第44話 反撃の王



 大勢のハンターは畏怖した。

 たった一人の男に。


「歯ごたえのねぇ……まあ、弱い者いじめしかしてねぇ連中ならこんなものか」


 鼻がまともに効かなくなり、むせかえるほど強烈な鉄と何かが焼ける匂い。

 地面は水っぽくぬかるんでいるが、その色は自然の色ではない。

 大地は、どんなに雨が降ってもなりえない、深紅色に染まっていた。

 当然だ。

 降ったのは、ただの雨ではない、文字通りの血の雨である。


「こんだけ潰せば、こっちに来ると思ったが、まだ出て来やしねぇ」


 ぶつぶつとつぶやくは、この惨状を生み出した張本人。

 うずたかく積まれた死体の山の上に鎮座する、竜を模した仮面をつけた黒髪の男。

 敵の兵士の死体でできた玉座にふんぞり返る彼を見上げるハンターたちは、みな恐怖した。


 ――こんな人間がいるものか、と。


 たった一人、剣一本で、長年自分たちを苦しめ続けた数百数千にも及ぶ軍勢を壊滅させた彼は、自らの勝利に感慨にふけることもなく、ひたすら行動し続ける。


「おい、拠点はできたか?」


 声を掛けられ、唖然としていたハンターははっと驚く。


「は、はいっ! 今塹壕を掘り、坑道を作成中です。欺瞞のために外れの方に簡易テントも作成しています」

「欺瞞はいらん。そんなことするならとにかく拠点の拡大を急げ。数千の人間を匿えるくらいには穴を掘れ」

「す、数千ですか……」

「そのくらいは集めてくるだろう。集まらなければ、代わりに死体が穴に入る。どちらにしろ無駄にはならない」


 敵にも味方にも容赦のない彼だったが、不思議とハンターの胸中に湧いたのは恐怖ではない。

 ただひたすらに、高揚していた。


(この人がいれば勝てる。……これだけの実力を持つ人を、俺たちは知らずにあそこまで追い込んで、殺そうとしたのか……)


 心の底から湧きあがる尊敬と畏怖、後悔、そして希望。


(絶対に最後までついて行こう。この戦いに勝って、死ぬまで恩を返さなければ!)


 ひそかに決意するハンター。

 これから始まる一世一代の大戦に、新たな覚悟を持って、ハンターたちは一気呵成に拠点構築に励むのだった。



 ◆



 作戦が始まってから、早数週間。

 今のところは順調にことが進んでいる。

 どうやら、天は俺に味方をしたようだ。

 連中はどうやら俺が死んだと思っているようで、軍と一緒に天上人がついてくることはなくなった。

 大方、マルコスとフリウォルが負傷して、これ幸いとばかりに休暇を貪っているんだろう。命に別状はないはずだし、マルコスに至っては軽傷だ。肩口を深く刺されたとはいえ、奴は聖人、頑強さは俺に勝るとも劣るまい。

 それでもウィルベルがいるから、彼女を警戒、あるいは好事家のマルコスとフリウォルが彼女を欲して軍を引き連れてやってくると思ったが、このあたりは賭けに勝ったようだ。

 もしくは、ウィルベルがうまくやってくれたか。

 ああ、あとはウィルベルに食指が動かなかった、というのもありえるか。

 見た目はよくても色気ねぇもんな。


「ウィリアムさん、拠点は当初の予定通りの規模まで拡充が完了しました。各地に散った偵察からの報告書も上がってきています」


 椅子にふんぞり返る俺に声を掛けてきたのは、ギルドの受付嬢のフィデリア。

 亜麻色の髪を肩のあたりでまとめて流した、どことなく妖艶な雰囲気を醸し出す女性。

 この世界の女に興味はないが、普通の男なら大抵は篭絡できそうだ。

 受付嬢なんだから受付にいろやと思わなくもないが、今回の作戦はセビリアのハンターギルド全体が動いている。

 俺担当らしいフィデリアは、まるで秘書のように身の回りの世話をしてくる。

 不快だ。

 だが、無駄に有能だし、やたら張り切っているうえ、知らない仲ではないので特に遠ざけることはなかった。

 まあマリナがいれば、フィデリアはいらないのだが今はいないから仕方ない。

 もらった資料に目を通す。書いてあるのは、上層からやってくる軍の動きについてだ。

 何度も言うが、グラノリュース天上国は大陸最南端の辺境にあり、上中下と層が分かれている。

 首都である上層、その城はさらにその南方にあり、中層と下層は国土の北の部分に位置している。

 一応上層の南側にも中層に区分されるエリアはあるが、上層に近く襲撃に遭いやすいために町は存在していない。

 上層から中層に出る門は、北、北東、北西、東と西の五か所。

 さて、肝心の俺が今どこにいるかと言えば――


「軍は間抜けだな。正面で基地を作られていても気づかないとはな」


 上層の目の前、もっとも大きな門がある北門正面だ。


「一応地下で見つからないように作っていますから、当然では?」

「まさか。どんなに見つからないようにといっても限度がある。天上人がちゃんと仕事していれば、すぐにでも見つかっただろうな」


 ハンターといえば、森で警戒心の強い魔獣を狩らなければいけない。だから隠密行動も罠の設置もお手の物だ。

 だがさすがに防壁の上から監視をされれば、何もない平野であるこの場所に拠点なんて作れない。

 それでもばれないのは、連中の気が抜けている証拠だろう。

 もしくは、最近あまりにも俺が連中を殲滅しているから、人手が足りないとかかもしれない。


「空間把握に優れたカットスを討てたのは大きいな。あいつがいれば、簡単に見つかって蹂躙されただろう」


 記憶を奪ったからこそわかる。

 中層の隠れ街を見つけ出すのに一番活躍していたのはカットスだ。

 最初にセビリアにやってきたのがカットスであることからも、あの五人の中での奴の役割は明確に決まっていたようだ。

 暗器使いだし、隠密行動もできる。まあ、そんなことしなくても中層の人間なんて蹂躙できるから、使う機会はなかったらしい。


「それともう一つ、報告があります」


 フィデリアがもう一つ紙を渡してくる。

 だがそれは報告書の類ではなく、いわゆる手紙だった。


「……へぇ、うまくいきすぎだと思ったが、なるほど、ウィルベルがうまくやってくれたのか」


 手紙の送り主はウィルベルであり、予想通り目的の人物と接触してうまく事を運べたようだ。


「……さすがだな」


 やっぱり魔法使いといえば女だな。男の魔法使いにろくな奴はいない。


「続いて、北の方からハンターと思しき集団がやってきています。現在使者を送っていますが、いかがいたしますか?」

「もうか、早いな」


 もうマリナは成果を出したのか。

 聖人だしあの見た目だから、大抵の男は絆せると思ったが、思った以上にこの世界の男は非常にちょろいようだ。

 交渉はどうすればいいのかマリナに聞かれたけど、さすがに交渉術まではよく知らん。協力しない連中のことなんでどうでもいいから、失敗してもいいから堂々としていろと言ったが、彼女にはそんなこと必要なかったようだ。


「きっと帰ってくるころには、いろんな男に言い寄られてるんだろうな」

「そ、そうですねぇ……」

「?」


 フィデリアが魚の骨が引っかかったような詰まった返答をした。

 何か気にかかることでもあるのか?


「心配いらない。見ず知らずの連中との連携なんて、最低限の指示が通れば問題ない。勝手なことをしたやつがいたら見せしめで殺してやるからな」

「いえ、あの、そういうことでは、ないんですけど……」


 ならなんだというのか。

 どいつもこいつも群がって持ち上げて担いでくるくせに、自分たちの言いたいことは全く言わないな。

 セビリアの連中と手を組むといっても、奴らに抱く感情は変わらない。

 俺はこの世界の人間が嫌いだ。

 あの二人だけは別だが、それ以外の人間がどうなろうが知ったことじゃねぇ。

 いくら連係ミスだなんだで人が死のうがどうでもよかった。

 下層と中層全体を巻き込んだのは、俺たちだけが犠牲を払うことが腹立たしかっただけだ。

 いろいろ理由をつけても、結局それに尽きる。


「一つ、よろしいでしょうか」

「なんだ」

「天上人に、ウィリアムさんは勝てますか」

「フッ」


 フィデリアの質問に思わず笑う。

 改まって聞くにしては、ずいぶんとくだらないことを聞く。

 俺が天上人に勝てるか?

 決まっている。


「天上人はもう負けている。勝負ならたった今ついた」



 ◆



 さらに数日が過ぎたころ。

 軍の動きが止まった。


「連中も何かおかしいことは気づいたか」


 地面の下に出来上がった拠点から顔を出してほくそえむ。

 同じように顔を出しているフィデリアが俺を見て聞いてくる。


「まだ断定はできないのでは? 軍はハンターと違って準備に時間がかかりますし、つい先日出撃したばかりです。もう数週間様子を見る必要があるのでは?」

「確かにな。どんなに短くとも一週間は見たほうがいいだろう。だが止まったことには変わりない。連中は今頃軍が順調に進軍してると思い込んでいるはずだ。文字通り絶滅させたからな」


 こないだ軍が上層から出てきたとき、文字通り一人も残さずに全滅させた。たかが数千の人間なんて、魔法が使える俺には相手にならない。

 といっても、ばれるわけにはいかないから、派手な閃光と音が鳴る雷は使っていない。

 カットスの暗器を操る魔法と単純な剣技で始末した。

 あとはまあ、ハンターたちの助力も借りて逃げ出そうとしたものは一人残らず捕らえたし、捕らえた人間から上層の状況も聞いた。


「ウィリアムさんが死んでいると安心しているようですね。ウィルベルさんも旅人であることは知られていて、放置しても問題ないと思っているようです」

「お気楽な連中だ。大方、ヴァレリアとマルコスの二人がいれば勝てると思ってるんだろう。もしくは見た目がいいから味方に引き入れようと時間を置いているだけか」

「……確かに天上人はだいぶ数が減っていますから、味方にしようというのはわかりますが、時間を置くとどこにいるのかわからなくなりませんか? すぐに出てきそうなものですけど」

「フリウォルならともかく、女に困ってないマルコスならわざわざ怪我を推して出てこようとは思わないんだろ。フリウォルに関してはいろんな意味で彼女に腕が立たないから、一人じゃ出てこないだろ」


 本当に馬鹿としか言いようがない。

 まあ連中は百年近く思考停止状態でほぼ頂点に君臨し続けているんだ。頭がダチョウ並みに退化してても不思議ではない。


「おや、後方から何か来ます」


 フィデリアが後ろを向いてある地点を指さした。

 釣られ、その地点を見ると、


「は?」


 気の抜けた声が出た。

 そこには、大量の人影。

 数千どころではない、数万はいっていそうな見る限りが黒い人の波があり、さらにその上には十数の黒く大きな何かが飛んでいる。

 気の抜けた声を出している場合ではない。


「おい! まさか軍の連中は南門から出てきたのか!? だがあんな長い道を回り込んできたなんて報告は聞いてない! どういうことだ!?」

「そんなまさか!? 密偵の探査ルートはすべて網羅しているはずです!! 欠員もいないのですから漏らすはずが――あ」


 クソっ、さすがにあの数を一人残らず殲滅するのは難しい。それに殲滅しても合流地点をめちゃくちゃにされては後の作戦に差し障る。

 チッ、まあいい、最悪上層の連中にばれてもいいから落雷を――


「ウィリアムさん」

「なんだッ!」

「あれ、あそこ見てください」

「ああ?」

「あそこです、あそこ。集団の中央上空です」


 フィデリアが言った場所を見る。今は日が高いから空を見るのは少しまぶしい。

 それでもこらえて目を凝らす。


「あれ、ウィルベルさんではありませんか?」


 言われてようやく気付いた。

 鳥のように羽ばたいているのは距離があるからわかりづらかったが、あれは飛竜。

 その飛竜に紛れるように、小さく豆粒のようなとんがり帽子がわずかに見える。

 紛らわしい登場に舌打ちする。


「あいつ、合流するときは連絡しろといったのに」

「忘れていたんですね。ふふっ、頭が良くて落ち着いてますけど、年相応でかわいらしいですね」

「かわいらしさなんてつけても無駄なんだから、しっかりしてほしいね、ったく」

「そんなことないですよっ! ウィリアムさんはお二人がものすごくかわいいことをもっと理解するべきです!」

「お前はまず俺の人嫌いを理解するところから始めろよ」


 今こうしてフィデリアと一緒にいることも嫌なんだ。

 ウィルベルとマリナは別だが、女として見るかどうかは別物だ。

 とにかく、軍でないなら安心だ。でも、引き連れている人数が多すぎる。

 数万もいる軍勢なんて、いったいどこから集めてきたんだ。各町も精々が出せて千程度、万なんてとても出せないし、そもそも全部の街が協力するはずもない。

 下層なんて戦える人間はもっといないだろう。ましてや長距離の行軍だ。

 何よりも問題なのは――


「こんな仮初のなんちゃって基地にあんな人数が収まるわけないだろ。食料も武具もないぞ」

「……どうしますか? お帰り願いますか?」

「まずは確認が最優先だ。あれだけの人数、隠し通せるわけがない。全ハンターに戦闘準備を徹底させろ。もしあれが全部味方になるのだとしたら、すぐに行動を開始しないと食料の備蓄が一瞬にして底をつく。その前にすべての決着をつけるぞ」

「はいっ!!」


 鋭い返事をして即座にフィデリアはうごきだす。

 俺は偽装が施されている物見穴から這い出して、徐々に近づいてきている大群に向けて歩き出す。


「はぁ……有能すぎるのも考え物だな」


 天が味方をしてくれたのかもしれないが、あの二人はもう少し自嘲をしてほしい。

 諦めと呆れ、そしてわずかな感心を込めたため息を吐き出した。





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