

 と、ダーフィトは簡単に嘘をついた。


「な・・な・・な・・な・・」


 ジョエルの額は前髪を前におろしているため、若ハゲで広がっているようには到底見えない。何故、自分の若ハゲが侯爵令嬢にバレてしまったのか?


「最近、令嬢たちがマッサージの教育を受け始めているのは知っているとは思うのだが、その講義の中で、激務に耐える男性たちの多くが抜け毛に悩んでいるということも語られるらしい。その講義内容を聞いた令嬢が、貴公の健康(抜け毛)を心配したのかもしれないな」


「そ・・そんなことが・・」


 見かけが重要視される貴族社会において、結婚して子供も産まれた後で禿げるのは何も問題ないのだが、未婚でハゲると、令嬢たちの評判が一気に下落する風潮にあるのだ。馬鹿にされたくない、蔑まれたくない、その一心で、令嬢たちを遠ざけてきたというのに、リーゼロッテ嬢は、激務による自分の抜け毛を気にしてくれるだなんて・・


「礼として食事に誘ってみてはどうか?可愛らしい令嬢だから貴公も気に入ると思うのだが」

「は・・はい・・是非・・お誘いしたいと思います」


 後に、育毛剤のお礼として食事に誘われたリーゼロッテは、何の理由のお礼なのか全く見当がつかなかったのは間違いない。


「実は、私はこのような男なのです」


 一通りの食事が終わり、デザートを配膳するために人が誰も居なくなったレストランの個室で、前髪をさらりと上げて見せるジュエル・アデージュ侯爵令息の姿を見ると、リーゼロッテは飛び上がりそうになる程、驚くことになったのだ。 

 前髪が降りている状態であれば、全く分からないというのに、彼が髪を掻き上げるようにして上に上げれば、ありえないほど広くなった額が露わとなった。


「まあ・・まあ・・まあ・・」


 この時にはアグライアによる三回のマッサージ講習が終わり、エリートと呼ばれる王宮に仕える方々は、日々激務に追われて、令嬢たちでは想像もできないほどのストレスを抱えているのだとリーゼロッテは理解していた。


 ストレスは肩や首の筋肉を強張らせ、血流が悪くなることで頭部の皮膚自体も硬くなり、そうして毛根を包み込む皮膚の強張りと、栄養の失調によって毛が抜けていくのだとリーゼロッテは講義で習ったのだ。


毛が抜けている、それはそれほど仕事を頑張っている証に他ならないのだと勉強した(遺伝によるハゲはこの際、脇に置いている授業だった)リーゼロッテは、


「ジョエル様、何も恥じることなどないのです。ジョエル様の今のお姿は努力の証、日々激務に耐えるジョエル様のことを私は誇りに感じます」


と、涙ながらに訴えた。


「それに、私、最近マッサージの方もお勉強しているのです。ぜひ、強張ったジョエル様の肩や背中まわりをマッサージしてあげたいですわ」


 リーゼロッテの言葉は全て、ピンク色の巨大な矢となってジョエルの疲弊したハートを突き刺さったのは言うまでもない。


 しかも、いつでも時間がなくて頭のみのマッサージしか受けたことがないジョエルにとって、

「ぜひ、強張ったジョエル様の肩や背中まわりをマッサージしてあげたいですわ」

 と言うリーゼロッテの言葉は、女神の囁きのようにジョエルの耳元に木霊したのだ。



       ◇◇◇



「アグライア様!アグライア様!」

 高位身分の貴族の施術を行う離宮のマッサージ室で、次の部屋の準備をしていたスタッフの一人が、興奮した様子でアグライアを呼び止めた。


「聞きました?アデージュ侯爵家のジョエル様と、オリオール侯爵家のリーゼロッテ様の婚約が決まったそうなんですよ!ビックカップル成立で、王宮でも話題になっているんです!」


「へーそうですか」


 リーゼロッテに誘拐されたアグライアは、二人がうまくいくように差配したので、そりゃあうまくいくだろうとは思っていた。とにかく、リーゼロッテが『氷の美貌』と呼び声高いジョエルの若ハゲに抵抗感を持たないように、三回の講習会で洗脳を行った。


 まっすぐで単純なリーゼロッテは即座に洗脳完了となり、若ハゲは尊い!くらいの気持ちになっているのだ。


「私、ジョエル様は絶対にアグライア様を狙っていると思っていたんですけど」

「ないないない!そんなことがあるわけがない!」


 確かにジョエルはお金を積んででもヘッドスパをやりたいと強固に主張していたが、それは彼の『若ハゲコンプレックス』故のもの。若ハゲを認めてくれる令嬢さえ現れれば、彼はすぐにでも結婚できるスペックの持ち主なのだ。


「アグちゃん、良かったですね。誘拐されましたけど、無事に帰れましたし、講習目的の令嬢が増えるきっかけにもなりましたし、お金もこれで引き続き、ガッポガッポ稼ぐことが出来ますよ!」


「お金ね、稼いでも稼いでも猶、我が生活、楽にならざりだわ」


 そう言って自分の手をじっと見るアグライアは、下町に新規店舗を構えることを決意した。貴族身分の方々は到底、自分の恋人や伴侶にはなりそうにないので、下町で平民身分のイケメンを探しに行くことを彼女は決意したのだ。


 もちろん、新規店舗の準備費用は借金を作って賄われることになっている。

「うちのご主人様は・・鬼だわ」

 そんなアグライアの姿を見ながら、ウルスラはブルリと震えあがった。


 ダーフィトの妃の地位に固執していたリーゼロッテ嬢が、アグライア排除に動き出した際、彼は国を一つ潰す勢いで激怒した。


 だがしかし、アグライアがリーゼロッテ嬢の意中の相手がダーフィトではなく、若ハゲで悩むジョエル・アデージュ侯爵令息であると勘違いしているという話を聞き、静観をすることを決め、結果、アグライアに恋心を抱きかけていたジョエルと、鬱陶しいリーゼロッテ嬢を同時に排除することに成功したのだ。


 アグライアが下町に新規店舗を立ち上げるのを応援しているのも、最近、貴族令息たちがアグライアに色目を遣い出したから。近づく男たちはアグライアが知らない間に排除され、知らぬ間に恋人ができない状況が続いていく。


「私って魅力がないから貴族相手ではダメなのよ、下町のイケメンだったら、振り向いてくれるかしら・・」


 アグライアの独り言を聞きながら、きっと振り向く前に排除されているだろうと心の中でウルスラは呟いたのだった。


                    〈 リーゼロッテの場合 完 〉

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