倫敦 時折、春 〜君に辿りつくための物語〜
木村空流樹ソラルキ。
過去一
窓の外には、文明開化の象徴の二十三階が見える。
気持ちを晴らす為視線を下に降ろす。多くの人々の心は浮き足立っている空気で大地を
洋風の外観を持つ
早足で立ち去って行く人の群れを、
「何か、珍しい物でも……。」
声を掛けた男を確認して
「
近頃出来た家の上を行き交う電気を運ぶ電線が、とても
「先生。何時もよりお早いのですね。」
紅は手の上で遊ばせた
「ええ……。」
言葉少なに黒のフロックコートと
心地よく流行歌が流れて来た。
紳士的に
「では、今日何をしていたのですか。」
何時もの日課の話題を振った男。
キッチリと首周りを締め付けていたネクタイを、脱ぎ捨てて
「其れでは、
紅はすみませんと面目なさそうに
蓄音機の音の
窓の前の定位置の席に戻ると紅は、伏せてあった
紅の帰りを待っていたかの様に目を
「話を戻しますが……。今日は何をしていたのですか。」
明継は日本人に似つかわしくない
キリリと持ち上がった
「
紅は明継の言葉の問に、今日一番印象が残った事を話した。明継に伝えようと思って今まで忘れまいとしていたのに、今思い付いたように
「専攻が自然ではないので良く分からないが……。
この二人のいる部屋は大通りに面しているので等身大の窓が三つほどある。日当たりも良く居間として利用している。
紅はとても部屋が気に入りで、明継の
「左横の小さな
紅は其れ以上言葉を
「日本建築といっても
紅は味気ないの言葉に首を横に振った。
「
一生懸命に紅は明継に
紅は大きな瞳を
だが、明継には
「先生の語る御話もとても楽しいです。先生と
「しかし、其れでは……。」
「先生は良く昔、おっしゃりましたよね。
「えぇ……。」
「其れに私は、
紅は、強い口調で云って退けた。
余りの真剣さに可笑しくなった明継。
溜息を吐く様に微笑する。
「少し、暗い……。ランプでも付けますか……。」
明継の雰囲気が元に戻って、紅は肩を
丁度二人の間にある机上の
「帰りの途中に
紅が頷くと、
食べ物をそんな所から出すのかと驚いたが、口に出す気も起きない紅。
明継がランプの横に置くと、
「昔、母が良く作ってくれました……。」
言葉を
明継は手渡された小皿に
二人はただ黙々と箸を進めた。気まずかった為か、美味しかったが食は進まなかった。
「先生の御国は、確か九州でしたか。」
この感覚を
「そうだね。紅に余り自分の話はしていなかったね。」
体格の良い明継には、
「確か、先生は士族上がりの伯爵の四男でしたよね。」
「あぁ。母は私の事をとても可愛がってね……。」
しみじみと望郷の念に
母や故郷の自然は昨日の事の様に思い出せる。だが、父親の顔だけが鉛筆で塗り潰されている。記憶の中に埋もれていた。
其れを、紅に伝えるべくもなく平然とした。
「歳の離れた兄達とは遊ばず、よく下働きの子供や侍女とかと遊んだよ。木登りや川遊びで一日クタクタだった……。」
故郷の大自然が素晴らしく輝いたが、
どうやって恥じかきっ子と
「倫敦に留学したのですよね。」
明継は帝学にも行かず、離別状態で家を飛び出した。
「えぇ。九州は幼少期しか過していなかったけれど、山も空も素晴らしかった。懐かしき日本でしたね。」
静かな瞳を紅に向けた。
「この
素朴な疑問を云っただけなのに、明継の表情は硬くなった。
「
「すみません。」
自分の無知さを恥じる紅。
世間知らずな彼に罪悪感を持たせまいとして、明継は大人の
明継の
「謝る事はない。紅は本や話の知識が豊富だが、経験が
今度は紅が口を噤んでしまい。今までとは逆の立場になってしまった。しかし、明継はそんな空気を気にも止めず小皿をテーブルに置いた。
今頃、時として気まずい空気に陥り易かった。だが、其れの原因が何故なのか二人とも理解していた。
問題は事の他大きい。
「其れは
細い声で震わせながら明継に云った紅。
「其んな事は……。」
思ってもいなかった言葉にシドロモドロしていた明継。本人が何時か出て行く日が来ると思っていた。
「誰も出て行けとは云えません、………其うだ。良い機会だからこれを渡しておきます。」
紅の目の前から立ち上がり、書斎から何かを持って来た。
明継の行動を只、見詰めた紅。
「あの……。先生。」
心細くなる紅に、明継が暗闇の中から顔を出した。ユックリと登場すると其の表情は優しかった。
「私は長い事、倫敦で生活していましたから、文化の違いで良く分かりませんが……、男は一般的に十八歳になると大人として自覚を持つそうです。」
言葉と同時に明継から手渡されたのは鍵だった。
意味が分からず
「紅も十四歳になったのだから、自由に行動をして下さいね。」
明継は笑みを称えた
洋館に似つかわしい面持ちの鍵で、幼い紅の掌には少し大きい。
「でも……。先生。其れでは、私が
「えぇ。其れも良いかもしれない。」
「先生……。」
「私の
明継は表情を変える事なく、紅を見詰めている。
其の裏腹に、紅の今にも泣きそうに鍵を握っている腕が少し震えている。しかし、明継は其れ以上、話を続ける気配はなく、椅子の上で目を瞑った。
大きく息を吸い込むと、思いは昔へと溯って行った。
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