1.バイトしてみ〜へん?
話は少し遡る。
最近、私は、母が1人で住んでいた実家に帰ってきた。ここからバスと電車を乗り継いで2時間半ほどかかる街のアパートで一人暮らしをしていたけれど、母が亡くなり(父はとうになくなっている)、この家の処分をどうする、となったとき、結局、ここに引っ越してきた。それと同時に仕事も辞めた。なので、実は今、無職だ。
このままずっと貯金を食い潰す日々では、さすがにあかんよなぁと思いつつ、かといって、したいことも出来そうなことも何も思いつかないまま、私は、ホウキで家の前に落ちている葉っぱを掃いていた。
そこへ、同じようにホウキを手にして出てきた隣のおばあちゃんが、言った。
「バイト、してみ~へんか?」
「なんのバイト?」
「下宿屋のお世話。建物の内外のそうじ。食事作りなど。勤務時間、お給料などは応相談」
おばあちゃんは、バイト情報のチラシを読み上げるみたいに言った。
「う~ん。それ、場所は?」
「ここ」
そう言って、おばあちゃんが振り返ったのは、彼女が住んでいる、大きな和風建築の家。部屋数は多いけど、基本、各部屋は襖で仕切られていて、あまりプライバシーが守られるとは言いにくそうな建物。子どもの頃に遊びに行ったとき、襖を開け放てば、めちゃくちゃ大きな広間になるのを見てびっくりした記憶がある。
「下宿屋、するん?」
「そう。するねん。ていうか、もう、してる」
「え? いつから?」
「先週から」
「気ぃつかへんかった。めっちゃ静かやし」
「まあ、みんな、まじめな、おとなしい子ばっかりやからねえ」
それにしても、そんなに人が出入りする姿もみかけていない。
まあ、私もあまり出かけないし、同じと言えば同じか。
「何人くらい、入ってはるの?」
「え~とね、7人」
「あら、けっこう多い」
「そうやねん。でも、お行儀もええ子らやし、そんなに手間はかからへんと思うで」
おばあちゃんは、もうすっかり、私がイエスというのを前提に話しているみたいだ。
「う~ん。ちょっと一晩だけ考えさせてもろてもええかな?」
「ええよ。でも、ほんまに可愛い、ええ子らやから、きっとやってよかった、って思うはずやで」
おばあちゃんは、そう言って、集めた葉っぱをさっさとちりとりで取ると、家の中に入っていった。
その後ろ姿を見送りながら、隣家の庭を見る。広い。木もたくさんあるし、油断すると、地面からはすぐに雑草が生えてきそう。建物はけっこう古いけど、中の設備はどうなのか。台所とか、まさか薪とか使ってたりはしないよな。この家で、本気で家事とかしたら、意外にハードそうな気がする。
私は、もうハードな仕事はしたくなかった。土日も祝日もないような、そしていくらがんばってもきりのない仕事は、もうしたくなかった。――――私は、とても疲れていたから。
その夜、台所のテーブルで、1人で晩ご飯を食べていると、隣の家から、笑い声が聞こえてきた。
「え~何言うてんの~」「ちゃうちゃう」「せやけど~」とか、楽しそうな複数の声がかすかに聞こえてくる。隣の敷地が広いので、具体的に何を話しているのかまでは、よくわからないけど。
しばらくして、カラリと窓を開ける音がして、美味しそうな焼き肉の匂いが風に乗って流れてきた。
さっきより、会話がはっきりと聞こえる。
「あ~、それ、僕が育てた肉!」
「あ、ごめんごめん。いらんのかと思ってん。ずっとおいたままやから。焦げたらあかん、と思って」
「僕は、しっかり火が通ったやつがええねん。トモくんは、レアの段階で、すぐ食べようとするから。もう、油断もスキもあらへんわ」 可愛らしくぼやく声がする。
「ごめん、て。かわりに新しい肉焼いたるから」 トモくんと呼ばれた声が言う。
すると、また別の声が、
「ほら、こっちにもよう焼けてる肉あるで」
「あ、ありがとう。ええの? ヒロくんが育ててたやつちゃうん?」
「ええよ。僕はだいぶ、満腹になってきてるから、ユウト、食べや」
「うん。ありがとう!」
「ナオト、ちゃんと食ってるか?」 また別の声がした。
「うん。食ってるよ」 ナオトと呼ばれた、少し低めの声が応える。
「おまえ、また肉だけちょろっと食っただけやろ。野菜もちゃんと食わなあかんで。サキ、おまえも」
「大丈夫。食べてる食べてる」
「そういうテツくんこそ、ちゃんと食べてる? 人のお世話ばかりして、自分あんまり食べてへんやろ」
また違う声がそう言って、
「タクは優しいな。ありがと」 テツくんと呼ばれた声が、嬉しそうに応えている。
彼らの会話を聞きながら、なんとなく声の人数を数えていたら、7人分。どうやら、この7人が、おばあちゃんの家に住み始めた下宿人らしい。
それにしても、『可愛いおとなしい子ら』とおばあちゃんが言うから、私はてっきり、若い女の子たちを想像していた。でも、どうやら、7人は、若い男の子たちのようだ。年齢層は、若干広がりはあるようだけど、それほど大きな差はなさそうに思える。テツくん、と呼ばれていた声が、一番落ち着いていて、年長者らしい雰囲気がした。あとはよくわからない。でも、おそらく、みんな私と同じくらいか、それよりやや年下、な感じがする。
声の感じからして、そんなにややこしそうな乱暴そうな子もいないようだし、この子たちなら、そんなに問題はないかもしれない。
自宅が隣だから、通勤も楽だし。勤務時間も応相談だし。
無理のない範囲でという条件で、バイト、試しにやらせてもらうことにしようか。
私は、晩ご飯のあとの食器を片付けながら、彼らの楽しい声に、気持ちが、少し弾むのを感じていた。いいかもしれない。ちょとした気分転換にはなるかも。
翌朝、いつものように、おばあちゃんと門の前のそうじで出会ったとき、私は、「やります」と、あっさり答えてしまったのだけど。
まさか、後々、彼ら7人の抱える大きな秘密に巻き込まれることになろうとは、そのときは思いもつかなかった。
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