9.ナゾはナゾとして


「おはようございま~す!」

 暖簾を跳ね上げるようにして、一番に元気な顔をのぞかせるのは、タクトだ。今日も大きな丸い瞳がキラキラ輝いている。

「おはようございます! 今日も元気ですね」

 私は、振り向いて応える。ちょうど、具だくさんのお味噌汁がいい具合にできあがったところだ。浅漬けも上手い具合に漬かっているし、だし巻きたまごも、上手く巻けた。焼鮭もいい感じの焼き具合、ほうれん草のおひたしも絶妙な味付けに。あとは……

「わあ、おいしそう。だし巻き、めっちゃ好き」

 おかずを盛り付けた皿を見て、タクトがはしゃいだ声を上げる。

「今朝は、結構上手く巻けてん。味付けも、まあまあいけるんちゃうかな~と思うねんけど……」

「けど?」

「納豆がね……」

「納豆?」

 昨日の、ヒロヤとの会話で、納豆の匂いを避ける方法をどうするか考えてみる、とは言ったものの、何もいい案は浮かばず、結局、納豆問題は、保留のままだった。

「……ああ。ヒロくんやな。かまへんかまへん。気にせんと出してくれてええから。僕らみんな納豆好きやし」

 少し困った顔の私に、事もなげにタクトが言う。

「食べたら美味しいのにな」

「食べられないだけじゃなくて、匂いが無理って言うから、どうしたものかな、と」

「ヒロくんだけ、キッチンで食べたらええんちゃう。僕らはいつも通り、居間で食べるから」

「ひとりで?」

「それは、淋しいやろうから、風子さん、つきあったげてよ」

「え?」

「風子さんも、朝ご飯まだでしょ?」

「う、うん。まあ」

 ちょっと胸がトクンとなる。ヒロヤと2人で?

「じゃあ、決ぃまった。今日は、ヒロくんは風子さんとキッチンで朝ご飯」


「ちょ、待てよ。何勝手に決めてるん?」

 キッチンに入ってきたのは、ヒロヤだった。

「え、でも、ヒロくん、納豆の匂いパスなんやろ? 今朝は、僕ら、納豆食べるで。たぶん、ヒロくん以外全員。これまで、ヒロくんのために、ずっと食べたいのガマンしてきてんから。」

「ええ~。タクト、そんなこと言わんと」

 ヒロヤが甘えるように、タクトにすがる。

「あかん。今日は、僕はヒロくんより、納豆選ぶ」

「ええ~。そんな淋しいこと言うなよ」

「せやから、風子さんにもキッチンで一緒に朝ご飯食べてもらうから、ええやろ? 風子さんと2人で食べるのいやなん?」

「え、あ、いや、そんなことは、ない。全然ないけど」ヒロヤがちょっとあたふたしている。

「え、なになに? なんの話?」

 ユウトが暖簾の間から、顔を出した。いつもと同じ、お肌つやつやキラキラの笑顔だ。

「ああ、今日、納豆出るから、ヒロくんには、風子さんとキッチンで食べたら、って言うててん」

 タクトが言うと、

「あ、ええなぁ。ヒロくんズルい。僕も、風子さんとごはん食べたい」 ユウトが甘えた声を出す。

「え、なになに? 風子さんとごはん? え、ヒロヤ、風子さんをデートかなんかに誘ったん?」

 次に現れたのは、テツヤとサキトだ。

「ちゃうちゃう。納豆の匂いする間だけ、キッチンに避難しよかなって話」

 ヒロヤがあわてて、顔の前で手を振っている。

「なあんや。そっか。え、でも、待って、今日は納豆出るってこと? 久しぶりやん。やった~」

 サキトが言う。

「やった」

 続いて、低い声で、ポソッと言ったのは、ナオトだった。

 そういえば、一番納豆好きなのは、ナオトだ。


「みんな、何してるん? さっさと用意するで。居間のテーブル準備しよか」

 暖簾をかき分けて入ってきたトモヤが、テキパキと料理ののったお皿をお盆に載せる。

「あ、トモヤさん、今日の当番さん?」

「うん。そうやで」

 手際のいい彼は、みるみるうちに、居間のテーブルの上に、全員の食器を並べる。私も急いで、お味噌汁をよそい、ご飯をついで、お茶をいれる。

 結局、いつも通りの席にみんなが収まって、

「では。手を合わせて下さい。いただきます!」

 ちょっとハスキーな声で、トモヤが言って、みんなそれにあわせて、元気な声で、食べ始める。


「ヒロくん、ごめんな」

 みんな少し、申し訳なさそうにことわりながら、次々、納豆のパックのふたを開ける。

「ええよ……」

 ちょっと力なく、ヒロヤは応えていたけど、

「このだし巻き、めっちゃ美味い! 味噌汁も、具だくさん、最高!」

 他のおかずに気持ちを集中させることにしたらしい。

 でも、ほうれん草のおひたしには、なかなか箸がのびる様子がない。

「ヒロヤさん」

 声をかけて、目でほうれん草に視線を誘導すると、ヒロヤが、ああ。という顔をする。

「食べなあかん?」

 まるで、小さな子どもがおねだりするみたいな顔で、私に訊いてくる。

「もちろん」

 大きくうなずいて、答えると、しぶしぶ、箸を運んで口に入れる。

 そして、次の瞬間。

「あ。……美味しい」

「でしょう? 今朝は、けっこういい味に仕上がってると思うよ」

 ヒロヤが、黙って二口目を口に運んでいるのを見ていると、

「風子さん、まじで、全部、味付け最高やで」

 そう言いながら、トモヤが、おかわりのごはんをつぎに来る。食いしん坊で料理好きの彼が言ってくれると、なんだか自信が湧いてくる。

「ありがとう。よかった。……あ、ご飯、つごうか?」

「ありがとう。でも、自分のお腹の加減みて入れたいから」

「なるほど」

 見ていると、いつもおかわりをしないナオトが、2杯目のごはんをついでいる。納豆のせいらしい。

 みんなの美味しそうに食べる姿が気持ちいい。ワイワイおしゃべりしながら、一口食べるたびに、とろけそうな笑顔になる。美味しいと思ってくれているらしいのが、その表情で伝わってくる。なんか、こういうのって、幸せだなと思う。一緒に、美味しいね、って笑い合える人たちがいる、そんな時間。

 

 そのとき、不意に、頭の中に浮かんだ顔があった。今の彼らと同じように、私のつくったごはんを、幸せそうな、嬉しそうな笑顔で食べてくれた人。

(どうしてるのかな?)

 一瞬思ったけど、

(まあ、もう関係ないや……)

 私は、その面影を静かに振り払う。

 そんな私を、ヒロヤとタクトが、そっと横目で見ていたことに、もちろん、そのとき私は気づかなかった。


 そして。

 私が、昨夜の、あの白く光る球体のことを思い出したのは、あわただしく出かけていく彼らを見送ったあとだった。

 誰も、何も言わなかったけど。

(ほんとに何やったんやろう?)

 光る球体は、吸い込まれるように、この家の中心部分の屋根に向かって、吸い込まれていったみたいだった。でも、彼らはみんな、何事もない、いつも通りの様子で。

 う~ん、ナゾ。

 ナゾはナゾとして。ともかく、やるべきことは山盛りある。まずは、それを片付けよう。

 私は、洗濯機を回しながら、家中の掃除を始める。

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