第13話 堕ちる人



 馬車に揺られ続ける。

 体が痛い。

 でもそれ以上に頭が痛い。


 今日だけで、元の世界の記憶、ソフィアの記憶、先生の記憶が脳に流れ込んできた。

 何がなんだか、わからなかった。

 それだけじゃない。

 耐えがたい光景が目の前にあった。


「ソフィア……オスカー……」


 変わり果てた二人の遺体。

 俺がいる馬車の荷台に並べられていた。


 オスカーはもはや原形をとどめていない。それでも天導隊の人たちは精一杯に元の姿に戻そうとしたんだろう、体は一応人間の形になっていた。


 だけど、もうかつての陽気さの見る影もない。


 馬車は御者もいないのに、ひたすらどこかに走り続けている。

 馬はきっとこの時のために訓練されていたんだろう。止まる様子もなく、どこかに向かっているようだった。


 馬車の中、二人の遺体の横にうずくまって考える。


 記憶について。


 ――元の世界じゃ、争いとは無縁の平和な暮らしを送っていた。家族にも友人にも恵まれて、勉強も運動も頑張って努力して、当時は特別幸せだなんて思うことはなかったけれど、今思えば本当に幸せな日々だった。だけどその記憶は、突如として途絶えている。


 ――ソフィアの記憶は、元の世界とこの世界で別れているけれど、感情を伴う強い思い出は、こっちの世界に来てからの方が多かった。ソフィアにとっても、僕とオスカーの三人で過ごした思い出はかけがえのないものだったんだ。

 本当に、彼女は僕を愛してくれていた。


 ――先生の記憶は、多すぎる。何より、辛すぎる。


 右手で胸のあたりを抑える。左手で自分の顔に触れる。


 この世界にきて、ソフィアやオスカーの話を聞いて、ずっと疑問だったことがある。

 俺達は元の世界で死んでからやってきた。


 じゃあ、この体はどこから来て、どうやってできたのか。


 決まっている。


 この世界の人間の体でできている。



「『ウィリアム』……先生の実の息子」



 俺の身体になったのは、ウィリアム・アーサー。

 アティリオ・アーサーの実子だ。


 渡された記憶には、強烈な感情と一緒に鮮明に残されている。


『ウィリアム』が生まれた日。

『ウィリアム』が立った日。

『ウィリアム』が父と呼んでくれた日。

『ウィリアム』に鍛錬を付けた日。


 そして――


『ウィリアム』が処刑された日。


 天上人を召喚するための生贄として、『ウィリアム』は選ばれた。

 他でもない、父であるアティリオの手によって首を落とされ、直後に『俺』が体に宿り、この世界にやってきた。


 俺がやってきた際に、不思議な神聖な力によって傷は癒され、この体は聖人に近づき、頑丈になった。


 理由はわからないが、記憶を失っていた俺を、アティリオは自身の息子に重ね合わせ、ウィリアムと呼んだ。


 顔も体も同じ、だけど中身は別人なのに。


 俺に鍛錬をつけると決めた彼の胸中はひどく複雑だった。

 目の前に最愛の息子の姿がある。だけど中身は違う。自分のことを覚えてもいない。


 だけどいつしか鍛錬を付けていくうちに、気づいたのだ。


 俺の中に『ウィリアム』がいることを。


 やがて本当に、アティリオは俺を息子と思うようになった。

 違うことはわかっていても、本当に我が子のように思ってくれていた。


 だからあれだけ厳しい鍛錬をして、生きられるように鍛えてくれたのだ。


 だけど、そんなに想ってくれた、父のような人を――


「俺は、廃人にしたのか……」


 言葉にしたと同時に、どうしようもないほどの後悔、無力感、絶望が襲ってくる。


 俺より強く賢い人はみんな死んだ。

 なのに、何もできない俺だけが生き残った。


 ……もう嫌だ。


 心の底から溢れ出してくる暗い感情の塊。


 いやだ。


 いやだ、いやだ。


 いやだいやだいやだ。


 もう生きたくない。


 死にたい。


 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死ねない死ねない死ねない死ねない死にたい死ねない死にたい死ねない死にたい死ねない。


 しにた――――あっ。


 突如、ぷつんと、何かが切れた気がした。


 何が切れたのかはわからない。

 いまだに胸の中には悲しみも痛みも残っている。


 だけど、なんだかもうどうでもよくなった。


 そのまま呆けていると、やがて馬車は止まった。

 あたりはもう暗い。

 ずいぶんと長く走ってきたようだけど、どこまで来たのだろうか。

 馬車の外に出る。


「へぇ……」


 嘆息した。

 そこは、少し開けた森の中。


 少し離れたところに町がある。周囲は緑の山々に囲まれていて、町は緑色のツタに覆われていてまるで隠れるように存在していた。

 きっと、上層の軍から逃れるためのものだろう。


 なにより、空がきれいだ。


 余計な光がなにもなくて、夜闇に自分の体が溶けていくようだった。

 夜空の真ん中で満月が輝き、白く暖かな光が傷ついた体を包みこむ。

 月の周囲には寄り添うように多くの星が瞬き、神秘的な光景を作り出していた。


 俺はその光景に紛れるように――



 馬車に火を放った。



 これ以上、ソフィアとオスカーを見てられない。

 馬は焼け切った縄を振りほどいてどこかに走り去っていった。

 俺はただただ燃えていく馬車を見つめる。


 俺の手には、二人の形見がある。

 仮面と短剣。


 馬車ごと燃やして、残った骨は回収しよう。

 二人をどこに埋葬するかは、今はまだ考えたくない。


 何もせず、呆然と。

 夜空に上る火の粉を見つめ続けた。




 ◆




 馬車は燃え切り、街へと降りる。


 といっても、お金なんてないし、この街のことなんて何も知らない。

 できるだけ人目が着かない路地裏に入り込み、雨風がしのげる場所を探す。


 もう夜もだいぶ更けている。月はもうずいぶんと高い位置にあるし、日付は変わっているだろう。


 でも全然眠くない。

 一日中戦って疲れているはずなのに。


 歩いていると、建物を覆うツタから大きな葉っぱがいくつも生い茂っている場所があった。細い通路で、どう考えても人が住む場所ではない。


 でも細い道のてっぺんは葉っぱに覆われ、雨風はしのげそうだった。

 路地裏の細道を少し進んだところで腰を下ろし、膝を抱える。


 ……これから、どうしようか。


 先生は……父は、俺に何をしろとは言わなかった。

 ソフィアもオスカーも、誰も俺に何をしろとは言わなかった。


 ただ生きろとだけ。

 それのどれだけ辛いことか。


 俯き目をつむっていると、


 ――グゥ~。


 腹が鳴った。

 そういえば、昼から何も食べてない。こんなときでも腹はすくんだな。


 自嘲気味た笑いを浮かべ、腰に下げられたポーチから軍用のレーションを取り出す。

 これも栄養価は高いがひどい味だ。

 食べたいモノじゃない。口の中の水分を根こそぎ持っていく。


 まあでも、この口の中に広がる血の味も苦みも吸ってくれるかもしれないな。


 一口かじる。


「……あ?」


 途端に違和感を感じた。

 もう一口かじる。


「……チッ……外れかよ」


 味が全くしない。

 ぼそぼそとした感触だけ。

 味があっても最悪だが、味がないともっと最悪だとは知らなかった。


 たまに軍からの支給品には、はずれがある。武具は手入れがあまかったり、レーションの状態が悪かったり。

 これもその一つだろうと、食べる気も無くなり、放り捨てた。


 代わりにレーションをもう一つ取りだし、かじる。

 だけど――


「これもハズレ?」


 味が全くしなかった。

 ただ口の水分だけが吸われていく。

 レーションの味は全くしないのに、口の中にはずっと苦い味だけが広がっている。この苦みが何の味かもわからない。


 苦みを取ろうと、魔法で水を作り出し、浴びるように呑み込んだ。

 だけどやっぱり味がしない。口の中は潤っても、苦みは消えない。


「は、はは……」


 乾いた笑いがこぼれる。

 変なものでも食ったか? それとも、誰かの記憶が味覚に影響でも与えたか?

 ちびちびと、レーションをかじる。最悪の気分だけど、ないよりマシだ。

 無心になって食べているそのときだった。


「……ぁ」


 いつの間にか、隣に人がいた。


 暗くてよく見えないが、体は異常なほどに細い。

 伸び放題の白髪交じりの黒髪の隙間から覗くのは、今にも眠ってしまいそうな眠たげな瞳。

 みすぼらしいぼろ布一枚の隙間から覗く体は、あばらが浮きまくっていた。


 男か女かはわからないが、年齢は俺の少し下くらいか。

 おそらく孤児の、妖怪みたいな人間は、俺が放り捨てたレーションを拾い、口にしようとしていた。


 俺が気付いたからおびえているのか、レーションを隠すように抱え、震えていた。


「……ふん」


 興味がないと、鼻を鳴らして視線を切る。

 こんなガキに構っていられない。


 手元にある仮面と短剣を見つめる。

 ソフィア、オスカー。

 この世界で俺はこれからどうすればいい?


 ……ああ、そうだ。


 難しく考える必要なんてない。

 俺は、約束したんだ。


 二人と一緒に、三人であの場所に帰るって。

 約束は果たさないといけない。


 でも今のままじゃだめだ。

 約束を果たすためには、強くならないといけない。

 じゃあ強さとはなんだ?


「……んっ」


 考えていると、隣から小さなかすれた声がした。


「?」


 見れば、さきほどの子どもが俺のすぐ隣にいて、持っていたレーションをじっと見つめていた。


 ……卑しい奴だな。


 関わりたくなくて、レーションを適当に子供の方に向ける。そいつは俺から奪おうとはせずに、俺に持たせたまま口だけを持ってきて、バッタのようにちびちびとかじり続けた。


 よほど飢えているんだろう。

 ふと、気になったので聞いてみた。


「うまいか?」

「…………ん」


 ほんのわずかに小さくうなずいた。


「…………」


 段々と怒りが込み上げてきた。


 なんで俺はこいつに飯を与えてるんだ?

 だってこいつはこの世界の人間だ。俺をこの世界に連れてきて、知らぬ存ぜぬで平気な顔して生きているこの世界の人間だ。


 あげくこれだけ打ちのめされた俺から飯を奪う。


 ここで、ようやく思い出した。


 あの二人との約束を果たすためには強くならなければいけない。

 では強さとはなにか。


『強さとは、覚悟だ。たった一つ、譲れないもののためにすべてを捨て去る覚悟を持つことだ』


 父はそういった。


 たった今、理解した。


 ――俺は強くならなければいけない。


 ――たった一つ、破ってしまった約束をもう一度果たすために。


 ソフィアの形見、竜の仮面を被る。


 ――約束を果たすために、それ以外の物はすべて切り捨てる。


 オスカーの短剣を引き抜く。


 ――たった一つの約束のために、俺は、この国にあるすべてを滅ぼしてやる。


「……ェ?」


 立ち上がり、短剣を頭上に持ち上げる。

 呆然と孤児はこちらを見上げ、うつろな赤い瞳を向ける。


 何も理解していない首に向けて、



「死ね」



 短剣を振り下ろす。


 狭い路地に鮮血が舞った。



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