第42話 冴えわたる……冴えわたる?
あれから一週間、いまだに『雷槌』は目を覚まさない。
のんきにぐうすかと、大の字になりながら、ときにはベッドから転がり落ちながらもひたすらひたすら眠り続けている。
少女曰く、こんなにも深い睡眠に入っているのを見るのは初めてだそう。確かに、彼の顔は日に日に血色がよくなり、目元の隈ももうほとんど無くなっている。
おそらくもうすぐ目を覚ますだろう。
その間、あたしたちが何をしていたのかというと……
「ここの温泉はいいねぇ~」
「ねぇ~」
家の温泉に入ったり、
「おばちゃん! パンおかわり!」
「あいよぉ! 好きなだけ持って行っておくれ!」
「やったっ、ありがとう!」
パン屋の夫妻のご厚意に預かったり、
「すごぉい! わかりやすい! これってこういうふうになってたのね!」
「あの人が作る本はわかりやすいよ……楽しい」
家にある本で勉強したりした。
まだ名前もない彼女も街に大手を振って歩くようになり、ハンターたちともあっという間に打ち解けた。
まあ、半分くらいハンターの目には怯えがあったけど……。
ハンターたちもこの一週間は何もしてなかったわけじゃなくて、いろいろ忙しそうにしていた。
彼に対する贖罪か、それとも次はこちらから攻められるということへの高揚か、理由はともかく町全体を巻き込んで何やら準備をしているらしい。
残念ながら、あたしと彼女に戦略眼なんてものはないし、戦闘ならともかく、軍とどう戦えばいいかなんてわからない。
ハンターたちも軍についてそこまで詳しいわけではない。
だからこそ、いまぐうすか惰眠をむさぼっている彼の力が必要だ。
そして、彼が眠ってから一週間と二日が過ぎた朝――
「世界は美しい――」
彼はイカれ――違った、起きていた。
朝日が差し込む窓を開けて身を乗り出し、小鳥を歓迎するかのように両手を広げていた。
からん、と隣で木桶が落ちる。
「か、彼がおかしくなった……」
うん、たぶんあなたが殴りすぎたせいね。
普段は動じない黒髪の彼女が、口に手を当て、あわあわと震わせていた。かくいうあたしも似たものだと思う。
「あ、あんた……大丈夫なのよね? 記憶は? 無くしてない? 生きてる?」
伸ばした手が震える。
ここまで来て、彼がおかしくなったらこの国の行く末が――
「ああ、きれいな二人がここにいることがこんなにもうれしいよ」
「オヴェエエエッ!!」
いやー!! 手遅れだぁ!
彼の歯の浮くセリフに腹の底からむずがゆく吐き気が湧き出した。
う、うぅ……前に一度、あたしが彼に似たようなことを言って、彼も吐き気を催していたけど、こんな気分だったのね。
気色悪い綺麗な『雷槌』はにこやかな笑顔であたしに歩み寄り、手を握る。
「おはよう、まだ君がいてくれて本当にうれしいよ。僕の人生に花が咲いたようだ」
「ヒッ……」
ぞわぞわと背筋に戦慄が走る。
こ、これなら殺意向けられた方がマシね、蕁麻疹出そう。
いかれた彼は次に少女の手を握る。
「お前も、ずっと一緒にいてくれて心から感謝してる。大好きだ」
「あぅ……悪くないかも……」
彼女は顔を赤くして、赤い瞳をうるませた。
い、いけない! このままじゃ――
「ねぇ」
「なんだ?」
うげっ、呼び掛けただけで、反吐が出る笑顔を向けられる。
こみ上げる嫌悪感を何とか抑え、渾身の笑顔を浮かべて――
「あたしもあなたに会えてうれしい、大好きよ」
心にもないことを言った。
すると、
「ヴォエエエエ!!!」
彼は吐き気を催した。
いつかと同じように、千金の価値があるあたしの愛の言葉を受けてこの反応、いっそ彼女に撲殺された方がよかったんじゃないかしら。
と思うくらいには腹が立つ。
まあ、このまま気色悪い彼のままでいられる方が嫌だけど。
「ヴォエッ……ハッ! 俺はなにを?」
吐き気を通して彼は戻った。
「あ……」
「残念そうにしないの」
彼もそうだけど彼女もたいがいね。
「目は覚めた? 寝ぼけんのもたいがいにしてよね、もう」
「ああ、悪い。あんまり気分がよかったもんだから、まだ夢の中かと」
「どんな夢見てんのよ……」
あたしらを口説きたかったのか、それとも口説きたくなるほど気分がよくなる夢だったのか。
たいして興味もないので触れないけれど。
「今何日たった?」
「十日足らずね。みんなあんたが起きるのを心待ちにして準備してるわよ。早く顔出してあげたら?」
「準備? なんの?」
「決まってるでしょ、攻める準備」
「ふぅん……」
現状を説明すると、彼は驚くことなくあごに手を当て思考にふける。
あたしは隣にいる少女の肩に手を回して、彼の前に押し出した。
「な、なに?」
戸惑う彼女は無視して、あたしは考え込んでいる彼を見る。
「ほら、考える前にやることあるでしょ?」
「やること?」
「忘れちゃったの?」
あんなに大事にしてたのにねぇ。
「名前よ、名前。呼びたいって言ってたでしょ? つけてほしいって言ってたでしょ?」
「あっ」
「あぁ……」
少女はハッとして、期待するように彼を見る。
彼は困ったように、そっぽを向いて頬をかく。
幾ばくかの沈黙を置いて、彼は彼女に向き直り――
「ルナマリナ」
彼は名付けた。
「君の名前は、ルナマリナ。月のようにきれいな、優しい少女」
ようやく得た名前に、少女の頬に一筋の涙が伝う。
「ルナ……マリナ……」
「ああ、いやか?」
「ううん……そんなわけないっ」
涙をぬぐうように、彼女は、ルナマリナは彼に抱き着いた。
胸に飛び込んできた少女の頭をいとおしそうに撫でる彼。
なおも泣きながらルナマリナは顔を上げ、彼に聞く。
「あなたの名前は?」
「俺の名前は――」
少しだけ考えた後、彼は笑った。
「ウィリアム。アティリオ・アーサーの子の名を継いだ、異世界から来た旅人さ」
何の憂いも迷いもない笑顔。
やがて二人は、あたしの方を向いた。
帽子を取り、精一杯笑って――
「あたしはウィルベル。ウィルベル・ソル・ファグラヴェール。世界を旅する大魔法使い」
やっと知れた互いの名前。
あたしたちは、声を上げて笑いあった。
◆
睡眠をとれば、記憶は整理され、体は休まる。
目覚めた瞬間に感じた感覚は、何物にも代えがたいほどの感動を秘めていた。
鼻は些細なにおいの変化もかぎ分けて、耳は窓越しの小鳥のさえずりも聞き逃すことなく、目は遠くの木々の葉っぱ一つ一つを数えられそうなほどに鮮明だった。
靄がかかっていたような思考も今は澄み渡り、今までの記憶の混濁が嘘のようにはっきりしている。
自分がだれか。
何をするべきか。
果たすべき約束とは何か。
全部が全部、くっきりと心に刻まれている。
俺以外の人間の記憶も、自分じゃない誰かの記憶として整理され、大事な感情と結びついた記憶だけが残っている。
魔女としか知らなかった、ウィルベルという少女が言ったように、これが想いを継ぐということなのだろうか。
心身ともに万全な今だけど、まだ一つ、わからないことがある。
「一週間も寝てたんだから、おなかすいたでしょ? 朝食にしましょ」
「彼女……ウィルベルに教えてもらって、わたしが作ったの」
二人が食事を持ってきてくれた。
鼻を通る匂いを感じた瞬間に、俺の胃がきゅっとこわばる気がした。
飯は食えるだろうか、味はちゃんと感じられるだろうか。
二人が気を使って俺に多めによそってくれる。もう大丈夫だと思ってるんだろう。
「いただきます……」
恐る恐る食事をスプーンですくう。
野菜を煮込み、胡椒で味付けをしただけのシンプルで胃にやさしい食事。
口に運んだ瞬間に――
「……うまい」
薄味でもみずみずしくて、臓腑に染みるような優しい味が口いっぱいに広がった。
暖かいスープは体も心も温めてくれ、鼻を野菜の香りが包み込む。
……でもちょっと、胡椒利かせすぎだな。
「ちょっと味付けが濃いんじゃないか?」
「え? そんなこと――」
「いや、濃いよ」
だって、鮮明なはずの視界がにじむんだもの。
「……そうかもね」
「でもうまいな。全部食う」
身の回りにはこんなにも、優しさがあふれてるなんて知らなかったな。
◆
食事を終え、ウィリアム、ウィルベルと一緒に三人でセビリアの町をギルドに向かって歩く。
街の中を堂々と歩くのは初めてだし、彼を見る街の人たちの目は以前とは違って敵意がない、それどころか歓迎してくれた。
「雷槌様だぁい!」
「魔女様だ! 今日もきれい!」
「聖女様……なんて神々しい」
……態度が真逆すぎて逆に落ち着かない。
心なしか、彼の足取りもかなり早い。
そのまま、一路わたしたちはギルドの中に入る。
わたしにとっては初めてのギルド、その中は――
「きゃーー!! 魔女様来てくれた!!」
「『雷槌』……本当にごめんなぁ!! これからは命を懸けて返すから!!」
「せ、聖女様だ……下手なこと言えないぞっ」
想像以上に騒々しかった。
黄色い歓声に泣き声交じりの謝罪、あと……怖がる声?
だれか怖い人が来たのかな? ウィリアムは怖い人じゃないのに。
「ひどい人たち」
「そうだな」
「…………」
つぶやくとウィリアムは同意してくれたけど、ウィルベルだけは頭を抱えて何か言いたそうにしていた。
なんだろう?
気になるけれど、ウィリアムはそそくさとギルドの奥、受付のあるところへ颯爽と進む。周囲にいたハンターたちはあれよあれよと道を開け、あっという間に受付嬢のもとへとたどり着いた。
ウィリアムは不機嫌な声で話す。
「今、軍の状況はどうなってる?」
「はいっ! えと、あの事件以降、軍がセビリア周囲に現れたことはありません。ほかの町との連絡も最近は途絶えることなく、軍はおとなしくしているようです」
「街の状況は?」
「それはこちらにまとめてあります」
淡々と慣れた感じで話をしていく。
素顔を晒した彼を、受付嬢がじっと見つめている。ずぅっと。
なんだろうか。
「なあ、嬢ちゃん」
「?」
彼の方を見ていると、横から声を掛けられる。
赤毛で短髪の、ウィリアムと同じくらいの若い男性。でもウィリアムより少し細くて、たたずまいからして大分弱そうに見える人。
頭も弱そう。でもたぶん悪い人ではないと思う。
「なに?」
「えっと……その、俺はサーシェスっていうんだけどさ。君の名前を聞いてもいいかい?」
名前っ!
ウィリアムに着けてもらった名前!
名前を名乗れることが嬉しくて、笑って言った。
「ルナマリナ」
「ルナマリナ! とても素敵な名前だ! 綺麗な君にぴったりの名前だねっ」
「ありがとうっ」
「――はうっ!」
お礼をしたら、サーシェスって人は胸を抑えて呻いた。
「どうしたの? 胸が痛いの?」
「ああ、今すごく痛い……、君を見てから、俺は病を患ってしまったようだ」
「病気? 大変っ、誰かに見てもらわないと!」
胸となると心臓、何かあればすぐに死んじゃう。
急いで周囲を見渡すけれど、みんなはなぜか微笑むだけで助けようとしない。
どうしてだろう、こんなにも彼は苦しんでいるのに。
と思ったら、
「ああ、美しくも優しい君よ。君がいてくれれば、俺の胸の痛みは治まりそうなんだ」
彼はよくわからないことを言い出した。わたしはクスリじゃないし、胸が痛いという割に彼は元気そう。
仮病かな?
「どうだろう、この後一緒に食事でも――」
「それは無理」
「はぐあっ!!」
断ると、彼はさっきよりは痛そうに胸を抑えて泣き出した。
えっと、どうしたらいいんだろう?
「なにバカなことやってんだか。戦いがないからって平和ボケしすぎじゃない?」
困っているとウィルベルが眉根を寄せて、呆れたように言った。
「彼、胸が痛いんだって。……どうしよう」
「あぁ、ほっときゃいいのよ。どうせすぐに治るから」
「結局何の病気?」
「胸じゃなくて頭の病気よ。死ななきゃ治んないわ」
……治るのか治らないのかどっちだろう。
ウィルベルはわたしの手を取って、ギルドの真ん中の大きな机の前に連れてきた。
そこでは、ウィリアムがひどく不機嫌そうに眉根を寄せながら、大勢のハンターたちに囲まれていた。
「『雷槌』! すまなかった! 本当に本当に申し訳ない! 謝って済むことじゃないし、今更こんなこと言っても白々しいとわかってる。だけどせめて言わせてほしい! この町を救ってくれてありがとう! もう二度と、お前の疑ったり剣を向けたりしないと誓おう!」
中でもちょっと毛深いゴリラっぽい人が直角に腰を曲げて長々と頭を下げている。
それをウィリアムはうっとうしそうに手をひらひらと振って追い払う。
「どうでもいい、近寄るな、話しかけるな。もともとお前らが俺をどう思おうが興味がない。高さが変わったところで扱いを変えるほど、お前らの頭に価値はない」
「それは、許してくれるってことか?」
「お前らには怒りを覚える価値も気に留める価値もないってことだ。それで納得できないなら、最後まで戦って死ね。そうしたら、骨くらいは拾ってやるよ」
わたしたちのときとは違う、ひどく投げやりな言葉。
だけど――
「みんな聞いたか!? 彼は俺たちのこと怒ってないってよ!! それどころか、彼のために戦うことを許してくれるってよ!!」
「は? いや、お前なに言って――」
「死んだら骨を拾って俺たちの想いを継いでくれるらしい! 絶対に最後まで戦うぞ! 命を懸けて、恩を返すんだ!」
「「「「おおおお!!!」」」」
「…………は?」
勝手に盛り上がりだすハンターたちと置いていかれるウィリアム。
それがどこか面白くて、わたしはつい笑いをこぼす。
「ふふっ」
彼は不器用だけど、心の底は優しい人。
本人も気づかないくらい底にあるけれど、実はちゃんと滲んできてる。
勝手に盛り上がり、あれよあれよとハンターたちはウィリアムを囲い、大きな机の前に立たせて自分たちは周りを囲う。
「いきましょ」
「うん」
わたしもウィルベルの手を取って、彼の横、机の前に並んだ。
横にいる彼の顔を見上げると、彼はよほどハンターに囲まれるのが嫌なのか、腕をかきむしって、皺ができるんじゃないかと思うほどに眉間をすぼめた。
だけど、やがて諦めて、
「はぁ……まあいいか」
ため息をつき、前を見る。
顔を引き締めて、ギルドにいる全員に聞こえるように――
「今日、ここから、世界を変える。俺たちが変える。死にたい奴だけついてこい」
挑発的に、威圧的に、彼は笑う。
応えるように全員笑う。
ハンターも受付嬢も何もかも。
わたしも、ウィルベルも。
だれも、逃げ出す人はいなかった。
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