クラゲの骨

森本 晃次

第1話 おかしな村

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和三年十二月時点のものです。それ以降は未来のお話です。


 当時は、まだ二十世紀と呼ばれる時代。つまり、一九〇〇年代、平成もまだ前半だった頃、世間では、

「コンピュータによる二千年問題」

 あるいは、

「ノストラダムスの大予言」

 などと、かなり深刻でリアルな問題と、リアルさに欠けるが、当たってしまうと、すべてが終わってしまうという言い知れぬ恐怖に、包まれていた世界であった。

 その頃というと、時代的にもいろいろなことがあった。

 まずは、

「平成の市町村合併」

 というものがあり、それまでは、郡町だったものが、近隣の市に吸収されたり、隣の町と合併することにより、市に昇格することもあった。

 市に昇格するには、人口が五万人以上にならなければならなかったが、市に昇格するということでのポテンシャルが、いかに重要かということもあるが、逆に、市に昇格することで、市県民税が高くなると思っている人もいたかも知れない。

 市になると、有名にはなるが、それによって、不便になることもある。

 下手をすれば、大都市に吸収され、

「ああ、県庁所在地に住めることになるんだ」

 などと言っていると、下手をして、

「オリンピック招致を」

 などということを言い出して。最初は、

「これで活気が出るぞ」

 などと言っていると、

「オリンピック招致に成功すれば、建設費だとか、その後の維持費などの、負担は、市民の税金に掛かってくる」

 と言われ、驚いたところで後の祭りになることもある。

 それだけならまだいいが、業種によっては、勝手に集中攻撃に遭うものもあった。

「風紀上、仮にもオリンピック招致をしようという土地にはふさわしくない」

 と言われ、風俗業などは、目の敵にされてしまうという話を聞いた。

 東京などでは、風俗が一斉摘発にあったり、今回の、

「二○二〇東京オリンピック(諸事情で、二〇二一年開催となったが)」

 の候補地として、日本で最後に争った都市は、福岡だったのだが、招致のための心象を悪くしないようにするために、風俗が目の敵にされ、ヘルス、ピンさロなどが、一斉摘発を受けたようだ。

 そのせいもあってか、中州地区の風俗も様変わりを余儀なくされた。ヘルスという名前が厳しくなったので、特殊浴場という名前を意味する、

「トクヨク」

 というサービスが出てきた。

(くれぐれも、これを漢字で書くということのないように)

 他の地区では、特殊浴場というと、ソープランドのことだが、九州、特に福岡の中洲地区では、

「トクヨク」

 と表するのだ。

 さらに、風俗街としての夜の街を彩っていた、雑餉隈というところが、完全に、菅さんとしてしまった。

 この雑餉隈というところは、昭和の頃までは、

「商店街にいけば、一通りのものはすべて揃う」

 と呼ばれた、

「いかにも下町」

 というところであったが、昭和が終わる頃には、バブル崩壊という大問題に輪をかける形で、郊外型の大型ショッピングセンターが流行り出したのだ。

 その時に、何とか街の荒廃が進まなかった理由は、

「風俗店を誘致して、夜の街に生まれ変わる」

 ということであった。

 詳細は分からないが、さすがにそれまでの下町の雰囲気を知っている人たちからすれば、

「そんな風俗の街に変わるなんて、プライドがないのか?」

 という人もいたであろうが、

 そもそも、そんな下町を見限って、郊外型大型商業施設に鞍替えしたのはどっちだというものである。

 商店街からすれば、そんな好き勝手なことをいう、

「裏切り者」

 に、御託を並べられるのは嫌だと思っているはずだ。

 さすがに、住民の意見を無視はできないだろうが、それでも、背に腹は代えられずに、出店したのだろう。

 しかし、そのおかげで、街は活気を取り戻した。

 福岡市内から電車で数駅という便利さも手伝ってか、一時期は相当賑わっていたのではないだろうか?

 そんな街中ができてから、十年とちょっとで、いきなりオリンピック招致のための下準備として、

「風俗のような、風紀を乱すようなものがあるのは、外国から来る人に対して、印象が悪い」

 ということらしいのだが、これがどういうことを示すのかということを、自治体は考えてのことなのだろうか?

 条例を変更したのかも知れないが、当時のヘルスとしての店は、このままでは営業が続けられなくなる。中州などでは、ヘルスという名称を使わずに、トクヨクという言葉を使うことで、何とか存続をしたが、雑餉隈では、ほとんどの店が撤退した。

 要するに、自治体が、

「一つの産業を、文化を自分たちのエゴでつぶしたのだ」

 ということである。

 ただ、この話は誰彼ともなく伝え聞いた話なので、どこまでが本当のことなのかということは分からないが、作者は、時代的にM、この説には信憑性があるように感じた。

 何しろ、当時(二〇〇六年だったか)としては、ちょうど、雑餉隈が衰退する時期とそんなに変わらないような気がする。気のせいであろうか?

 だが、実際に、一つの街が見る影もなくなってしまった状況と、トクヨクと中州では、名称が変わった時期がそんなに違わないのだから、信憑性を感じるのだった。

 脱線はあったが、とにかく、ちょうど二千年に変わるくらいの頃には、いろいろなことがあった。

 もう一つ気になっているのが、

「中央省庁変更」

 というものがあった。

 当時は、中央省庁は、今に比べれば、倍くらいの数があったのだが、そこはいろいろな理由があったが、まとめていうと、

「効率化を目指す」

 ということだったのであろう。

 外務省のようにまったく変わらないものがあったり、大蔵省が財務省に変わったり、文部省と科学技術庁が一緒になって、文部科学省になったりと、再編が行われたのだった。

 きっと、今の三十代くらいまでの人は、かつての省庁の名前を聞いても、ピンとこない人も多いだろう。せめて、大蔵省くらいなら聞いたことがあるかも知れない。

 歴史的には、二・二六事件で暗殺された、高橋是清が大蔵大臣だったことと、どこぞのCMで耳にしたことがある人も少なくないだろう。

 逆に三十代以上の人は、いきなり変わったとしても、昔と頭が混乱していて、すでに名前が変わった省庁がそのまま存続していると思ってたりと、結構ややこしい感じになっていることだろう。

 ただ、今回のこのお話の入りとしては、前日の、

「平成の市町村合併」

 というものが、大きいのだった。

 その時に、産声を上げた人間が、この小説にかかわってくるのだが、まずは、その発端から話をすることにしよう。

 相沢ちひろが、産声を挙げたのは、今から二十年前のことであった。

 ということは、必然的に相沢ちひろは、今二十歳ということであった。

 ただ、彼女の生まれたところは、普通の街ではなく、完全に、他の土地から見放されたといってもいいような土地で、

「どうして、そんな土地が存在していたんだ?」

 と追われるようなところであった。

 さすがに、今は、隣の数個の街と一緒になって、一つの市になったのだが、平成の市町村合併の時には、本来であれば、賛成するだろうと思われた村人が、なぜか反対していたのだ。

「このままでは、この村は、世間から忘れられた街になってしまう」

 と、村長は言ったが、村人の半分以上が反対をしたことで、当時は実現しなかった。

 そこは、特殊な村で、村民のほとんどは女性であった。生まれてくる子供も女性ばかりで、当然、男がいないので、出生率も極端に少なかった。

 この村がいつ頃からそんな女性ばかりのところになったのか分からないが、昭和の終わりの頃には、ほとんど、男性はいなかったと言われている。

 ただ、男ではなくても、この村の女性は皆腕力には長けていて、農作業には事欠かなかった。

 農家で作った作物を、都会に売りに行くのも、それぞれ。女性は免許を持っていて、十八歳になると、皆免許を取りにいかされたもだった。

 昼間は農作業、夜は自動車学校という日々を母親も過ごしていたのだろうと思うと、ちひろは、感無量に感じていた。

「私も、そんな運命なのかな?」

 と思ったのだ。

 ただ、自動車学校というと、それまでほとんど表の世界を知らないちひろにとって、新鮮であるが、少し怖い気もした。

「免許を取らないと、車を運転してはいけないということであり、しかも、その期間に、結構かかる」

 というのは、値段としてもそうなのだが、それ以上に、免許を必要とするほど危険なものだと思うのが怖いのだった。

 自分にできるかどうかということよりも、まず、自分が想像もできないようなところを運転しなければいけないということになるのかと思うと、ちょっと怖かった。

 ちひろは、ずっとこの村に住んでいて、どこかほかの土地に行ったことはほとんどなかった。

 村には小学校と、中学。高校の一環学校の二つしかなかった・

 中学までは義務教育なのでしかたがないが、高校と言うものはあるが、中学を卒業して行きたい人がいれば、開校するという程度のもので、ほとんど、高校進学という人はいなかった。

 子供の頃から、農作業の手伝いは当たり前のことであり。他の子どもが、学校から帰ってきてから、友達と遊ぶなどというような感覚があるわけもなかった。

 だから、農作業を嫌だと思うこともなく、当たり前のことだと思っていた。他の地区の子供の話を聞けば、

「何と、不真面目なんだ?」

 と思うことだろう。

 遊びとはそもそも、どんなものなのかということを知るわけではなく、どちらかというと。

「遊びというのは、よくないことだ」

 という教育を受けてきた。

 その教育も、文部科学省のカリキュラムに沿っているものだとは言えないが、この地域の特殊性から、きっと、教育委員会も、余計なことは言わないだろう。

 それだけこの村は、他の土地から隔絶されていて、村を通る、国道や県道は存在しない。

 ギリギリ高速道路が、かすめるくらいなので、影響はない。

 元々、電車は通っていたが、国鉄からJRに変わった時、廃線となった。

 しかし、

「それでは困る」

 ということで村長が、村人に資金を出させて、第三セクターとして、借り受けることにした。

 さすがに買うことまではできないので、線路と車両、駅の使用料を格安で、借りれるようになった。

 廃線の問題は、JRに変わった時、ただでさえ、混乱していた時期なので、話の持っていきようも、難しくはなかった。

 ただ同然とまではいかないが、レンタルという形で、鉄道を借り受けることができたのだ。

 そのおかげで、都会との生命線は確保できたが、都会に行くとしても、目的はあくまでも買い出し、目的が終われば、帰ってくるだけだった。

 この村には、なぜか昔から男性が住み着くことはなかった。家系もほとんどが、女性家族ということで、生まれるのは、女ばかり。村に男がほとんどいないので、婿取り計画を行い、他の土地から何とか、男性を引っ張ってくる。

 そのほとんどは、当然のことながら、女の子にモテない、そんな他の土地では、箸にも棒にもかからないという男性を引っ張ってきては、村全体で大切にし、できるかぎりもてなしていた。

 婿に入ったところだけでなく、縁もゆかりもない他人の家でも、

「よくこの村に来てくださった。感謝します」

 と、今までにない極楽のようなもてなしを受ければ、今までの街では、相手にもされなかっただけに、有頂天になるのは当たり前だ。

 そして彼らは思う。

「このまま子供ができれば。その手柄にて、大いに村で主導権を握ることができる」

 と思ったのだ。

 時に男の子が生まれれば、自分は村を救った人間として、神のごとく崇められるのではないか?

 とまで考えたほどだ。

 実際に、嫁が妊娠して子供ができると、少しの間、と言っても、子供がこの世に生まれ落ちるまでは、ちやほやされるが、子供が一歳になってからというもの。今度は露骨に邪魔者扱いをするようになっていた。

 次第に村八分にされる。しかも、つい最近まではあれだけちやほやされていたのにである。

 普通の男性であれば、

「もういられない」

 ということで、離婚届を突き出して、離婚を迫れば、さすがに家族の誰かは、

「ちょっと、待って。それだけは」

 あるいは。

「生まれてきた子供のためにも、思いとどまって」

 と言ってくれるだろうし、そうなると、不本意であるが、

「そこまで言うなら」

 とばかりに、主導権が戻ってくることに内心「しめしめ」と、ほくそ笑みながら、家族の暴言を許すことだろう。

 しかし、実際にはそんなことはなく、

「そう、じゃあ、離婚するから、あなたは、一刻も早くこの村から出ていってね」

 と言わんばかりであった。

 けんもほろろもいいところである。

 しかも、生まれた子供がもし、男の子だったら……。本来なら、

「婿殿。でかした」

 と言われてしかるべきだろうが、何とも言えないような、露骨な顔をされてしまう。

「苦虫を?み潰したかのような表情」

 というのが、一番ふさわしい表現だろう。

「罵声を浴びせたいが、そういうわけにはいかない」

 と言わんばかりのその顔に、婿は失望してしまう。

「何だ、この村は。男の子と言う跡取りができたのに、この露骨に嫌がっている様子は……」

 と考えた。

 それでも、子供は可愛いのか、男の子であっても、ちゃんと育てようとする意識はあるようだ。

 それなのに、婿である自部に対しての態度はどういうことだ? 完全に家族の中で浮いてしまっていて、邪魔者扱いではないか。

 子供が一歳になる頃までには精神的にボロボロになっていく。

「俺は家族のために、頑張っているのに」

 という思いが、次第に、

「何で、俺ばっかりがこんな思いをしなければいけないんだ」

 と思うと、自分がただの、

「種馬」

 だったことに気づく。

 まさか、あれだけ婿になったこと、子供ができたことに対して、労をねぎらってくれておたような人たちが、一気に裏をかえして、態度を一変させたのだから、気づかないわけもない。

 気づいてはいたが、

「それだけはないだろう」

 という思いとの葛藤が、さらに神経を衰弱させていく。

「俺の居場所は、もうここにはないのか?」

 と思うと、あと考えることは、

「これまでの人生が悪夢だっただけで、これからはいいことがある。だが、そのためには、この村から縁を切るしかない」

 と思った。

 子供は可愛いと思ったが、もう自分だけのことで、精一杯になっていた。

「子供は、嫁の血も混じっているので、男の子と言っても、俺に対したような粗末なことをされることはないだろう」

 と思い、何とか自分だけでも、逃れなければならなかった。

 離婚届を突き付けても、

「そうですか。今までご苦労様でした」

 と嫁に言われた時は、分かってはいたが、一気に身体の力が抜けてきた気がした。

 自分のことを嫌いになったわけではない。好きでも何でもなかったのだ。

「じゃあ、どうして結婚なんか?」

 と考えると、やはり、考えていたように、目的は子供だったんだとしか思えないではないか。

 そして、この

「ご苦労さん」

 という言葉の意味、それこそ、

「あなたは、子供を作ることが仕事だったのよ。もうこれでお役御免だわ」

 という意味だったのだ。

 それにしても、何とも分かりやすい。

 この村では、生まれた子供は、一人で十分、男の子であれば、舌打ちされるレベルであり、

「男の子だったから、用済みなのか?」

 とも思ったが、女の子がほしいのなら、次の子を考えればいいはずなのに、あくまでも一人で終わりなのだ。

 それを思うとさらに分からなくなる。

「この村は、元々閉鎖的なまるで明治時代の村のように思っていたが、下手をすれば、地図にも載っていないような、幻の村だったりするのではないか?」

 などと考えたりもした。

 そして、誰も婿を引き留めるようなこともなく、

「ご苦労様でした」

 という言葉で片付けられる。

 しかし、いきなり放り出されるわけではなく、これまでの労をねぎらうというべきか、まるで、

「功労金」

 と言わんばかりのお金は支給された。

 それはひょっとすると、裁判をして、万が一勝てたとして請求できる慰謝料よりも多いかも知れない。

 それはそれでいいのだが、どうにも釈然としない。

 あれだけ、

「こんな変な村、こっちからお願い下げだ」

 とばかりに、自分に冷たくなった家族を恨んでいたにも関わらず、いざ出ていくともなると、一抹の寂しさがあった。

 だが、一歩村を出ると、スーッと胸のつかえが降りて、

「最初から、あんな村、存在しなかったんだ」

 と思い、数年間、どこかで無駄に過ごしただけなんだと感じたのだ。

 その分の無駄な時間と感じた部分は、お金という形で穴埋めをしてくれた。それを思うと、

「失われた数年間」

 というものがあるだけで、ここからが自分の再出発だと思うようになった。

 ただ、今までいた世界に戻ってきて、それまでと大きく違ったのは、意外とモテるということであった。

 あのおかしな村での経験が、何らかの形で生きているのか、それとも、ブサイクだと思っている自分だが、結婚して、子供までできたという経験が、人相に表れてきて、モテ始めたのではないだろうか。

 もっといえば、結婚前が一番ひどさのピークであり、あとは登っていくだけのことなのかも知れない。

 そう思えば、嬉しいという感覚はなかったが、

「少し不安が解けた気がするな」

 と感じた。

 就職も、以前ほど苦労することもなく、見つけることができた。

 しかも、少々の蓄えはあるということを考えれば、もう一度結婚ということもできるだろう。

「世の中、それほど捨てたものでもないな」

 と思った、村から出た元夫たちは、そうやって、社会復帰がうまくいくのであった。

 村から旦那を、曲がりなりにも追い出したあの家では、子供がすくすくと育つのを心待ちにしていた。

 子供が成長し、次第にまわりが女の子ばかりだということで、どこか、その男の子も、女性っぽいところがあった。

 しかし、それは、普通の街にでれば、

「あっち系のバーなどに勤めれば、少々人気が出るかもね」

 と言われるほどであるが、この村では、貴重な男子として、男らしさも見極めたうえで、女の子たちの争奪戦になるのだった。

 この村では女の子は大切にされる。

 というか、ほとんどが女性なので、皆大切にされているということだ。

 だから、この村で育った女の子たちは、

「都会に出たい」

 と言い出す子は、ほとんどいなかった。

 この村の掟のようなもので、

「一旦村を捨てて都会に出た者は、二度とこの村に帰ってくることはできない」

 というのだった。

 まあ、冠婚葬祭であったり、法事であったりなどの時と、盆、正月、彼岸などの年に何度かあるその時だけ、滞在を許されるが、それ以外で戻ってくることは許されない。

 特に結婚したなどというと、村人はまるで嫌な顔をする。ましてや、出戻りになど、できようはずもない。

 都会で結婚に失敗しても、戻ってくるところはないということなのだ。

 そういう意味では、種馬にされた男もかわいそうであるが、この村で育った子供もかわいそうである。

 男子は、村の女の子と契りを結ぶことは、悪いことではなかった。

 本来なら、別の土地からやってきた、どこの馬の骨とも分からない男性の血が混じるというよりも、村の青年の方がよほどマシだったのだ。

 マシという言葉の通り、

「下から見て、最低限のラインより上であれば、よしとするか」

 と言われている通り、この村の青年であれば、子供ができたのであれば、甘んじて受け止めるということであった。

 不思議なことに、この村で育った青年との間に子供ができた時は、そのほとんどが女の子だった。

 数十回に一回くらいの確立で男の子が生まれるというが、まさにその通り、

「男の子が生まれれば、村では大切にしなければいけない」

 と思っていた。

 その子は、数少ない男の子として、もし、まわりの市町村と渡り合わなければいけなくなった時の、一種の、

「外交官」

 のような役割で、完全に女性だけの村だと思わせないようにするために、隠れ蓑であった。

 よそから連れてきた婿との間に男の子が生まれると、その子は生まれながらに、村での立場は弱いものであった。

「よそ者の血が流れているんだ」

 ということになるのだが、生まれた子供が女の子であれば、それは問題がない。

 女の子は、父親が誰であれば、育ちはすべて平等なのだ。それでも、階級的なものがあるとすれば、彼女の同世代の女性たちとの間で、何か暗黙の了解のようなものがあり、勝手に決まっていくもののようだった。

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