第3章「気がついた二人は、幸せ者」


 男物のセーターなんて初めて編んだが、普段以上の集中力を発揮したおかげか、約束した期日通りに完成させることが出来た。

 彼のオレンジに淡く輝く腕に馴染み、尚且つこれから迎える冬に向けた暖色系――薄橙色のセーターにした。突起の目立つ右肩も完璧にフィットして包んでしまうシルエット。

 そう、完璧にフィットする。

 採寸の際に彼から聞いた衝撃の事実。まさか剥き出しの肌、というか患部? がそんなに敏感になっているなんて思いもしなかった。だが、これはむしろプレゼントにセーターを選択したことが幸いしたかもしれなかった。

 既製品の服だとピッタリとフィットし過ぎるが、私の手編みならば程よいフィット感で済むはずだった。これは、私自身がマフラーで感じたことなので間違いない。

 その理由は、決して私の技術が趣味程度のせいで通気性に優れ過ぎているという理由だけではない。もちろん中央等の都会で製造された既製品に比べたら、脆く不格好な出来栄えだ。だが、それは理由にはならない。

 私はエレアナに頼まれて編み物を始めたという経緯があった。それがきっかけとなって今は趣味にまでなっているのだが、私が何故それを頼まれたかというと、シンプルに言うならば私が暇で時間があったからだ。

 エレアナの診療所には火傷や怪我などでその患部に服を着れない患者も、たまには運び込まれる。そんな時、エレアナ考案の特製マフラーが役に立つのだ。

 モリスの魔力に浸した毛糸を使うことにより、この特性マフラーは傷付いた肌を保護してくれる。患部に張り付くことなく治療まで行えるこのマフラーを、タオルのように患部に巻くのだ。

 今回は患部の範囲が広いことと周囲の目を気にしてということで、作成するものはマフラーではなくセーターにしようと考えたのだ。

 きっとこのセーターならば、彼の敏感な腕も包むことが出来るだろう。

 作り慣れないセーターに最初こそ悪戦苦闘した。家まで様子を見に来たエレアナに笑われた時、私は絡まってしまった毛糸を元に戻しながら言ったのだ。

『編み物はね、失敗してもすぐに直せるから、だから私、好きやねん』

 その言葉にきっと、私の心すらも漏れていたのだろう。エレアナは安心したような笑みを浮かべて頷いてくれた。

 取り返せない失敗をしてしまった私は、“幸せ”にもやり直しのチャンスを貰えた。そう、これは幸せなのだ。絶対に、彼にとっての不幸にはさせない。

 それにしても……

――敏感って……私で興奮してくれるん……嬉しい。

 愛しい彼から貰った言葉は好き、結婚、と幸せこの上ない言葉ばかりで、更に女性として魅力的に思ってくれているという事実まで伝えてくれるなんて、私はなんて幸せ者なのだろうか。本当に、怖いくらいに幸せ真っ只中だ。

 今は診療所に向けて完成したセーターを片手に歩いている最中だが、周囲の目なんて気にせずスキップしだしてしまいそうで。

 家から診療所まではほんの二十分の距離だ。セーターは可愛い袋に包んでいる。一応、私から彼に渡す初めての贈り物になるのだから当たり前だ。

「すみません。診療所へはどちらに行けば着きますか?」

 浮かれた足取りに鼻歌まで混じりそうになったところで、私はそう言って呼び止められた。

 見ると道の真ん中に場違いな身なりの青年が立っている。燃えるような短い赤髪に、整った顔立ちをした美青年だ。年は私と変わらないくらいだろうが、その黄色の瞳はクレイ以上に鋭く、どこか冷たい空気を孕んでいた。それは呼び止めてきた声も同じ印象だった。

 服装は、中央の……多分、軍の魔術師らしき服装だろうか。モリスが着ている服に似ているが、黒を基調にしつつ赤を差し色として使用していて、どことなく攻撃的な色合いをしているのが気になった。

「えっと、私も向かっているところなので、一緒に行きますか?」

 彼はちょうど目的地の方向に背を向けて立っていた。田舎の村の道なんて舗装されている部分の方が少ないので、確実にこの村の住人ではない彼からしたらその方向に建物があるとは思わなかったのかもしれないが、残念ながらこの道が村の大動脈というやつだった。

 都会ならば『知らない人に声を掛けてはいけない』とか注意されるとモリスは言っていたが、ここは田舎の村なので、何の警戒心もなく私は彼にそう提案していた。すると、彼は少し間をおいてからこう言った。

「……ふむふむ。つまり君が、リグさんだね?」

 まるで直前まで何かと話していたかのような口ぶりで、私のことを突然見据えてくる。その不思議な黄色い瞳が私を中心に捉えた瞬間、周囲の空気がピンと凍り付いたかのように固まった。

 それが魔法の発動だということに気付けたのは、普段からモリスの魔法を目にしていたからだろう。不思議な黄色い瞳から目が離せない。身体が石のように固まり、喉が呼吸すらも苦痛に感じ始めている。

 頷けもしない私をよそに、彼は自分の言葉を疑うことすらしなかった。口から流れた言葉こそ疑問形だったが、その答えはわかっているのだろう。

「オレは中央の軍の魔術師なんだが、この村に逃げ込んできた『右腕が呪われたバケモノ』を討伐するように依頼を受けていてね。モリス先輩に久しぶりに連絡したら、診療所にいるって話じゃないか。あの人もまったく、人が悪い」

 そう言うだけ言ってクスクスと笑う。こちらの戸惑いなんて一切関係ないとばかりに、気が済んだのか笑いがおさまると「さっさと案内してくれないか?」と続けた。

「クレイはバケモノなんかと違う! ちゃんと人間で、もう体調も安定してるねん! やから、退治なんて必要ない!」

 さすがにその言い分はないのではないか、と私は咄嗟に声を張る。なんとか、声は出た。良かった。気圧されていた気持ちが、自分の声で勇気づけられるようだった。

 中央の方で怪しい動きがあるというのは、実のところエレアナから少しだけ聞いてはいたことだった。どうせ元婚約者が依頼主なのだろうが、どうにも彼女とその家族は『重い怪我を負ったという理由だけで婚約者を切り捨てた』という噂――そもそもそれが事実なのだが――が一人歩きし過ぎて肩身が狭い思いをしているらしい。

 そして令嬢様にしては酷く短絡的な思考ではあるが、噂の大元であるクレイが死んでしまえば、もう噂も流れないだろうと考えたのだ。エレアナから聞いた噂では、軍内でコネのある魔術師に声を掛けたが、それを察知したモリスが握り潰したとのことだったが……?

――なんでこの人、知ってるん? あの言い方、モリス先生が教えたってこと? クレイのこと……自分の治癒魔法で“救えん”から?

 私にとってモリスは、大好きなお姉さんの旦那さんだ。だが、大好きなお兄さんかと聞かれると、少しその答えには躊躇してしまうのが本心だった。

 モリスは素人の私からしても、きっと……エレアナよりも“優秀な先生”だと思う。ストイックに魔法に向き合い、日々鍛錬の日々。魔力の量そのものだけでなく、その技術も天才的だ。それが才能だけではなくしっかりとした努力の末であることも、本人だけでなく周囲も理解している。

 だが、それだけに……彼は完璧主義者だった。救えなかった患者に対して、口では謝罪と共に治癒魔法の限界を語るのだが、その心の奥底には強い敗北感が渦巻いていることを、私はエレアナから愚痴られたことがあったのだ。『救えずに苦しむくらいなら、いっそ殺してやりたいと思うよ』と、彼は微笑すら浮かべて零したというのだ。

 私だっていつまでも子どものつもりはない。安楽死というものを望む声があることも理解しているが、そもそもクレイは生きて私と結婚しようとしてくれている。そんな彼を、彼の気持ちを無視して命を奪うなんて絶対に許せない。

「君の言いたいことはわかったが、オレも急いでいるんでね。早くしないと、彼の“お昼寝”が終わってしまう。さすがのオレも抵抗されると困るからさ」

 この言葉で確信した。この男はモリスと通じている。

 彼が言ったお昼寝とは、クレイが毎日モリスに行われている治癒魔法の時間のことだ。その間は全くの無防備になってしまうので、そこを狙うつもりなのだろう。

 ぐっと拳を握って動かない私の態度に、彼もこちらの覚悟を悟ったようだ。にぃとその口元が歪み――魔法ではなく、言葉の刃が放たれた。

「クレイくん、だっけ? 彼は本当に君のことを愛しているのかな? 彼はもう戻らない令嬢のことを、未だ思い続けているんじゃないかい? 例えば……婚約指輪を手放さない、とか」

――っ!!

 その刃<言葉>は、どんな魔法よりも鋭利に私の心を引き裂いた。

 クレイの右腕――手があった部分には、その光が輝いていたのだから。

 その光は、炎のようなオレンジ色。まるで変異した腕がその色に薄く染まったかのような輝きは――私の指に光る色とは異なっていて……

 あの時、貰った指輪の色合いを思い出す。忘れたことなんてない。同じ色のお揃いの指輪。

 治癒魔法の用意をしながらモリスが控えめに『いっそのこと右腕を切り離すことも考えるべきだ』と助言しても、『この手には大事なものを握り込んでる。それだけは駄目だ』と頑なに拒否していた。

 その時には自らの身体を切り離すなんて考えたくもないのだろうと考えていた。だが、もしその理由が、変異に取り込まれる形となった大事な指輪のためだったとしたら?

「ほーら、心当たりがある。君は愛されていないようだね」

 にぃと口元を歪めた男は、私に診療所へ案内するようにと迫る。どうやらモリスには場所まで聞いていないらしい。街にひとつだからわかるだろう、とのことだ。

「……それでも……」

 だが、それでも、私はクレイに死んで欲しくはなかった。だって、彼はもう私の婚約者だからだ。何のために、誰のために頑張ったのか。手に持つ包みを握り締めて決意を改める。

――私は好き。クレイが好き! だから、ちゃんと本人から聞く!

 そのためにはこの目の前の男には、どうにか中央に帰ってもらわないとならない。

 その時、逡巡する私の頬を、小さな火の玉が掠めた。

「君……教えないつもりだね? 嫌いだな、そういう態度の女は。それに、さっきから……聞き苦しい訛りまで。モリス先輩も愚痴ってたな。『田舎臭い話し方を妻がするから、本当は引っ越したい』って」

「うるさいわ! ほんま、最低!!」

 人間、激昂すると語彙力は低くなるようだ。そんな発見をしながら私は、改めて男の前で両手を広げて立ち塞がった。周囲に他の村人の姿がないのが幸いした。男は診療所の方向すら知らないのだから。

 男はふんと鼻を鳴らしてから、魔法の詠唱を開始。男の前にゆらりと火の玉が複数浮かぶ。そして――

「……っ!!」

 男は何の躊躇いもなしにその火の玉を私に向かって放ってきた。容赦のないその攻撃に、私の足はがくがくと震えて動くことが出来ない。

 今更ながらに死の恐怖が襲ってきて、私は硬く目を瞑ることしか出来なかった。右手が燃えるように熱く感じた。

――あー、せっかくクレイと結婚するってなったのに……

 思い返すのは、今までの後悔だけだった。自分がちゃんと気持ちを告げていれば、こんな形にはならなかったのではないかと。

 火の玉は、目を閉じた時には目前まで迫っていた。だが、どうにもおかしい。いつまで経ってもその衝撃が襲ってこないのだ。

 恐る恐る目を開くと、そこには火の玉に向かって変異した腕を叩きつけるクレイの姿があった。剣先と化したその右手で、全ての攻撃を打ち払う。

 それはとても、美しい光景だった。場違いな感想なのはわかっているが、私にはそれが一種の儀式のようにすら映ったのだ。まるで、二人の過去を打ち払い、これからの未来に向けて歩き出すかのような。

 全ての火の玉を無効化したクレイの周囲には、キラキラと火の粉が舞っている。まるで王子様のように見えて、私は笑ってその背中に抱き着いた。

「リグっ!? 怪我していないか? こいつが……モリスの後輩か。揃いも揃って悪巧みしかしない」

「クレイ! あんた、全部知って……っ?」

 こちらを振り返らずにそう吐き捨てるクレイに、私は心底驚いた。ずっと仲良く接していた私ですらモリスの裏の顔を見抜けなかったのに、クレイはわかっていたというのか。

「モリスの田舎嫌いは中央では有名だった。あいつは俺を殺して、お前とこいつを中央で結婚させようとしていたみたいだ」

「へっ!? 私が、こんな男とっ!?」

「おいおい、計画がバレているのは仕方ないが、オレの名はマルスだ。そんな軽蔑した目で見るんじゃない。まったく、軍で言われていた『汚らわしいクレイ<粘土野郎>』とは、よく言ったものだな」

 おそらくクレイの名と変異した腕のことを差して、『粘土野郎』なんて呼んでいるのだ。なんて酷い。魔術師には人の心がないのだろうか。

「抜けた軍のことはもう、どうでも良い。だが、俺にはもうリグという婚約者がいてな。素直に殺されてやることは出来ない。それに、どうやらお前の得意魔法と俺の腕は、相性が最悪のようだが?」

 私を背中に隠すようにしながら、クレイはそうマルスと名乗った男に向かって、眼光鋭く言い放った。

 リグには魔法の属性等の知識がなかったのでチンプンカンプンだったが、本職のマルスには思うところがあったらしく、小さく「モリス先輩、話が違うじゃないか……」と零し、その場に爆炎を発生させて姿を消した。

 爆風が私達を襲ったが、クレイに庇われたおかげで全く怪我をすることもなかった。

 目の前から男がいなくなり、ようやく緊張の解けた私はそのまま地面にへなへなと座り込んだ。

 そんな私にクレイは、優しい笑みを浮かべて左手を差し出してくれる。

 嬉しい気遣いのはずだったのだが、私は今更ながらマルスが言った言葉が脳裏を過ぎり、その手を取ることを躊躇してしまった。

「……どうした?」

「……その右手の指輪……なんで外さへんの?」

 拗ねるような、とても大人とは思えない声に、自分自身が嫌になった。だが、聞かずにはいられない。今、この時を逃しては駄目だと、あの時の私が言っている。

「ああ。指輪だって気付いてたのか……俺達にとっては思い出の品だからな。でも、リグは新しい指輪の方が良かったか? 結婚指輪」

「えっ!? その指輪って、私にくれたあの指輪?」

「そうだよ。見たらわかるだろう? ほら」

 そう言ってクレイは私の右手を取って、そこに光る光を見せてくれた。穏やかな炎のような、優しいオレンジ色の光が、そこにあった。

「あれっ!? 同じ色になって……えっ!? なんでなん!? 今朝見た時はこんな色じゃ……」

「やっぱリグは知らんかったか。これは『フェニックスリング』って言って、炎の魔力を浴びると“生まれ変わったみたいに”色が変わるんだ。それが炎の中で復活する伝説の炎鳥みたいってことで、その名がついた」

「復活……フェニックスリング……」

「俺の指輪はこの腕の変異の時に炎の魔力に炙られたからで、リグのはたった今、だな」

「そう、やったんや……」

 息を吞む私に、クレイはふっと小さな声を零した。

「……まるで、俺達みたい、やな」

 くしゃっと笑う彼の言葉には、懐かしい訛りが少し出てきてしまっている。そんなところすらも愛しくて、なんだか本当に生まれ変わったかのように心が洗われる。

「こんなん……実質新しい指輪やん」

「そうだな。俺達に一番相応しい結婚指輪かな」

 今度こそ、私の方から彼の手をバネに立ち上がり、その強くて逞しくて、そして――愛おしい身体に抱き着いた。

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