観測記録の断片3 せめて満足いく結末を(4)

ここまで読んで頂きありがとうございます、これにて第一話がエピローグを残して終了しました。何か設定や進行上良くわからない事があれば質問していただければ、返信させていただきます。


そして前回語った事、感じる違和感と言うか、なんで?部分についてのお話を、きっと読んだ人には何故主軸四人以外の名前を頑なに出さないんだという事が、気になる方が多分、恐らく、きっといらっしゃたと思いたいです。


これは私の全前作とかを読んでいれば、わかる可能性があるんですが、その理由は単純に私が設定を考えるのが面倒だからです、故に全前作の作品でも敵役は重要な一人を除いて、モノローグというモノを殆ど書きませんでした。入れたら長くなるという理由で削ったという理由もあるにはあるんですが、その分の文字数を主軸の人間に回して書こうというのが、私の本音です。


必要なキャラであれば、設定を作り文章を作る事はありますが、大して出番がないのであれば、地の文、この作品だと傍観者ですね、それに語らせればいいやという手法で書いてみました。まぁ文を上手くするための練習でもあるので、実験的なモノです。


本文編集

 1月中旬、共通テスト当日。出雲芽生と小山伊織はいざ試験に挑まんという気持ちで試験場に来てはいなかった。厳密にいえば片方は欠伸をし、凄くリラックスしている様子だが、もう片方は今にも吐いてしまうのではないかという様子、両極端過ぎるその姿を見る受験生達は共感するのか、それとも悲観するのか。


「いおりん、緊張しすぎー今までの努力を思い出して、はーい深呼吸―。吸って―、吐いて―、そうそうその調子だよー。その感じじゃ朝ご飯も全部もどしちゃったかな?まぁ今から食べるのもキツイだろうから私のあったかいお茶一口飲む?落ち着くよ?」


「貰うー、んぐっ……落ち着いた。……でも不安だー!ここでミスったら全てが終わる気もしてきた、芽生ちゃん本当にどうしよう?」


 今日の朝、ここに来るまでの道すがら、小山伊織は不安だと叫び、芽生に支えられながら、最後の最後まで予想問題に喰らいついていた。


 「不安だー」と叫び「今までの勉強不足がー」と嘆き、そしてふと自分を顧みて愚痴を止めた、そこからは最後の最後まで勉強をして、知識を思い出すを繰り返し、嘆くのを辞めようと今さっき、悟った後にまた小山伊織は、不安で発狂をしかけていた。


「大丈夫だってー、共通テストで全てが決まる訳ではないんだし、いや決まるか?………まぁ大丈夫だって、私が難し目に作ったテストも合格点取れてたし…、んー、大丈夫大丈夫―」


 小山伊織の背中を、芽生はバシバシと叩く。痛みというモノが緊張をほぐす効果があるのかは痛みも緊張も知らぬ私では知る由が無いが、だが小山伊織の表情を見れば一目瞭然だった、彼女の瞳は揺れる事無く前を向いている。


「うん、大丈夫そうだね。その調子でファイトー、じゃ私テストまでうたた寝してるからー」


 ふぁあと欠伸をしながら自らに用意された席に戻るその姿は、果たして小山伊織や、その他芽生を知っている同級生からは、どう見てただろうか?相変わらずの自信とその自信に恥じない実力を持った嫌な奴という認識だろうか?それとも死にかけの男を好きになった哀れな女として見ているか?けれど芽生の心情はこうだ。


「早く終わってくれないかな?公命君に会いに行きたいんだけど、終わるまでは一旦我慢って言われちゃったし…、はぁ憂鬱…」


 普段と何も変わらなかった。芽生の根底にあるモノは、やってきた努力への絶対的信頼と、圧倒的自信だ。練習は本番の様に、本番は練習の様にと人は言うが、それができたら苦労しないと言い返したくなるだろう。


 けれど芽生にとっては当たり前の事考えだった、今までの成果を出す為だけの場、殆どの人間が考えるその後の将来などは何一つ眼前には存在しないのだ。


 そこは今までの努力を証明する場、それだけの意味しかない。故に結果は始まるその前に決まっていた。一度解いた問題、そしてそれに類する問題なんてモノはただの、これはAですか?と眼前にボードが出され、はいそれはAですと答えを見ながら答えを言っている事と何ら変わりは無かった、詰まる所、芽生が手にした再現性という才能を使うまでも無く、至極単純な事をやる事に変わりは無いのだ。


 一度はどこかで目にした事のある様な問題を少し改変した、問題群を全て解き終わった時、試験が終わりを告げる。二日間の懲役刑にも感じたその時間も、終わってしまえばあっけないモノであった。


 嘆くもの、手応えを感じるモノと反応は様々であったが、芽生は少し辺りを見渡し、一心不乱に虚空にガッツポーズをしながら電話をしている姿を見つけ。芽生は少しばかりホッとしていた。誰もが自分と同じにはなれないという事は理解している、故に自らに対しての不安はないが、他人に対しての不安は心の中に存在した。けれどその不安も気にする事はなくなった。


「うーん、二日ぶりの公命君、元気だといいけれど」


 そんな期待すらせずに、日課のだと言わんばかりに試験を終えたその足で病院に芽生は足を運ぶ。


 そこには何一つ望んでいない結末が待っていたとしても、彼女はもう歩みを止める事はしない、覚悟をしていた事だからと、そう心に言い聞かせてでも彼女は運河公命が望んだこととして、後ろを振り返らず、それでもと、それ故にと。




「こうなるんじゃないかって、こうなる予兆があったから私に会いに来るなって言ったの?」


 そう芽生は質問する、けれど運河公命から反応が返ってくることはなかった、心電図計が無情に規則的な音を鳴らす。決して生命の活動が終了した訳でも、物言わぬ返事のない植物状態になった訳でもない、ただ運河公命の体が完全に限界に達しただけであった。


「返事をしてよとは言わないけど、声を聞かせて欲しいな、手を握ってよ、あのクリスマスみたいにさ…。来月には東大の二次試験を受ける為に東京行くんだよ?私を送り出すって目標にしてたじゃん!誕生日を祝ってくれるって祝える様に頑張るって…言ってくれたでしょ……」


 静かな慟哭が病室に響く、芽生は運河公命に対し怒りなんてモノはない、ただわかっていた結末というのには、まだ納得できていない。心の整理をつけようとしても自分の事を一切制御出来ない。


 生まれて初めて、芽生は挫折というモノを味わっていた。芽生が何かする事が出来たか、どうやれば少しでも運河公命を元気な姿で保てたか、そんな終わりもなく意味も無い、もしも、ifを演算する。


 けれども最後くらい最高に生きたいとあの日、偽装で付き合う事を決めたあの日の運河公命が語った言葉が芽生の頭をグチャグチャにする、どうしてもあの言葉にそぐわない方法を取らなければと考えてしまう、それは彼女自身が既に認めてしまった証拠でもあった、運河公命が望んだ道ではきっとこの道を辿る、けれどそれを否定しまえば彼を否定し、工程すれば今までの演算が無駄になる、もう決まった今を変える術が無い芽生がしている事は無駄そのものだ、でもそれでももしもがあったのならと考えずにはいられなかった。


「……………め……ぃ?………」


 強力な薬によって、もう今が夢か現うつつか等わかっていないだろうが、それでも運河公命は出雲芽生をどこまでも想っていた。自分はついていけないから、芽生には頑張ってほしいという願いを込めてなのかもしれない。


「………っ!………うん、ちゃんと報告しに来るから…待っててね公命君…」


 頬に優しく唇をつける、これは芽生なりの証明だ、今できる全てを終わらせたら、全て上手くいったぞと報告をする、これはそういう証明だった。


 キスにつられてか、芽生が握っていた運河公命の手を、彼は弱い力で握り返す、それがただの反射的反応に過ぎないとしても、その振り絞った力だけで芽生には力が湧いた。


「君…、起きてるでしょ?なんてね、私頑張るからサ、そこで見ていてね」


 芽生は病室を後にする、今やれる事を全て実行してしまおうと、急いでの帰路についた。自分の為の努力をしてきた芽生が、誰かの為の努力をする。それはきっと彼女が人のフリをした怪物から、人になった瞬間でもあった。


 冷酷で冷徹、自分の損得で全てを思うがままにし行動する怪物が、今初めて全て思うがままじゃなくていい、ただたった一人に誇れる自分になりたいと行動しているのだ、それを人になったと例えず何というのか、私には分からない。


 だから私はこう唱える『頑張れ芽生、踏ん張れ公命』と、何もできない傍観者がするせめてもの祈りだ、人の応援は人に力を与えるというのなら、例え誰からも観測されない傍観者の応援でも力になってくれると嬉しい、そうであってほしいし、そうであるのならそれは素晴らしい事じゃないだろうか?




 3月14日、世ではバレンタインデーのお返しをする日、お菓子メイカ―の陰謀で生まれたのか、それとも聖バレンタイン神父の世界の恋人に対する救いの手か、それを知る由も無いし、私は知る気も無い。


 そんな事はどうでも事で、それよりも芽生にとってとても大事な一日であった。マサチューセッツ工科大の合否発表日、故に芽生も心臓をドギマギさせながらその一報を…。


「お父さん?買ってきてッて言っておいてっていった卵買ってきたー?」


「あー、すまん忘れてた……、休みだし買ってくるよ」


「いや、いいよ今日も公命君所行くから外でるし、帰り買ってくるよ、安い日だし」


「なんかやっておくことあるか?」


「いやなんかキモイよ、お父さん…、言語化できないけどなんか変…、お金なくなった?」


 実の父親に放つ言葉とは思えない言葉を、芽生は曇りなき澱んだ瞳で、何一つ嫌味なく血の繋がった父親に全面的信頼を持ちながら、問うてみる。


「いや違うよ!なんか今日はお前にとって大事な日だろ?だから、えーっとその…」


「あぁ大丈夫大丈夫気にしないで、落ちたとしても東大は受かったから別に落ちても…、まぁ公命君が誇れる人になりたいし、受かりたいって気持ちはあるけどサ」


 打てるだけの手を打った、既に価値は無いと思っていても、芽生はいつも以上の努力をしていた。勉学も更に完璧に、身体能力にも磨きをかけ、普段から気をつける事がなくても目を引く見た目を、少しばかりおめかしをして魅せた。少しでも、最後の最後まで恋した人が誇れる自分である様にと全てに置いて完璧な努力を追求してきた。


「まぁ落ちてたら…、うーん…ケーキでも買ってきてよ、それかリビングの掃除しといて、じゃ行ってくるねー」


「ほーい、気をつけて行けよ、今日晴れてるから滑るからなー」


「お父さんこそねー、私は去年捻挫したの忘れてないから」


 昨年の冬、あれは猛吹雪が明けた次の日、今日の様に快晴という訳では無いが、日差しが程々にありそしてとても気温が上がった日の事だった、芽生の父は仕事に行くと行ったっきりその日は帰ってこなかった日がある、不安になって芽生が電話をかけても電話は繋がらず、学校を休んでまで父の会社に顔を見せに行くと捻挫して痛いから会社で寝泊まりをしていたという報告を受け、実の父親をまるで子供の様に縮こまらせるほどにブチギレた日があったのだ、これは芽生の数少ない運河公命に知られたくない事でもある。


「もし大学落ちてたら病院でこの話しよっと…、よいしょっと…、歩くか、運動がてら」


 芽生の住むアパートから医科大学までは決して近くも無い、結論から話すと間違いなく歩く距離ではない。けれどやはり幾ら表情に出ない、落ちても受かっても納得が行く芽生であっても少しだけ胸騒ぎの様な、高揚の様な何かがあった。


 恐らく先に医科大学に到着するであろう、小山伊織にメッセージを送る。


 芽生は小山伊織と久しぶりに顔を合わせる、恥じない自分をという事で全ての努力をした甲斐があってか、東京大学の試験を完璧という形で終わらせた芽生と同じく、立花巴の想いに応える為に小山伊織も死力を尽くしていた。


 その甲斐あってか、小山伊織は志望校であった北海道大学に無事合格、そして正式に立花巴とのお付き合いがスタートした訳だ。その報告を受けて芽生は、やっとかという気持ちと同時に、どうせなら運河公命にも報告しよう、芽生自身の合否判定に合わせれば手間も省けるとして、今日運河公命の病室に集まる約束をした。


「といっても、ただの惚気になりそうだなぁ、まぁ私もいおりんには沢山惚気たし?お互い様って言えばまぁ……、うーんでもなぁ、立花君の活躍気に入らないなー」


 小山伊織と正式にお付き合いする事が決定し、心の楔が吹っ切れたのか、それとも芽生が思ってた以上に立花巴という人間は野球に関しては天賦の才を有していたのか、3月から始まったオープン戦でも1軍に残り、今までの新人とは何かが違う、もしくは桁が違うとも言える成績を残していた。


「付き合った後日に3打席連発は……、なんかムカつくなぁ、あの秋の時も付き合ってたらもっと実力上がってたか?……あー、弱い状態の立花君ボコったってことじゃーん」


 ポテンシャルを遺憾なく発揮した、相手をボコボコにしたいという芽生の先天的に宿っていた勝負事に対するサディズムが暴走しかけたところで、着信が一件入る。


「もしもし?お父さん、なんかあった?」


「いや、なんか芽生の作った会社の人でお礼を言いに来たっていう人来たから、それだけ伝えておこうと思ってな、多分医大向かってるって言ったけど…、ていうかその音…芽生まさか歩いていってるのか?」


「え?うん、運動がてらね。まぁわかった、誰だろ?名前聞いた?」


「いや、居ないって伝えたらすぐ帰ったから名前は聞いてないけど…聞いといたほうがよかったか?」


「常識的にはね…、まぁいいや、会う事があれば誰かわかるでしょ」


 通話を切り、スマホをポケットに戻す。イヤホンというモノに利便性を覚えながらも、ざっくざっくと少しだけ残った雪を足で固めながら芽生は医科大学へと向かう。


 イヤホンをしながら歩くという行動は、周りの音が聞き取れなくなり、危険察知が遅れるという事から、決して褒められたモノでは無いが、そもそも北海道のましてや冬の外など耳を覆わなくては凍傷を起こしても然程不思議ではない。ならば暇つぶしに音楽を聴いているのが一番だというのが芽生の持論だった。


「それにしてもいつ来るんだろ?もうそろそろ医大も見えてきたし、着く前には来るかなって思ってたんだけれど、来ないかな?」


 一度スマホを確認したその時だった、通知が来た。丁度求めていたタイミングで、求めていた場所からの通知が来た。ササっとスマホのロックを解除して中身を確認する。


 結果は合格、晴れて9月から貴方を我が校に歓迎しますという文面が、そこにはあった。


 然程驚きもしなかった、嬉しくない訳では無いが、現実味が少し無かったというのが芽生の心境だろうか?自分でもこのような感覚に陥るのかと、芽生は自らの胸に当て、その心臓の音を確かめる。


 ドクドクといつもより、僅かにだが心臓の鼓動が早く、心臓の高鳴りを感じた。自分の頬を引っ張り一応現実かどうかを確認してみるが、痛みはありやはり現実だという事を、世界に示された。


「あー、学校に報告…は、後でいいか。公命君に送ろう、てかバスが今来たよ、このタイミングだったらバスに乗ってくればよかった…」


 バスターミナルにバスが入って行くことを確認し、少しだけ芽生自身の計画性の無さを自覚し始めていた。やろうと思えばできる、その所為か即断即決で行動してしまうのが芽生の欠点なのかもしれない。


 バスターミナルから病院へ向かう人、何故か病院から離れる人、それぞれの行動はまちまちだが、間違いなく今回ばかりは芽生の判断ミスではあった。


 一番伝えたかった人に、一番自分の活躍を信じてくれた人に、一番自分を好いてくれた人に受かったという報告のメッセージを送る。


 するとポコンとメッセージ一件通知される、もう碌に意識を保てていない筈の運河公命から届いた、間違いなく彼からのメッセージが届いていた。


 アプリを開きメッセージではなく、動画媒体という事を確認し、その動画を流し。その場で立ち止まる。


「あーテステス…やっほー、12月中旬の運河公命です、見えてる?実はテイク2だよー?」


「なんで教える必要があるの?」


 何故かテイク2である事を強調した事から、ファーストテイクは恐らく撮影者のミスでおじゃんになったのであろう、それを煽っているのだという事が手に取る様にわかった。


 そして今は知りたくない事が、動画を流し始めた瞬間にメッセージとして通知される。小山伊織からであった、内容はシンプルで。


《芽生ちゃん今どこ?公命、今朝亡くなったって、今病室に着いたら公命のお母さんが》


 合格した事を知らせ、すぐに返信が来たのは誰かが運河公命のスマホを見ていたから、そしてこの動画はきっと。


「ネタバレが早すぎるよ、いおりん…」


 悪い事をした訳ではない、ただもう少し、もう少しだけタイミングを遅くしてほしかったというのが、芽生の本心だったのだが。まぁ誰も悪くはない、仕方ない事だ。


「この動画を芽生に見せたという事は、俺はもうお陀仏しているという事になります」


 そういう事だ、態々芽生が頭を働かせなくても、運河公命が口頭で一語一句説明してくれている、ぼんやりと澱んだ瞳で画面を見ながら、とても重く感じる足をなんとか前に出し、運河公命の下へ行くための一歩を踏み出した。


「って、姉ちゃんまだ泣くの早いって、これから良い事言うんだから……、またスマホ落とさないでね?取り直すのも面倒なんだからさ」


 最初のアレはそういう事だったらしい、姉に対する嫌味だった。運河公命は変わらないなと、その言葉を聞いて芽生の口角は少しだけ上を向く。


「まぁ、そのゴメンネ?クリスマスデートに、受験の送り出し、そして合格祝い、どこまでの目標を達成できてるのかは、流石に今の俺には分からないけど、最後は無理だったって事で…」


 画面はもう見えない、芽生は大好きな人を失ったという事を突きつけられ、涙が溢れだす。だからせめて上を見ようと上を見上げる。


 今日は雲一つない快晴、そんな日に合格を知らせられて、そしてそんな日に運河公命は死んだ、少しだけそれを芽生は嬉しくなる。


 曇りしかなかった筈の、彼の人生が最後の最後で晴れたように感じて、そのきっかけを作ったのが自分であるという事を、今の芽生は胸を張って言えると思う、誇れると思うのだ。


『でも自分の口から伝えたい事があって、この動画を残します。大学でも頑張って…、これからの人生でも頑張って…、出来る限りでいいから俺の代わりに長生きして…、できれば俺の事をずっと引きずって…、そしてもし来世があるのなら、その時はちゃんと約束を守るよ…、だから芽生は、これからの人生を頑張って、俺はここまでの人生は頑張ったからサ』


 力が入らなくなって、芽生はスマホを落としてしまう。少し高い位置から落ちた反動でイヤホンは抜けて、スピーカーで運河公命の声が外へと響き渡る。


『芽生……、俺の事は忘れて幸せになって…………ください!……』


 スマホを拾う事は無い、ただその涙まみれの濁りきった瞳を空に向けているだけだ。まるで時が止まった様に、ただ瞳だけは空に向いている。


『芽生……、最高の1年を作ってくれてありがとう!……俺は芽生の事が世界で一番大好きだ!……ング……ゥグ……』


 事前に取られた動画だ、故に芽生は返答をしない。そもそもその言葉を聞いているのかさえ私にはわかりはしない。聞こえているのか?出雲芽生?


『あーテステス…やっほー、12月中旬の運河公命です、見えてる?実はテイク2だよー?……………』


 止められる事なく、出雲芽生のスマホから運河公命が最後に伝えたかった動画が流れる。いつまでも聞いている、いつまでも聞こえている、いつまでもきっと彼女の中にその声が響いていた。








 今流行りの曲が流れる。北海道より遠い場所に居る立花巴のスマホの着信音だった。


 現在は試合前、親友である運河公命の死を知らされて、若干顔面蒼白になっている所を、コーチに大丈夫かと聞かれ、なんとか気持ちに整理をつけ終わった後だった。


 そんな中忙しなく、スマホが鳴り続けている。小山伊織からの知らせ、立花巴は運河公命の死を知った。そんな中、また小山伊織が電話を掛けてくる筈がない、小山伊織からでなければ別に出る必要性も感じない、故に無視を決め込む。


 けれど時間で切れても、二度目、三度目と何度も電話がかかってくる。


 こんな日に誰だと、一度電話にでて文句を言ってやろうとスマホを起動すると。そこに表示された人物は恋人である、小山伊織だった。


「伊織?どうしたの?試合前だし、ちょっと今は気分落ち込んでて、構ってあげられる状況ではないんだけど……」


『…ッ…、そんなんじゃない!早くテレビ見て!全国ニュースになってるから!』


「今じゃないとダメか?」


『いいから!早く!』


 怒ってるような状態で電話を掛けられ、立花巴は何かしただろうかと、疑問に思いながらも通話は終了せずにテレビをつけて見ていたコーチに断って、リモコンを借りようとする。


「コーチ、ちょっとリモコン借りていいですか?ニュース…見た……く…て?」


「あぁ巴か、ニュースなら今やってるぞ?お前の住んでた旭川で結構エグめの事件があって取り上げられてる……ぞ?…、おい、大丈夫か?」


 テレビの画面には、大きく見出しが表示され、現場に居るアナウンサーがただ状況を知らせてくる。


【北海道旭川市で殺人事件、高校卒業したての少女…その身に一体何が?少女と犯人は会社の元社長と社員】と表示されている。


 それだけならば、何も問題は無かった。ただ表示されていた被害者の名前が問題だった。


 出雲芽生さん(18歳)病院に運ばれるも、死亡が確認。


『関係者の話によると、加害者側は出雲さんの作った会社の元社員で、社長の席を譲られ、そして社長就任後、出雲さんが残した指示を無視し、独断で事業を進め経営が悪化、そして社員には出雲さんが悪いという事を言っていたという報告が入ってきています』


『ありがとうございました…いやぁー、完全なる逆恨みで無辜な少女の命が奪われるなんて事、許されませんね』


 そんな言葉がテレビから流れ、立花巴は電話から聞こえる小山伊織の声を聞きながら、力なく膝をつき力なく両手を地面につけた。




 私は傍観者だが、一つだけ言わせて欲しい。もしこの世の世界に生きる人間の人生を書いている私以上の上位存在が居るのならば、私はそいつを許さない。


 どうしてこんな何も残らない結末なんだ、どうして瞳を澱ませ、魂を狂わせた彼らの人生の終わりがこんなモノなんて、私は到底納得がいかない。


「ふざけるな!誰が認めるか!こんな結末!」


 怒りで虚空にあるありもしない地面を殴り、意を決し私は視線を上げて。息が詰まる。


 魂を変質させた、そして彼らの望みが生み出した悲劇が目の前に存在した。


 ありとあらゆる世界、ありとあらゆる場所、ありとあらゆる時代、私達が傍観する全て観測点に彼らの魂が浮かびあがる。


 観測済みの世界にも、未観測の世界にも、だから私は顔を手で覆った。


「そんな酷い事があっていいのか…、彼らが一体何をしたって言うんだ!」


 ありとあらゆる可能性を巡り、彼らは初恋を成就させようとする、それはわかっていた。けれどこれでは余りにも救いがない。


 彼らは一体何度、何一つ達成する事のない恋を続けないといけないのだろうか?


「…………でも…わかった、ならば私がやるべき事は一つだ。君達が全ての可能性を巡るというのならば、私がその全ての可能性を観測しよう。幾つもの失敗した恋の先に観測し確定付けられた幾つもの絶望の先に、君達が報われた恋を私が証明してみせる!」


 これが傍観者の役目、産まれ出でたモノには干渉できない、私達の定め。


 少し業務範囲外だけれども、私は君達同様、君達の恋を諦めない事をここに誓おう。


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