22. 着替え


 私が頭を抱えていると。

 玄関のベルが鳴った。ぴ~んぽ~ん、ちょっと間延びした感じだ。

「はあい」

 インターホンの画面の中に写っているのは、お隣さん7人のうちの1人、ナオトだ。

 朝、みんなと一緒に出かけていったのに。

 

「どうしたの?」

 急いで出てみると、彼は手に、袋を下げている。

「あの、これ。よかったら、使って」 低い声で、ぼそっと言う。

 受け取った袋の中には、袋に入ったままの新品の下着や、Tシャツやジャージなどが入っている。

「え? これ?」

「帰ってくるとき見てしまってん。2人で田んぼ、ハマってるところ」

 少し笑いをこらえている。

「え?」

「どろどろになって……着替えないんちゃうかと思って」

「……わぁ。今まさに、それで頭抱えてたところ。すごい、洞察力! ナオトさん、ありがと! 最高! めっちゃ助かった」

 ナオトと先輩の体格は近い。身長もたぶん同じくらいだし、スリムさも。

 これで、懸案の下着問題も解決だ。ありがたい。


「返さんでええよって言うといて。下着は新品やけど、Tシャツとかは、古いやつやし。捨ててくれても大丈夫やから……」

「……ごめんね。ありがとう。ほんと助かったぁ。でも、今日、大学は?」

「大学行く途中に休講の知らせが入ってさ。それで帰ってきてん。……役に立ててちょうどよかったわ」

 そう言ったナオトが、ちらっと私の髪に目をやって、

「ここ。どろついてる」

 前髪の真ん中らへんを軽くつまんだ。そして、その指を少し右へずらすと、

「ここも」

 私のこめかみ辺りにそっと触れた。そして、ふふっと笑うと、

「なにやってんだか……」

 そう言うと、軽く手を振って帰って行った。

(……ちょっと待て。今のは、なんだ) 

 なんか胸がドキッとした。なんだか触れられたこめかみが熱いような。ピクピクするような。ドクドクと波打つような。

 一瞬ぼうっとしてしまったけれど、我に返って、私は、脱衣所へ急ぐ。

「早く、着替え持ってかないと」


 お風呂場は、シャワーの音が止まっている。扉の向こうでタオルで体を拭いているようだ。

「先輩。着替え、ここ、置いときます」

「ありがとう」

 急いで、脱衣所を出て扉を閉める。

 

 脱衣所の隣のキッチンで、グラスに麦茶をついでいると、先輩がナオトが提供してくれた服を着て出てきた。

「あ。ぴったりですね」

「うん。よくあったね。僕に合うサイズ」

 先輩が不思議そうにしている。

「それね、お隣さんが、提供してくれたんです。私たちが、田んぼにハマるところ、偶然、目撃しちゃったんですって。で、着替えいるんじゃないか、って持ってきてくれたんです。返さなくていいよって言ってました」

「へ~。そうなんだ……」

 先輩が、少し微妙な顔をしている。


「下宿人7人、だっけ」

「そうです。高校生、大学生、社会人含めて7人」

「男ばかり?」

「そうですよ。みんな素直で親切でいい子たちです」

「……そっか。やりにくいこととかは、ないの?」

「う~ん。今のところ、とくにないです。私も家事全般、だいぶ慣れてきて手際よくやれるようになったし」

「……そっか。……なら、よかった」

 先輩が、やっとゆったりした笑顔になった。

「俺、先に入らせてもらってごめんね。どうぞ、野々原さん、入ってきて。髪とか顔も、あちこち泥がついてる」

「じゃあ。そうします。よかったら、こちらで待っててください」

 先輩をリビングに案内する。母が集めた本が壁一面の棚を埋め尽くしている。

「どれでも、気になるものは自由に読んで下さいね。母の蔵書です」

「ありがとう」

 先輩は、本棚の前の1人がけのソファに腰を下ろして、棚を眺め始めた。


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