第25話 ヒューイの焦り

 ヒューイは諜報部長からカトリーヌの母、マリアンヌの消息について報告を受けていた。


 一週間ほど前に、マリアンヌは王宮に行ったまま、アードレー家に帰って来なくなり、行方を捜していたのだが、どうやら王国の国境警備隊の施設に現れたらしい。


 マリアンヌは貴婦人にもかかわらず、扇情的な衣装を着て、お供を一人もつけずに国境警備隊の施設に入って行った。そのため、ダンブルの諜報部が潜ませている見張りが、マリアンヌのことをゾルゲの娼婦だと勘違いしていたのだ。


 ところが、おとといの夜、ゾルゲが本物の娼婦を呼んだため、二人呼ぶのはおかしいということで、酒場などで聞き込みを行った結果、あれはマリアンヌだ、という話になった。


「カトリーヌ様の母君だけあって、頭は切れるし、行動が大胆不敵です。これまでで一番の強敵かもしれません」


 諜報部長はマリアンヌに対する警戒感を強めた。


「何のために国境警備隊に来たのだ?」


「今、情報収集中ですが、カトリーヌ様が国境近くで治水の調査中というのは偶然でしょうか?」


「偶然じゃないな……」


 カトリーヌはあまり大げさな護衛をつけたがらない。


 しかも、治水関係の作業のときは、カトリーヌは動きやすいように男性の服装を着て行動している。近くで見れば、超美人なのでバレてしまうが、遠目からは皇太子妃だとはバレないはずだ。


「いや、俺は五百メートル先からでもカトリーヌだと分かるがな」


「で、殿下?」


 諜報部長が気味悪そうにヒューイを見た。


 そのとき、報告官が伝書鳩の書簡を届けに来た。


 諜報部長がすぐに中身を確認する。


「殿下、カトリーヌ様が約束の13時になっても山の麓の事務所にお戻りになられていないそうです」


 時間に厳しいカトリーヌは、今まで予定時間を守らなかったことは一度もない。何かあったことは間違いない。


「捜索隊は出したのか?」


「すぐに出したそうです。殿下、現地に向かわれますか?」


 ヒューイは時計を見た。17時だった。


「もちろんすぐに行く。鳩はまっすぐ飛んできたようだな。陛下に国境への軍の出動を依頼してくれ。俺は馬を走らせる」


 ヒューイは服を着替える間も惜しんで、マントを羽織って、すぐに出発した。ダンブル川上流域まで、馬をとばせば何とか六時間で着くだろう。


(カトリーヌ、今行くからなっ)


***


 一方、国境警備隊長のゾルゲは、部下に向かって激怒していた。


「失敗しただと? どうやったら、たった数人の調査団を討ち漏らすことができるのだ? 子供にでも出来る簡単な仕事だったはずだ」


「それが、こちらが弓を射る前に気づかれまして」


「仮に気づかれたとしても女子おなごの足だぞ。すぐに追いつくだろうがっ」


「男の調査員三名は仕留めたのですが、女二名は脱兎の如くあっという間に逃げてしまいました。一人が追いついたのですが、返り討ちにあって重傷です。股間を蹴り上げられ、酷い有様です」


「護衛がいたのか?」


「護衛の女もいたのですが、股間を蹴り飛ばしたのは、皇太子妃のようです。その後、皇太子妃は崖をロープを使って降りたようです」


「まるで皇太子妃のイメージとはかけ離れているではないか。影武者ではないのか?」


「極上の美人だったそうです」


「やはり皇太子妃なのか? 武術の心得があるなど聞いてはおらんぞ。しかし、まずいことになった」


 万一のことを考え、ゾルゲは部下たちに山賊の格好をさせて襲わせたが、王国の兵士だと気づかれると、ダンブルと戦争になってしまう。


「仕方ない、マリアンヌ様にご報告してくる」


 しかし、ゾルゲがマリアンヌの部屋にノックして入ると、部屋にいたのはマリアンヌではなく、いつもの娼婦だった。


「お前、ここでマリアンヌ様のドレスを着て何をしている?」


「あら、ゾルゲの旦那ぁ。美しいご婦人が、服を交換してくれたのよ。それと、あなたのお世話をしろって、料金を三日分頂いているわ。今からする?」


 今朝、出て行ったのはマリアンヌだった。


(だ、騙された……。俺は大変なことをしてしまった)


 ゾルゲは頭を抱えて、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。

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