第4話 強さ
考えなければいけないことがたくさんある。
休養日が明けた翌日。
訓練場で軍人としての務めを果たしているときでも、昨日起きたことをぐるぐると考え続けていた。
だから、当然の報いがやってきた。
「ふざけるな!」
「げはっ!?」
振り下ろされた木剣が僕の脳天を砕き、地に叩きつけた。
頑丈なはずの金属製の鎧はへこみ、口の中に血の味が広がり、土が赤く染まる。
頭がガンガンする。立とうとしても視界が回り、膝が震える。
「何を呆けている。今が何の時間か、わかっていないのか」
追い打ちの声が上から降ってくる。
少しだけしゃがれた低い声。
「すいません、先生」
素直に謝る。自覚はあった。
昨日のソフィアとの一件が響いているんだ。あのあとオスカーが闖入して来たり、軍が遠征から帰ってきてお祭り騒ぎになったりで、彼女と話す時間がなかった。
それはそれで、終わってからぐるぐるとずっと頭の中を昨日の、ソフィアとのあの瞬間がずっとよぎっているのだ。
昨晩は寝られなかった。
しかし、いつまでも伏してはいられない。
僕は膝を叩いて立ち上がり、僕をぶった人を正面から見据える。
「ふっ、やる気ならばそれでいい」
軽く微笑んだのは、黒髪に鍛えられた肉体を持つ浅黒い肌の偉丈夫だった。見た目の歳は四十代といったところ。
男前の顔には皺ができており、それがまた貫禄と威厳をありありと表現しているようだった。
右手には木製の片手剣、左手には上半身を覆うほどの凧型の盾を持っていた。
彼は僕の教官。
名をアティリオ・アーサー。
昨日見たマルコスやヴァレリアにも負けないほどに、全身から神聖な気配を漂わせた、実年齢は百を超える正真正銘の凄腕の英雄だ。
僕が立ち上がり槍を構えると、応えるようにアティリオも剣を構える。
どちらからでもなく、互いの武器を振り回し、打ち合った。
「最近は続くようになったな」
押されつつ、何合も打ち合っているとアティリオ先生がフッ、と微笑み話しかけてくる。
「ご指導の賜物です」
「それにしてもだ。今まで多くの者を見てきたが、お前ほど必死に食らいついてきたものはいない。ほとんどの者は過酷すぎると、耐え切れずに他の指導教官の元へ移ったからな」
「それはまた、もったいないことをしましたね」
僕が冗談めかして言うと、
「全くだ」
といいながら、盾によって生まれた死角から渾身の一撃を繰り出してきた。
「っ! 気持ちは痛いくらいにわかりますけどね!」
出所のわからない鋭い一撃を間一髪で僅かに逸らすと、剣は顔のすぐ横、耳に触れてしまいそうな位置を空気を切り裂きながら通り過ぎて行った。
「今の一撃も、並みの兵士であればまず防げないだろう!」
「防ぐことしかしてこなかったもんで!」
「防ぐことこそ騎士の本懐! 守る者が無ければ人は戦えん!」
防がれたことが嬉しいのか、アティリオ先生の声が熱を帯びていき、さらに剣戟の速度が増していく。
必死に足と腕を動かし、槍の間合いを取りつつ、ひたすらひたすら攻撃を防ぎ続ける。
僕が今やっていることは、天上人として必要な実力を身に着けるための鍛錬だ。
天上人はその名の通り、この国――グラノリュース天上国の象徴ともいえる存在であり、卓越した実力を持つ戦士、いや、騎士だ。
騎士とは、軍人の上、一人で一軍にも匹敵する実力を持つ人間に与えられる称号だ。
天上人とは、何もせずとも騎士として祀り上げられるほどの存在だ。
かくゆう目の前にいるアティリオ・アーサー先生も騎士だ。
それも天上人に勝るとも劣らないほどの。
胴を横に両断せんがごとく振るわれる木剣。
僕は身をかがめ、剣の鎬を下から押すように槍をぶつける。剣が上に打ち上げられ、先生の脇が僅かに空き、隙ができた。
防御によって生んだ隙を穿つように、槍を回転させて斬り返し、アティリオの顎目掛けて突き出した。
「見事だ!」
アティリオ先生がこの日一番の笑顔を浮かべる。
僕もきっと笑っていただろう。
だけどすぐにその笑みを引っ込めることになった。
突き出した槍が躱された。
ならばと引き戻そうとしたその時に。
アティリオ先生が槍に噛みついたのだ。
「なあ!?」
何喰ってきたんだと思うくらいの顎の力。
槍を引き戻すことができず、僕は驚きのあまり防ぐこともできずに、袈裟切りに振り下ろされた剣に打たれた。
「あぐっ!」
情けないうめき声をあげ、槍を手放し後方へと吹き飛んだ。
「悪くない……が、いかんせん経験が足りないな」
くわえた槍を手元に落とし、膝をついてうめいている僕の前に放り投げる。
特に追撃をかけてくる様子はない。
落ち着いて息を整え、槍を持って立ち上がる。
くそ、もう一本だ。
次こそは――
「もう教えることは無いな」
「え?」
当然、まだまだ鍛錬は続くのだと思っていた僕は、アティリオの言葉の意味が理解できなかった。
アティリオはもう一度、はっきりと僕の目を見て、いたって真剣に。
「もう私が教えることはない。免許皆伝だ。ウィリアム」
「……っ……!」
確かにそう言った。
僕は、もう十分な実力を持っているのだとそう言ったのだ。
免許皆伝といわれた。
だけど、まったく喜ぶ気にはなれなかった。
槍を握る手に力が入る。
「なぜですか?」
「なに?」
一歩、踏み出す。
「僕はまだ、先生から一本も取れてない。まだ、あなたの下で学び出してから二年しか経ってない。それで、免許皆伝? 天上人として十分な実力ができると?」
また一歩。
「僕はまだ、誰にも勝てない。出来損ないの僕は、ほかのどの天上人の中でも一番弱い。これで免許皆伝、もう教えないなんて言われたら、僕は……ッ!」
「ウィリアム!」
詰め寄る僕を、先生が一喝した。
ハッと顔を上げる。
僕の胸倉を先生は掴み、ぐいっと顔を近づける。
視界一杯の彼の顔、その眉間には深い皺が刻まれていた。
「誰がお前を出来損ないといった?」
その問いに、屈辱と悔悟、怒り、いくつもの感情が湧き上がってくる。
奥歯を食いしばる。
「誰もがそう言います。城の兵士は全員が口をそろえて僕を出来損ない、天上人の面汚しだと。いつも傷だらけの痣だらけ。魔法も使えず、それどころか元の世界の記憶もない。戦う力もろくにない。ソフィアやオスカーのように、かつての世界で培った知識で役立つことすらできやしない」
吐き出せば、止まらなかった。
僕はあまりにも……天上人にふさわしくない。
僕は、何も守れない。
「ここまで必死にやってきました。武芸だけでもいい。先生について行けば、天上人に恥ずかしくない実力をいつか得られると。……だけど、遠すぎます。いまだ、先生の背中すら見えない。努力すれば努力するほど、その背中が遠い。遠すぎるんです」
過酷すぎるアティリオ先生の鍛錬に耐えられたのは、それだけ必死だったから。
一緒にいるソフィアやオスカーに恥ずかしくないように、二人を守れるようになりたかったからだ。
それなのに、まだ全然足りない。
そんな状態で免許皆伝なんて、僕はもう強くなれない。見放されたと同じだ。
「先生……天上人としての僕はもう……ここで終わりですか?」
俯く。
こんなんじゃ、ソフィアの気持ちにこたえられない。
誇り高く強い彼女に、弱い僕はふさわしくない。
足を引っ張るだけの家族なんて――。
「ウィリアム」
顔を上げる。
瞬間、視界がぶれた。
「ガハッ!」
途端に再び地に伏した。
口の中に鉄の味が広がる。痛いからか、それとも他の何かのせいか。
血以外のものが地面に落ち、土を暗い色に染めた。
「ウィリアム!」
「……ッ!」
アティリオが僕の胸倉を再び掴む。
だがその顔は、怒りに満ちたものではなかった。
険しい顔、だけどどこか悲しそうだった。
「お前は決して、出来損ないではない」
「……っ」
真っ正面からの言葉。
「お前は決して、弱くなんかない」
「……なぜ」
力強く、僕の目を見て言う先生に、仄かに何かを期待してしまう。
僕には何かがあるのだと。
「強さとはなんだと思う?」
逡巡考える。答えはすぐに出た。
「誰にも負けない、敵を討ち仲間を救う力を持つこと」
「違う」
即答された。
眉をしかめる。
「強さとは鋭い剣を振るえることでも、動じない肉体を持つことでもない。常人にはない魔法が使えることでも、優れた知識を活かすことでもない」
「ではなんだというんですか」
「ここだ」
先生は、僕の胸に手を当てて、
「強さとは、意思だ」
断言した。
「この世界は意思が無限の力を持つ。お前にはそれがある。記憶がない? 魔法が無い? 知識がない? そんなものは必要ない。たった一つ。譲れない一つがあればいい」
「……意思が無限の力を持つ?」
「そうだ。意志ある限り、『加護』はお前を見捨てない。お前はまだ知らないだけだ。お前の中には、他の誰にも負けないほどの力がある。魔法なんて必要ない」
僕も知らない力が、僕にはある?
「『加護』? ……それは一体なんですか?」
先生は手を離す。
体は急に自由になって、情けなく地面に尻もちをついてしまった。
「『加護』とは人が持つ意志の力。願いを叶える可能性を秘めたものだ。その強さも種類も条件もすべて人それぞれだ」
「でも誰もが持つのでしょう? 僕は今まで一度だって『加護』を見たことがありません。とても天上人としてやっていけるほどの力とは思えません」
「大事なのはお前の意思だ」
先生は地面に座り込んだ僕の横に移動し、同じように腰を下ろした。
「これはあくまで俺の考えだ」
先生はそう前置きした。
「強さとは、覚悟だ。たった一つ、譲れないもののためにすべてを捨て去る覚悟を持つことだ」
「すべてを捨て去る?」
「あれもこれもすべてが大事、などという人間に何かを成すことはできない。結局身動き取れずに失うだけだ。大事なのは何が大事なのかを理解し、その大事な物のために命を懸けることができるかどうかだ」
わかるようで、わからなかった。
取捨選択し、たった一つ選ぶだけで守れるのか?
その一つを守るのに必要なのは、結局力じゃないか。
「ウィリアム。お前の大事なものはなんだ?」
「大事なもの?」
問われて、ぱっとは思いつかなかった。
「俺には家族がいた」
考えていると、先生が朴訥に語りだした。
「いた、ということは……」
「妻はとっくに老衰だ。俺は聖人だ。人と生きる時間が違う」
聖人。
神気と呼ばれる神聖な気配を常に纏う人間のこと。
天上人を始めとした騎士は全員が聖人だ。
神気は世界の根源と呼ばれる力であり、神気で体を作っている聖人の体は劣化が著しく遅いため寿命が非常に長くなる。
老衰、ということは、先生の相手は普通の人だったんだろう。
「俺は物事に優先順位を決めている。俺にとってもっとも大事なものは家族だった」
「優先順位……」
「俺は家族のためなら世界を敵に回しても構わない。逆に家族を守るためにこの命が必要だというのなら、俺は喜んで差し出そう」
いつもの『私』ではない。アティリオ先生の本心。
「でも奥さんはもう……」
「家族は一人ではないさ」
先生が僕を見て、笑った。
僕は息を飲んだ。
その顔は、今まで見たことが無いような、とてもやさしい顔だった。
「俺には息子がいた」
「いた……」
「死んだかどうかは定かではない。生きているのか、死んでいるのか」
行方不明、ということだろうか。
なんといえばいいのかわからなくて、黙り込む。
訓練場の片隅で、沈黙が落ちる。
「ウィリアム。自らを貶めることを私は許さない」
「え?」
「お前は私がこの数年教えたことが無価値だと言いたいのか?」
「いえ! そんなことは!」
これは本当だ。
先生の指導は本当にすごいものだった。とても過酷で痛みを伴うが、その分だけひるまなくなったし、度胸も据わったと思う。
でも、じゃあ天上人かといわれれば違う。
「ウィリアム。お前は私ではない」
アティリオが立ち上がり、僕に背を向け歩き出す。
「既に防御術について教え終わった。これから先は私の戦い方になる。私の戦い方はお前には合わない。これから先の道は、お前自身が考え、歩むしかない」
「僕の道……」
「そうだ。お前は私ではないし、私はお前ではない。自ら考え、試し、ものにしろ。そのための免許皆伝だ」
アティリオは僕に向き直り、未だ座り込んだ僕に向けて剣を構える。
ようやく理解した。
先生は、いや、アティリオは、僕を弟子ではなく、一人の対等な相手として向かい合ってくれるということだ。
ならば、答えなくてはいけない。
師を超えることが弟子のすべきことだから。
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