第5話

 3か月後の日曜日の朝、沙那さなはふたりで会おうと創を誘った。はじめは承諾し、今度は東山公園で会うことにした。12月の薄曇りの中を創は軽いコートにマフラーという格好でやってきた。「久しぶりだね」「元気だった?」「俺は元気だけど沙那は元気じゃなさそうに見える」「ううん、元気だよ」「俺この前会ったときに思ったんだよ。髪がぼさぼさでやつれて見える」「ね、座って。わたし本当は元気じゃないの。聞いてくれる?」「聞くよ」

 沙那は話し始めた。沙那の母親は高校卒業後、恋人と同棲していたが恋人のDVがひどかった。望まない妊娠によって若くして沙那を産んだ母親は、恋人のDVの激しさに耐えきれず、恋人と別れてシングルマザーになることを選んだ。恋人の脅迫的な行動や受けた暴行の数々がトラウマとなって、沙那の母親は精神医学的にいうところの「解離性同一性障害」を患ってしまった。母親として沙那を育てていかねばならないと自覚している人格と、受けた脅迫の記憶から、受けた暴行の記憶から、必死で逃れようと母親であることを否定する人格とがせめぎ合っていた。そんなわけで、沙那がネグレクト状態に置かれるのも虐待を受けるのも日常茶飯事だった。その時の恐怖や不安は今度は沙那のトラウマとなって残っている。その恨みや毎日のやるせない絶望感が理由で、今は弱って精神虚弱状態にある母親を日常的に虐待していることも話した。

 「わたし、こんなことしちゃいけないのは分かってる。お母さんのことは憎み切れない。辛い生活をしながらなんとか育ててくれて高校にも行かせてくれた。そこには感謝してる。でも毎日どうしようもなくって、やり場がなくって…。お母さんにこんなことするわたしは最低なんだと思う」創は丁寧に言葉を選びながら、ゆっくりと慎重に答えた。「沙那が全く悪くないとは言えない。でも環境とか状況とかそういうのが複雑に絡み合って、考えられる限り悪い方向に向かっていってしまったことも大きな要因の一つだと思う。だから必要以上に自責する必要はないと思う」この子は弱いな、創は心の中でそう確信した。口当たりの良い言葉を吐き出し続けながら、創は頭の中でいかに沙那を都合の良いラブドールにするかだけを考えていた。ラブドールってことはセックスフレンド以下なのだ。ただのおもちゃ。

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