第10話 選別



 今までずっと、記憶が無くても、魔法が使えなくても、天上人としてふさわしくなれるように、胸を張れるようにと、文字通り血の吹き出す地獄の鍛錬を行ってきた。


 それは、上層に住む人たちが平和で幸せに過ごせるように、人々を守れるようになるために必要なことだと思っていた。


 だけど、それはすべて、ただ人から略奪するためにやらせられていたこと?


 今までずっと抱えてきた歯がゆさも孤独も乗り越えた先にあるのは、こんなものなのか?

 僕が目指した天上人は、こんな汚れたものだったのか?


 いや、違うはずだ。


 この男が、嘘を言ってるに違いない!


「馬鹿なことを言うな! そんなわけない! 上層に住む人たちはみんな幸せに暮らしていて、天上人は中層以下にいる悪魔からみんなを守ってるんだ!」

「ふざけたこといってんじゃねぇ! 上層が俺達にしてることはなんだ!? ただただ剣と槍、災害をもたらすだけだ! 悪魔から守る? 助けを求めても、一度も応えたことなんてねぇ! 天上人? 奴らこそが悪の権化だ! 邪神の下僕だ!!」


 顔が引きつる、歯を食いしばる。


 体の奥底から、今まで感じたことのないほどの怒りが、熱が、痛みが湧いた。

 全身が総毛だつ。


「お前らのせいで、俺の家族は死んだ!! なのに全部を奪った上層の連中は幸せだと?!」


 なおも男は叫び続ける。

 この世の怒りを爆発させる男の言葉が、


「ふざけてんじゃ――……あ、ハァッ!!?」


 喉ごと断ち切られた。

 突如飛来した黒い短剣によって、物理的に。


「ああああああーー!! あぁぁ……」


 叫びながら、喉から噴水のように真っ赤な血を吹き出しながら。

 がくがく痙攣しながら男は後ろ向きに倒れ、やがて動かなくなった。


「……うっ」

「……おえっ」


 あまりの光景に、僕とソフィアは口元を抑え、目を背ける。


 僕らが絶句している、そのときに。


「おお、見つけた。仕事サボってるんじゃナイゾ。屑ドモ」


 上からひどく不快な音が聞こえた。

 見覚えのある短剣から、奴が近くにいたことはわかっていた。


 ゆっくり振り向く。


「カットス・ロートレザー……」


 黒衣に醜い継ぎ接ぎだらけ、魔法で体を浮かすその男。

 カットスの周囲には無数の黒い短剣が円陣を組むように、こちらに向いて浮いていた。


「カットスさん……いえ、カットス。これはどういうことですか?」


 隣にいたソフィアが、いつになく怒りに満ちた低い声を出す。

 僕たちが怒っていることの何がおかしいのか、カットスは笑いながら答える。


「どういうコト? こないだ説明しただろ? これは悪魔の殲滅作戦ダト」

「これのどこが悪魔よ!? 灰になんてならない! 普通に暮らしてるだけの人! 多くの人が暮らす普通の町! それをこんな大軍を率いて、踏み鳴らして踏みにじって踏み潰して! 何が天上人よ、何が国の象徴よ!」


 ソフィアの叫びも、カットスはただケタケタ笑いながら受け流すだけ。


「答えなさい! どうしてこんなことをするの!? これが天上人のすること!?」


 ソフィアが幾筋もの電撃を飛ばす。


「クッダラねぇな」


 しかし、カットスはため息をはくだけ。

 たったそれだけで、ソフィアの電撃が掻き消えた。


「なっ!?」

「修練が足りナイナ。オレタチにはない雷属性、に合格すれば重宝してヤッタノニナ」


 言葉以上に、起きた現象が理解できずにソフィアは目を見張る。


「オマエタチは何言ってるんだ? ここにいるのはどう見ても悪魔だろう?」

「何を――」

「悪魔の定義ってのをオシエテやるよ」


 カットスは指一本立てる。


「悪魔の定義、それは灰にナルことではナイ」

「なら、なんだと?」

「オレタチに害を為す奴だ」


 言葉の意味が理解できずに、眉根を寄せる。


 カットスは口を横に引き裂き、両手を広げて。


「この国は! オレタチのためだけの国! 中層も下層も全部オレタチの家畜だ! 黙ってオレタチのために食料、武器、命、スベテ差し出せば活かしてやるのに、抵抗スルナラ害虫と一緒だ! つまり悪魔と同じ! 区別する必要なんかない!」

「なっ――」


 絶句した。

 食料や資源のみならず、命までだと?

 つまりこいつは、道楽のために人殺しを平然としているのか?


 ……どっちが悪魔かわからない。


 いや、明らかに今、目の前にいるこの男こそが邪悪の権化だ!


「ふざけるな!! 人の命を何だと思ってる! 僕ら天上人は国の象徴、そして彼らはこの国に生きる民だ! 民がいなければ、僕らは生きられない! 民守らずして何が国か!?」


 喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。

 だけれども、カットスには一切響かない。


 それどころか、


「イッヒヒッヒッヒッヒッヒ!! アアッヒッヒッヒ!!!」


 腹を抱えて笑い出した。

 異常なほどに横に裂ける口を開けて、ひとしきり笑う。


 奴は瞳に涙すら浮かべて言った。


「確かに、オレタチは国の象徴だ。この国そのものだ。……イヤ、縮図といったほうがいいかもしれねいな?」

「縮図だって?」


 言葉と同時、奴の周囲に浮いていた短剣が一斉に僕たちを向く。

 雰囲気が変わったのを感じ、ソフィアをかばうように前に出て構える。


「いい加減わかるダロ? それともまだワカラないのか? この国は、中層と下層から奪うことで、上層が成り立ってイル。天上人ハその国の象徴……言いたいコトハワカルな?」


 背筋が一斉に粟立たち、戦慄が走る。


 下から奪うことで、上が成り立つ。

 天上人はその国の縮図。

 つまり、


「オマエタチは、オレタチの役に立つための肥料に過ぎないッテコトさ!!」


 最初から殺す気だった!


「ソフィア、下がって!!」

「ウィリアム!」


 円陣になり、まるで小魚の大軍のように迫る黒い短剣。

 僕たちに短剣が迫る前に、青白い紫電が舞った。


 ソフィアの魔法だ。だけど、


「ダメ! 魔力が強すぎる! 磁力が効かない!」


 上級の天上人であるカットスの前では、戦闘が苦手なソフィアの魔法が通じなかった。

 となれば、彼女に短剣一本も通すわけにはいかない!


 槍を突き出し、短剣を一つ弾く。

 幸い、と言っていいのかはわからないが、短剣の数が非常に多いから、一つ強めに弾けば他の短剣にぶつかり、軌道がわずかに逸れる。


 だけど追いつかない!


 槍を回しながら防ぐも、隙間から短剣が飛びこんでくる。

 後ろにはソフィアがいる。逸らせない。


「ううぐっ!」


 もはや刺さることは割り切り、致命傷と動きに支障がでる筋肉への損傷だけは回避する。幸いにも今は鎧をつけている。下手を打たない限りは、一撃で致命傷を負うことはないはずだ。


 だけど……。


「ウィリアム!」

「ソフィア! 下がっていて! 奴の魔法だけ防いでくれればいいから!」


 後ろにいるソフィアを守りながらだと、多方向から群れを成してやってくる短剣相手はかなり厳しい。

 ソフィアのほうも魔法使いとして格上のカットス相手では、僕を守るので精いっぱいだ。


 もし僕一人であれば、きっとすでに物言わぬ骸になっていることだろう。

 それだけ、魔法使いとそうでないものの差は歴然なのだ。


「きゃっ!」


 前方に気を取られているとき、背後から短い悲鳴が上がる。


「ソフィア!」


 振り返れば、ソフィアに襲い掛かる人影が見えた。


 まずいっ――。


 僕はとっさに迫りくる短剣の一つを強引につかみ取る。

 つかみ取った勢いそのままに、襲撃者に向かって投擲する。

 すると、襲撃者はソフィアに気を取られていたためにやってきた短剣に気付かずまっすぐに短剣が額に突き刺さり、あっさりと沈んだ。


「大丈夫!?」

「ええ! この街の人がまだこのあたりに潜んでいるわ! 敵はカットスだけじゃない!」

「くそっ!!」


 こらえきれず吐き捨てる。

 街の人は敵じゃない。僕らの敵は天上人だ。

 だけど、町の人たちに説明してもわかってはもらえないだろう。


 ここで奴から逃げ延びたとして、その先は?


 勝ったとしても、城にはまだ他の天上人が……あっ!


「ソフィア! オスカーたちに合流しよう! 四人そろえば、何とかなるかもしれない!」


 迫ってきた短剣の軍を、近くにあったゴミ箱を盾にして防ぐ。


「で、でもあの二人がどこにいるかわからないわよ!?」

「マナ感知で探せない!?」


 一瞬できた時間でソフィアを抱え、とっさに屋内に飛び込み短剣を回避しながら、必死に打開策を伝える。

 彼女は逡巡悩むも、すぐに応える。


「やってみるわ。下級の中じゃ、私が一番魔法がうまく使えるんだからね。やってみせる。でも少しだけ集中させて。カットスの魔力が強すぎて魔法を使いながらじゃマナの異常を感知できない」

「わかった。なら移動は僕に任せて。屋内なら、奴の視線が遮られて短剣は飛んでこないはず――」


 言葉を言い切る前に、


「馬鹿ニしてんのか?」


 後ろから声がして、とっさにソフィアをかばい床に伏せる。

 直後、建物全部が吹っ飛んだ。


「なぁっ!?」

「きゃあ!?」


 まるで大嵐の中に放り込まれたかのような強烈な風。

 腹の下に潜り込むように風が入り込み、全身を内蔵が浮き上がるような浮遊感に襲われた。

 石造りの建物が砕け、破片がいくつも僕の体にぶつかっていく。


 槍を地面に突き刺し、何とか地面に降り、顔を上げる。

 屋内だった場所が屋外になり、一気に日の光が降り注ぐ。


「――ッ。……最悪だ」


 息を飲み、体がすくんだ。

 開けた視界、目に飛び込んできたのは――


「カットス、そっちはどう?」

「不合格が二人ダ。オマエハ?」


 カットスと仲良さげに話す緑髪の少年がいた。


「こっちは一人合格さ。でも一人は不合格。痛めつけたけど途中で逃げた」


 肩をすくめて話すその少年はフリウォル。

 カットスに次ぐ第四席の天上人。

 まるでサーフィンでもやってるかのように、細長い楕円形の板に半身に乗って浮いていた。


 建物を破壊したのは、彼の風の魔法によるものか。


「最悪だ。クソ」


 口から悪態しか出てこない。

 半端に回る頭は最悪の結末しか導き出さない。

 幸いなのは、秀英かオスカーどちらかが選別とやらに合格し、片方は逃げたということ。つまりどちらも生きている。

 その選別とやらが何かはわからないが、ろくなことではないだろう。

 現に僕らは不合格だ。


「……ソフィア、大丈夫?」


 覆いかぶさるように僕の下にいたソフィアに声をかける。


「……ええ、かばってくれたおかげでなんとか。ウィリアムは?」

「平気さ。頑丈なだけが取り柄だから」


 ソフィアが無事でほっとする。

 でも代わりに彼女をかばった僕は瓦礫に打ち付けられて全身が痛い。


「……どうする?」


 ソフィアの問い。

 僕は歯を食いしばり、覚悟を決める。


「ソフィア、逃げて。僕が引き付けるから君は――」

「ダメよ! あなたを置いて逃げるなんてできないわ!」

「生き延びるだけなら僕の方が可能性がある! 格上の魔法使い二人相手じゃ、後衛のソフィアじゃ無理だ!」


 勝てるわけがない。わかっている。

 でも生き延びて、生き延びて、生き延びた先でいつか一矢報いる可能性があるとするならば、それは僕じゃない。


 魔法が使える彼女だ。


 だから彼女だけは逃がす。

 それに僕だって、死ぬつもりはない。


 だから、どうか逃げてくれ。


「行くんだ!!」

「……ッ!」


 背後で彼女が走り出す気配がした。

 僕は確かめることもなく、槍を構えて突撃した。


「アァ? まさか向かってクルトハな!!」

「無謀だね。ま、手間が省けていいかもね!」


 一直線に駆け抜ける僕に対し、上空にいるカットスとフリウォルは軽く手を振って魔法を発動させた。


「《刃の踊りラーミナ・サルタートル》」

「《恐風フォルミードュ・ウェントゥス》」


 目の前から渦潮のごとく呑み込もうとしてくる竜巻が現れ、竜巻の中に乱立した黒い刃がサメの歯のように噛み千切ろうとしてくる。


 呑み込まれる直前に、僕は右手を肩の上に持っていき、後方へ引き絞る。

 弓のように体をしならせて、


「でァ!!」


 槍を思いっきりぶん投げた。

 振った腕の勢いのままに前に体が飛びそうになるのを何とかこらえ、再び走り出す。


 投げた槍は竜巻の中心、最も風圧の低い場所を貫き、魔法を放ったフリウォルに一直線に向かっていった。


「えぇ!?」


 まさか攻撃が飛んでくるとは思わなかったのか、フリウォルが驚いた声を出した。


 ……だが、それだけだった。


「びっくりするなあ、もう」


 あっさりと、槍はなんらかの風の魔法で弾かれた。

 舌打ちする。

 だけど、おかげで奴の気が逸れ、竜巻が一瞬だけ弱まった。


 隙をつき、僕は風の中にあるカットスの短剣二つをつかみ取り、風に飛ばされないように地面に突き立てる。


「コザカしい!」


 カットスが風の中もがく僕にとどめを刺そうと、暴風を感じさせない動きで短剣を殺到させる。

 短剣の群れが飲み込もうとしてくる直前に、僕は短剣を引き抜き、風に乗るために思いっきり跳躍した。


 とたんに、渦潮に巻き込まれたかのように体が上に下に右に左にと飛んでいく。その勢いや否や、まるで巨大な竜に乗っているかのようだった。


「おえ、気持ち悪っ……」


 思わず吐きそうになる。

 飛んでいる間にも体が風で引き裂かれそうだ。呼吸もしづらい。周囲の崩れた家屋のがれきが幾度も体にぶち当たる。


 だけれども、カットスの短剣からは回避できた。


「フリウォル! 邪魔スンナ!」

「何が邪魔なのさ! あいつは今洗濯されてる途中さ!」


 思うように殺せないのが不満なのか、カットスがフリウォルに食って掛かる。


 連中は連携が取れてない。耐えるだけならもうしばらくいける!


 ――でも耐えた先は?


 既に全身に短剣が突き刺さっていて、瓦礫と風で大量に血が流れだしている。

 そんな状態で魔法が使える二人の上級天上人を相手にするのが出来損ないの僕一人。


 ……僕はここで死ぬ?


 何も残せない、満足にソフィアを逃がすこともできないまま?

 僕は何のために生きてきたんだ。


 心が折れそうになったとき。


「ウィリアム! 無事か!?」


 ――頼もしい声が聞こえた。


 風に呑まれ、上下もわからないままに空を見上げれば、見えたのは風で浮かび上がった瓦礫の上を颯爽と駆ける一人の男。

 短く刈り込んだ赤毛の髪を後ろに流し、小さな傷を増やしたその顔は、いつもと変わらぬ笑顔。


「うおおおお!!」


 彼は高く飛び上がり、上空にいるフリウォルに自慢の短剣で切りかかる。


「なに!?」


 驚愕の声を上げ、目を見開くフリウォル。

 とっさに高度を上げるも、乗っていたボードの先端が切り落とされる。


 斬りかかった彼は、そのまま落ちた僕の目の前に着地した。


 背を向けていて顔は見えない。

 だけど、それが誰なのか、すぐにわかった。


「遅れてわりい」


 いつもの陽気な頼もしい声。

 僅かに視界が滲む。

 喉までせりあがった熱をそのままに名を呼んだ。


「オスカー!!」


 頼もしい家族が来てくれた。


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