まだ恋を知らないのは俺だけじゃない
望月遥
名前を知る
いつもつるんでいる友人が欠席だったので、
購買でパンとジュースを買い、たまには一人もいいかと屋上へ上がる。幸運なことに今日は貸切のようで、場所は選び放題だ。初夏の真昼の日差しを避けて給水タンクの陰に腰を下ろす。カレーパンとウインナーパンを食べ終えて、まだ少し物足りない。休んだ相手とスマホのメッセージアプリでやりとりしながら、明太フランスも買えばよかったと後悔する。
残ったジュースを飲み干して、ストローを咥えたままゲームのアイコンをタップした時、屋上入り口のほうから足音と話し声が聞こえてきた。
「なに、話って」
「あ、あのっ」
白けたような男の声と緊張でいっぱいの女の声。これはあれだ。あれだわ。
気づかれないようにちらりとタンクの脇から覗いてみると、短髪で背の高い男子生徒の背中とメガネをかけたボブヘアーの女子生徒が見えた。
(あーあ)
先の展開が読めた。ありゃ期待薄だなと、視線と意識を液晶に戻す。案の定断りを入れる低い声と、なぜか謝る高い声、続いて足音と扉の音が耳に届いた。
自分には関係ないが少々後味が悪い。イヤホンしときゃよかったと思ったがもう遅い。彼女は自分がいることには気づいていないだろうから、下に戻るタイミングもつかめない。
(どうすっかな)
何気なく動かした足は持ち主の意思とは関係なく購買の紙袋を踏んづけて、なかなかの音を出してくれた。
「えっ!?」
勇気を出した一世一代の告白が失敗に終わり、がっくりと肩を落としていた女子生徒がその音に反応する。きょろきょろと周囲を見渡して、おそるおそる音のしたほうに歩いてきた。そして譲と目が合った。
「………」
「………」
「聞こえてた…よね?」
「うん」
隠すのもおかしいので素直に返事をする。
目の前でへなへなと崩れ落ちた女子生徒の顔には見覚えがあった。しかしどこで見たのか思い出せない。昨今の多くの高校がそうであるように、この学校もまた制服に名札がついていなかった。上履きに入ったラインの色から、同学年であることは間違いないが、同じクラスの女子ではない。
気まずい空気の中、彼女は消えそうな声を絞り出した。
「誰にも、言わないで。お願い」
「ああ、うん」
もとよりそんな気はなかったので軽く返事をする。
「絶対よ、お願い!」
噂になるのがよほど怖いのか、両手を合わせて頭を下げて、強く念を押してきた。
「大丈夫だって」
そもそも興味がないし、
(だいたい、俺お前の名前もさっきの奴の名前も知らねーし)
とはさすがに口に出さず心の中にとどめておく。
膝の上のスマホから軽い音が鳴った。早めに設定しておいたアラームだ。
「んじゃ、休み終わるから」
ざっと音を立てて立ち上がり、譲は紙袋を拾うと彼女を残して屋上を後にした。
「いらっしゃいませー」
「ありがとうございましたー」
日曜日の昼下がり。ショッピングセンターの中にある中規模書店に、エプロンをかけて仕分けをする譲の姿があった。たまたま募集の張り紙を見かけて入ったバイトだが、接客が苦にならない性質なので結構気に入っている。
普段なら知ることもないようなジャンルを扱った雑誌の表紙は見ているだけでも楽しいし、仕事がら出版予定表を見ることが多くなるので欲しい新刊の予約も逃すことがない。ちょっと、いや、かなり際どい表紙の本につい目がいってしまうのもまあ、お年頃の健全な男子だから許してほしい。
「上総くん」
声をかけてきた店長は、面接の時から優しそうだなと思っていた四十代くらいの男性だ。予想は当たっていて、従業員にも穏やかに接し客の注文や相談に親身になって乗る姿を見ていると安心する。
「今日何時までだっけ」
「五時までです」
「じゃあちょっとレジ替わってあげて。休憩いってもらいたいから」
「はい」
レジを打っているベテランのパート女性に声をかける。
「交代です。店長が休憩どうぞって」
「ありがとー、じゃあお願いね」
結婚して子供もいるらしいが所謂オタクで、現役高校生の譲や他のバイトたちと一緒になってゲームや漫画の話で盛り上がれる、とっつきやすい人である。
時給は決して高くはないが、様々な年代の人と楽しく過ごせるこの店は居心地がいい。
レジに立ち、慣れた手つきで数人を捌いたところで次にやってきた客が「あ」と声をあげた。
「あ」
つられて声がでてしまった。目の前にいるのは。
「…お願いします」
先日学校の屋上で告白に失敗した彼女は、猫の写真集とコミックスの新刊、それとポイントカードを差し出した。
(そうか)
譲は一人納得する。見たことあるような気がしたのは、店にたまに来る客だったからか。
スキャナーでカードを読み込むと、名前とポイントが表示された。彼女に常連というイメージはなかったが、ポイントがかなり貯まっているところをみると単にシフトの関係で見かけることが少なかっただけだろう。
名前欄には「
(猫、好きなんかな)
そんなことを思いながら写真集を袋に入れた。家で飼っている猫がよくする格好と同じポーズの子猫が表紙の一冊で、商品を並べる時に目について覚えていたものだ。
心なしか気まずそうな彼女にかまわず、普段通りの接客をしてお釣りを渡す。梓はぺこりと頭をさげて受け取ると、そそくさと行ってしまった。
それから数度、学校内やバイト先で彼女を見かけることがあった。書店で本を探しているところだったり、学校の廊下だったり下足室だったり、見かける場所はまちまちだったが、彼女はほとんどの時一人だった。そういえばこちらは名前を知っているが、彼女は譲の名前を知らないはずだ。譲はその事実に気づいてなんだかもやっとしたような気がしたが、まあ気のせいだろうと首を振った。
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