史上最低のボディガード_ドス黒い不幸に愛されて
@Mainecoon
第1話 幸せの音
人生で最も重要なものは何だろうか?
金か?
地位か?
美貌か?
違う。
金持ちだって事故で死ぬ。
偉いやつだって病気になる。
美人だって悪い男に追い回される。
どんな特徴も一長一短。
しかしそんな法則の中、たった一つだけある例外。
人生に幸せの花を咲かせる最高の栄養。
それはーー
「ーー『運』だよ、ミラ」
寂れた街の路地裏に立つボディガード事務所『猫の館』。
手狭な事務所の最奥にあるこの部屋は、執務室兼応接室だ。
床一面が本で埋もれていて、木目すら見えない部屋。
来客用のソファやテーブルも本の海の中だ。
そんな中で俺は今、絶妙なバランスを保ちながら椅子に座っている。
魔法で真っ黒になっている腕を組み、同じように黒くなった足を机の上に放り出していた。
行儀が悪いとは分かっているものの仕方がない。
本を踏みつけたらコイツが静かにキレてしまう。
俺の正面に立ち、蒼い瞳を向けてくる部下のミラだ。
スラリとした細身の体型で、亜麻色の髪が流れるように腰まで伸びている。
羨ましいほど綺麗な顔に長いまつ毛。
そこから覗く蒼色の瞳は、雪のように白い肌とあいまって冷たい印象がある。
つまり、黙っているだけで凄まじいプレッシャーを放ってくるわけで……。
「いいかミラ?生まれた場所が大富豪の家かスラム街か。天才か凡才か。美しいかブサイクか。そして、それを維持できる幸運に恵まれるか。生まれた瞬間もその後も、この世は全て運に左右される。あぁなんて残酷な世の中ッ!なんて残酷な運命ッ‼︎」
「……………」
おかしい。返事が返ってこない。
美人の鋭い視線はキツく感じるのが相場だが、それにしても今日は刃物を思わせるほどだ。
流石に口をつぐみ続けるのもキツくなってきた。
「……ッ。ミラ聞いてくれ。俺だって残念なんだ」
「…………」
「やめろ、そんな目で見るな……この部屋のが散らかってるのは俺のせいじゃない」
綺麗好きであるミラにとっては、さぞ耐え難い部屋なのだろう。
だが何度も言うが仕方がないのだ。
俺が部屋にいれば、『不幸』にも本が落ちてきてしまうのだから。
「私が怒ってるのはそこじゃない……その後のこと」
「その後?」
「その本はどうするの?」
おかしな事を聞いてくるものだ。
大切な本が落ちてしまったのだから、やる事なんて一つに決まっている。
「放っておくに決まってるだろう。本棚に戻してみろ。また大切な本が床に落ちるかもしれないじゃないか。傷んだらどうする?」
「…………」
おやおや。
俺の完璧な理論にぐうの音も出ないらしい。
勝ったな。
俺は今、この部屋を掃除しなくて済む権利を勝ち取った。
ダメだ。まだ笑うな。
笑ったら殺される。
喜ぶのはミラが部屋を出て行ってからだ。
「いいから早く片付けて。『ディアナ』」
「……ん?」
気のせいだろうか。
今なにか耳障りな言葉が聞こえた気がする。
いや、そんなはずはない。
ミラは人の嫌がることを、まして人が最も呼ばれたくない名前を口にするようなやつじゃない。
「ディアナ、早くして」
「やめて……本名で呼ばいなで。男らしくない名前だって気にしてんだから」
降参だと言うかわりに、両手を上げて首を振る。
もう下らない争いなんてやめようと。
仲良くしようと言うサインだ。
だがその瞬間、ミラの口角がほんの少し、意地悪そうに上がった。
「女児向けのお人形みたい。ちょっとセンスのないフリフリの服が似合う、痛々しくウィンクしてそうな名前。『ディアナ・ハート』ちゃん」
コイツは心をえぐる職人なのか?
何を食ってたらそんな言葉が思いつくようになるんだよ。
ああ、何だか心が痛くなってきてしまった。
「イタタタッ。心が折れちゃったな。もう今日は動けそうにない。これじゃ掃除できないな。今まさにやろうとしてたのにな」
恋する乙女のように胸をおさえてみる。
さぁ罪悪感を心に刻め。
そして言うんだ。
言いすぎた。掃除は私がやっておくから、ディアナは休んで、と。
さぁ‼︎
「……ディアナ」
その瞬間、部屋の中なのに風が頬を撫でてくる。
ミラの髪がユラユラと浮き上がり、床に落ちた本までパラパラとページがめくれた。
「ミ、ミラさん?なんで指先をこっちに向けて……。嘘だよね?室内で魔法なんて」
「ウィンド・アッパー」
「エ゛ェ゛ッ‼︎」
勢いよく放たれた風の弾丸に腹をえぐられる。
めんどくさくなったからって暴力に訴えるなんて。
人間じゃねぇ。
だが甘かったな。
ミラは俺の覚悟の強さを知らない。
この程度で俺が屈すると思われているとは。
片腹痛いわ。
「ぜ……絶対に、掃除なんてしねぇ。俺の心は、折れねぇ」
「ウィンド・アッパー。ウィンド・アッパー。ウィンド・アッパー」
「エ゛フゥ⁉︎ヴェッ‼︎ワ゛ェェ‼︎…………ごめんなさい。片付けます」
勘違いするな。
これは敗北ではない。
馬鹿馬鹿しくなっただけだ。
争いという人の営みが。
俺の精神はこの1秒で急成長し、大人の対応ができるようになった。
つまり俺は、人間としてミラに勝利したのだ。
「助かったなミラ。俺が理性的で」
「…………」
「ごめんなさい。マジで許して。片付けるから。今まさに立とうとしてるから」
仕方ない。時間はいくらでもあるのだから、ゆっくりと片付けよう。
客が来るかもしれないから早く、なんてことは考えなくていい。
ウチの事務所は閑古鳥が大合唱してるのだ。
まさか今日に限って客がくるなんて不幸なことは……。
「お客さんなら来てるよディアナ。耳をすまして」
「うそでしょ?」
言われるがまま耳に神経を集中させると、トンッ、トンッ、トンッ。
かすかに聞こえる、こちらに向かってくる一定のリズム。
足音の軽さからして女。
しかもこの音。もしかして本革か?
最高という表現では控えめすぎる展開に、思わず頬がゆるんでしまう。
ついに俺の事務所にも来てくれた。
幸せの青い鳥。
金の匂いがする依頼人だ。
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