第11話 悪夢
「オスカー!」
「ウィリアム! 無事でよかった! ソフィアは!?」
やってきたオスカーに声を掛けると、彼は天上人二人から目を離さずに背中越しに聞いてくる。
「逃がしたよ。今頃はきっと町のはずれだ。あとは僕たちが逃げるだけだ」
彼女が去った瞬間は見てないが、彼女は足が速い。
これだけ時間が稼げたら、今頃はこの場から離れているはずだ。
ここに天上人が二人いるということは、他にはいない。ただの兵士たちが彼女を攻撃するとは思えないが、したところで下級とはいえ天上人のソフィアに勝てる者はいない。
満足のいく答えだったのか、オスカーが陽気な声を出す。
「さすがウィリアム! 自慢の弟だ!」
ここでも変わらない彼の陽気さに、思わず笑う。
「いつから弟になったのさ。正確な歳はわからないけど、僕とそう変わらないだろうに」
「いいや、俺はお前より年上だ。絶対そうだね」
「ま、別にいいけどさ」
彼の無事を確認できて、こうしていつもの会話ができてほっとする。
だけれども、状況はまだ悪い。
「二人そろったから勝てるとでも? 手加減してあげてるってこともわからないのかい?」
ボードの先端をわずかに斬られたフリウォルは、額に青筋を浮かべ、歯をむき出しににらみつけてくる。
フリウォルはオスカーを指さして。。
「逃げたと思ったのに、まさか戻ってくるとはね。想像以上の馬鹿野郎だ。もう一人とは大違いだね」
「へっ、あの腰抜けと一緒にすんな。オレは仲間を見捨てねぇ」
二人の掛け合いで思い出す。
オスカーの元にはもう一人、僕たちの仲間がいたはずだ。
「オスカー、秀英は?」
「……」
オスカーは黙った。
陽気だった彼の顔は、徐々にゆがみ、犬歯をむき出しに、心底腹立たし気に怒鳴った。
「あいつは裏切った! この惨状を見て、眉一つ変えることなく奴らに迎合しやがった! 最低のクソ野郎だ!」
「え――」
雷に打たれたかのような衝撃が走った。
秀英が、あいつらについた?
そんな、なんで!?
「秀英が!? なんで!?」
「なんでもなにもない! あいつは何の罪もない人たちを殺すことに何のためらいもない! そんなことよりも自分の命がかわいかったんだ! 偉そうなこと言って、一番情けない奴だよ!」
「……あいつ!」
奥歯を噛む。
ぎりぎりと顎がいたくなるほどに。
僕らが怒っている姿が面白いのか、カットスとフリウォルはにやにやと笑いながらこっちを見ていた。
「いや、馬鹿は君らだよ。本当に馬鹿だよね。こんな町の連中がいくら死のうがどうでもいいじゃないか。どうせ世界は何も変わらない。それなら、世界を変えられる力を持つ僕たちのために死ぬのが世のためじゃないか」
「ソノ通りだな。この国はオレタチのアソビ場だ。飯も武器も命もスベテがオレタチの物だ。言うこと聞かない不良品は壊して直してオシマイさ! 人をタスケるより奪う方が楽しい! 殺すほうがタノシイ!」
聞くだけでも不快な声。
「オレタチからすれば、オマエラの方が不思議だ。ナゼこんな無価値な連中をカバウ? こいつらが死のうが生きようが、オレタチには何の関係もナイ」
「決まってんじゃねぇか」
オスカーが即答する。
自慢の短剣を構え、
「人を殺して食う飯の何がうまい。どんなにうまい飯を出されたって絶対にごめんだぜ」
腰を低くし、
「どんなにクソまずい飯でも、家族と笑って食える飯がいい!」
弾丸のように駆け出した。
魔法を活かした、目にも止まらないほどの圧倒的な速度。
僕も短剣を二本構えて走り出す。
前を行くオスカーの背中を見ながら。
きっと彼が活路を開くと信じ――
「ははっ、ざーこが」
瞬間、オスカーの姿が消えた。
「え――……」
目を見開き、足を止める。
オスカーが……いない?
短剣だけがからんと、音を立てて地面に落ちる。
「……が……っへ」
遅れて聞こえたうめき声、ちぎれんばかりに首を回す。
「……あぁ」
言葉が、出なかった。
うめき声は、離れた家屋から聞こえた。頑丈な石造りの壁。
そこに、オスカーがめり込んでいた。
そんな……ありえない!
オスカーだって魔法が使える。
ソフィアほどではないとしても、決して簡単に吹き飛ばされるほどやわじゃないはずだ。
なのに、
「ほら、熱血体育会系なんだろ? これくらいで音を上げるなよ」
フリウォルが指を軽く動かしただけで、まるで手品のようにオスカーの身体が飛ぶ。
また離れた家屋にめり込まされる。
「そうだ! バスケなんかどうだい? こうドリブルしてさ!!」
歪んだ笑みを浮かべながら、その手を上下に振る。
それだけで、まるでボールのように、見えない手でオスカーの身体が何度も地面に叩きつけられる。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
地面はへこみ、血の池が生まれた。
肉は裂け、骨が砕ける音が鳴る。
陽気だった声はうめき声に変わり、やがてうめき声すら聞こえなくなった。
「……ァ……ァア」
かすれた声が漏れる。
こんなことがありえるのか。
こんなにも、壁は高いのか。
こんなにも、僕たちは弱いのか。
そんなはずない!!
「ああああああああああ!!!!」
剣を構え、フリウォルに突撃する。上空にいるフリウォルに攻撃を届かせることなんてできない。
だけどそんなことはどうでもいい!
両手に持っていた短剣二つを投げつける。
一直線に短剣はオスカーを弄ぶのに夢中のフリウォルに向かっていく。
僕はその短剣の行く先を見届けることなく、オスカーの短剣を拾い、奴らに近づく。
まだ健在な建物の壁を蹴り、一気に上空に飛び上がり、先に投げた短剣とほぼ同時に奴に切りかかり――
「オマエの相手はオレダ」
直前でやってきた短剣の群れが僕の体に突き刺さった。
「があああああッ!!」
成すすべなく、僕は地面に叩き落とされた。
クソクソクソクソクソ!!!
あと少しなのに!
「げはっ」
腹から湧き上がる血の塊を吐き出した。
「頑丈ダナ。魔法が使えないデキソコナイでなければ、いい線イッタだろうに」
上から声が降る。
顔を上げる暇もなくその場から飛びのいた。
途端に今いた場所に短剣が雨のように降り注ぐ。
クソ! これじゃあオスカーを助けられない!
今、フリウォルはオスカーに、カットスは僕に集中してる。もう一つ、何かあれば。
僕だって長くはもたない。
短剣で防いで、瓦礫を使って身を守っても、奴の短剣はどこからきているのか、もはや千にも上るんじゃないかと思うほどの量。
これまでいかに防御を鍛えてきたとはいっても、これは桁が違い過ぎる。
次々と短剣が僕の体に刺さっていく。どんなにあがいても、徐々に体の動きが鈍っていく。
それでも興奮した脳は体を動かし、考え続ける。
何かないか? なにか。
クソ! 秀英がいれば、何とかなったかもしれないのに!
内心で毒づく。
そしてついに、
「ガハッッ――!」
短剣が僕の胸に胴に突き刺さった。
それを皮切りに背中から次々と短剣が突き刺さる。
腕を構えて顔と頭と心臓だけは守る。
――でも、もうだめだ。
血がどくどくと流れ、意識がもうろうとしてくる。
健は切られ、腕は徐々に上がらなくなり、足も動かない。
「イッヒッヒッヒ!! まだ耐えるか!! オモシロイ!! ならこれでドウダ!?」
上から耳障りな声が聞こえる。
体の芯は燃えるように熱い。なのに、手足が徐々に冷えていく。
頭上から、視界を埋め尽くし、太陽すら拝めないほどの大量の短剣が降り注ぐ。
ああ、ソフィア。
約束、果たせなくてごめん。
――僕は、ここで死ぬんだ。
諦めたその瞬間。
「ヤアアアー―――!!」
甲高い叫びが響き渡った。
聞きなれない、だけど聞き間違えるはずはない。
聞きたかった、だけど聞きたくなかった声。
「――ナニッ!?」
初めて聞いたカットスの驚きの声。
とっさにカットスはその場から飛びのき、大きく上に退避した。
奴がいた場所に、幾筋もの青白い紫電が走る。
視界の端に、見慣れた青髪が映った。
嘘だ。
信じられない、信じたくない。
彼女は――
「ソフィア! なんで!?」
「逃げられるわけないじゃない! 約束を忘れたの!?」
「……ッ」
ソフィアは逃げたはずだ。そうじゃなきゃダメなんだ。
でないと、みんな死ぬ。
このままじゃ、これから先、誰もあいつらを止めることができない。
なによりも彼女を守れない。
「今更戻ってきたトコロで何になる? ぼろ雑巾フタツに逃げ出したメスイヌ」
カットスの注意が逸れた間に、僕は足に刺さった短剣を引き抜き、歯を食いしばって立ち上がる。
立ち上がっている間に、カットスの異変に気付いたフリウォルがソフィアを見つける。
「あっ! いるじゃん一番のお目当てが! カットス譲ってよ」
「アァ? ならマズ自分の獲物を始末してからニシロヨ」
「え? ちぇ、まいっか。任せればいいんだし」
ソフィアに熱心なフリウォルは遊んでいたオスカーには飽きたのか、彼から視線を切った。
オスカーを見れば、まだわずかに息があるようだ。ほんの少しだが、胸が上下に動いている。
だが全身血まみれで、骨が折れているのだろう、いびつな形に四肢が曲がっている。
すぐにでも助けなければ、命が危ない。
でもここでまた、最悪の足音が聞こえてきた。
「お、ナイスタイミング」
軽々なフリウォルの声。
その後ろから、大勢の人間の足音が揃って聞こえる。
今のこの街で、統率された大勢の人間なんて一つしかない。
「兵士たちが……」
グラノリュース天上国の兵士たち。
いや、兵士じゃない。
血も涙もない、悪逆非道の徒だ。
全身から冷や汗が吹き出した。
まずいまずいまずい! 逃げることすらできないかもしれない。
「みんな、あそこに死にかけの反逆者がいるんだ。始末してくれない?」
「仰せのままに! 偉大なる天上人様!」
フリウォルの命令に兵士の先頭にいる男が下卑た笑みを浮かべ、意気揚々と返事をした。
男の背後にいる兵士たちもまた、にやにやと笑いながら剣を抜き、歩き出す。
――オスカーの元へ。
「ソフィア! オスカーが!」
「――! ダメ!」
カットスと対峙していたソフィアがオスカーのピンチに気付く。
でも彼女はカットスの相手をしなければいけない。
僕が行くしかない!
立ち上がり、足を引きずりながら走る。
だけど間に合わない――!
「ダメだ、ダメだダメだ! オスカアアア!!!」
兵士たちが倒れて起き上がれないオスカーを囲い、剣を振り上げて。
一斉に振り下ろした。
「ぐあああああああああ!!!!!」
聞こえるオスカーの断末魔。
足に腕に胴に心臓に首に顔に。
次々と刃が突き刺さる。
そのたびに聞くに堪えない絶叫があがる。
でも、その絶叫も、ぱたりと止んだ。
ただただ、筋肉が裂ける、ぐちょぐちょとした音だけが響いた。
「あ……あ……あああああっ」
顎が震える。
全身に、耐えがたいほどの悲しみと怒りが湧きあがる。
視界全部が真っ赤に染まる。
息ができないほどに、胸が詰まった。
「よし、これで始末完了っと。さあカットス、譲ってよ!」
「残念、モウ遅い」
カットスのニヤついた言葉。
またしても全身に戦慄が駆け巡る。
「ソフィア! ああああ!!!」
遅かった。
ソフィアの背中から、短剣がいくつも生えていた。
息が、できない。
呼吸の仕方がわからなくなったみたいに、いくら吸っても酸素が足りない。
頭が回らないッ。
「あーあ、せっかく遊べると思ったのにさ」
「ワルカッタ、これやるから」
「カットスと違って、僕は死体じゃイケないんだ。もういらないよ」
「あぁそう、人生の半分ソンしてるぞ」
もはや興味はないと、カットスはソフィアを、まるでごみを捨てるかのように地面に放り捨てた。
「あ、ああ、あああああ」
痛みなんか気にならなかった。動かないなんて関係なかった。
獣のように四足で走る。
ソフィアに駆け寄り、抱き上げる。
「ソフィア、ソフィア!!」
「……うぃり……あむ」
口から血を吐きながら、息も絶え絶えに名前を呼んでくれた。
よかった、まだ息がある。
ならきっとまだ大丈夫!
大丈夫なはずなんだ! だって、約束したんだ!
「なんだ、まだ一人生きてるんじゃないか」
「なんだもうメンドクセェナ。あとはもうマカセる」
「えぇ~、まったく、席次が上だからって勝手し過ぎだよ、もう」
……腕の中の彼女は、何も言ってくれない。
気を付けなければいけないはずの二人のことなんか、もうどうでもよかった。
フリウォルが僕に向けて腕を振るう。
途端に暴風が吹き荒れ、建物を吹き飛ばし呑み込まんとする竜巻がやってきた。
――もう立ち上がる気も起きない。
どうせ死ぬ。
なら最後まで僕たちは一緒だ。
目をつぶり、死の風を待つ。
「諦めるのか、らしくない」
でも聞こえたのは、違う音だった。
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