26. 雷雨


「しくじった……。カッパ持ってけーへんかった」

 買い物を終えてスーパーから出ると、ものすごい勢いで雨が降っていた。


 そういえば、朝の天気予報で、

『午後は不安定なお天気で、ところによっては、雷を伴って激しく降るでしょう』って、言ってたような……。すっかり忘れていた。家を出るときは、気持ちいいくらいの快晴だったから。


 今日は、朝から、クロックムッシュはじめ、少し気合いの入った朝食を食べてゴキゲンなみんなを送り出し、洗濯や掃除を済ませて、自転車で15分ほどのスーパーに買いだしに来たのだ。

 前カゴにも後ろカゴにも、カバーをつけているので、買い物袋が雨に濡れる心配はない。でも、自分はずぶ濡れになりそう。スーパーなのでレインコートは売っているけど、わざわざ買うのはもったいないし。

 

(う~ん……)

 店内に戻って、カフェコーナーに座り、スマホで雨雲レーダーを確認してみる。

 どうやら、まだまだこれから大きい雨雲の本体が近づいてきそうで、雨がすぐに止むことはなさそうだ。むしろ、この先1時間以上、このあたりは雨雲のまっただ中になりそうなのだ。

(よし! 帰ろう。もっとひどくなる前に)

 同じ決意をしたらしい人たちもいて、傘なしで雨の中に踏み出す人の姿もけっこう少なくない。

 私も覚悟を決めて、外に出る。日よけの帽子をかぶれば、雨が目に入るのを多少は防げる。自転車に荷物を積み込んで、走り出す。


 走り出して5分としないうちに、雷の音が大きく響き始める。時々空に稲光が走る。うぎゃ。

 ペダルをこぐ足に力を込めるけれど、荷物が重くて、スピードはあまり出ない。あ。また光った。ぎゃ。

 雨足はますます強まる。道が滑りやすいので、慎重に走る。空が光る。うあっ。

 ひとりで、時々声を上げながら、走る。


 なんとか帰り着くと、全身ずぶ濡れだったので、とりあえず自分の家の方に入る。

 買ってきたものをさっと冷蔵庫に入れてから、軽くシャワーを浴び、服を着替える。やっとほっとする。

 全身雨に濡れた後にシャワーを浴びると、なんだか、小中学生の頃の水泳の授業のあとみたいな気分だ。けだるいような眠いような。

 そういえば、学生時代、水泳後の授業、うたた寝率、ハンパなかったよな、なんてことを思い出す。

(晩ご飯の下ごしらえ、せなあかんねんけどな……)

 そう思いながら、リビングのソファに腰を下ろす。自然に瞼が下りてくる。



 ふと気がつくと、私は、うちの縁側に座っていた。縁側からみる裏庭は、今とそう景色は変わらない。けれど、違っているのは、裏庭の向こうに1本の大きなクスノキがあることだ。私が、小さい頃に、雷が落ちて焼けてしまったので、今はもうない。

 ないはずのその木があることで、私は、これが夢なのだと気づいた。気づいているけれど、引き続き私は夢の中にいた。どうやら、この夢の中では、小学1年生の頃の私のようだ。

 

 縁側に座った私は、足をぶらぶらさせながら、クスノキとその向こうの空を眺めている。

 丸い月がぽっかり浮かんで、月面の模様までくっきり見えるようだ。

(うさぎ、ほんまにおるんかな?)

 そんな他愛もないことを考える。

 どことなく空気がひんやりしている。季節は秋のようだ。

 母と祖母が居間で、なにやら熱心に話をしていて、私は退屈だったので、ひとり、縁側にでてきたのだ。


「ふうちゃん。牛乳飲むか?」

 おばあちゃんが、温めた牛乳をマグカップにいれて、持ってきてくれた。

 みると、表面にうっすら膜が張っている。

「あ」

「あ、そうやった。あんた、あったかいの、苦手やったね。ごめんごめん。でも、もうこの頃涼しぃなってきてるから。膜、とってこよか?」

 おばあちゃんは言ってくれたけど、ワガママみたいな気がして、

「ううん。いい。ありがと」

 そう答えた。

「ごめんな。お母さんとばあちゃんばっかり話してて、退屈やな? もう少し待っててくれる?」

 何かだいじな大人の話があるらしい。

「いいで。私、ここで、お月さまみてるし」

「そうか。ごめんな」

 祖母は母のいる居間に戻っていった。


 しばらく、カップが熱かったので、すぐには飲まずに、私は、ぼんやり空を見ていた。

 すると、クスノキの向こうの空に、今まで見たことのない、光が幾筋も走り、そして、そのうちの大きな光が、クスノキに向かって真っ直ぐに落ち、木が青い炎に包まれた。炎の勢いは激しく、大きくて、太い、葉の茂ったクスノキが炎の中で、みるみる焼け崩れていく。

 

(え? え? 何? 何あれ?)

 驚いて声も出せないでいる私の目の前の、少し離れた地面に、急に小さな男の子の姿がゆらめくように現れた。

 その子は、丸く目を見開いて、呆然とした様子だったけれど、振り返って、青い炎に包まれたクスノキをみると、そちらに向かって走っていこうとした。

 大きな枝が、覆い被さるように、こちらに向かって焼け落ちてくる。

「あぶない!!!」

 私は、慌てて縁側から飛び降り、その子に飛びつくようにして抱きかかえた。

 彼はほんの少し、私より背が小さくて、華奢だった。

「ハナシテ!」

 もがくように、私の腕から抜け出そうとする彼を私は、必死に抱きしめる。

「あかん。ちかよったら、あぶないから。ここにおり」

「ママ! パパ!」

 腕の中で、必死でもがく男の子と、抱きしめて引き留める私、2人の目の前で、クスノキは、みるみるうちにくずれるように燃え落ち、その灰のところどころで、青い炎が、静かに揺れていた。

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