【中編】亜人奴隷ちゃんのアイロニ
夏目くちびる
出会い
001
「そういうワケだ。田舎の貧乏男爵という立場に甘ったれてグータラしているお前の為に、身の回りの世話をさせる奴隷を持ってきてやったぞ」
ブレイビーランド王国の、とある青い夜。
久方ぶりに友人の邸宅を訪れたケルト・ノルン辺境伯が、両親の他界をきっかけに文化的趣味に耽って見せかけの国への忠誠心すら失っているアイロニ・スペルマイン男爵の元へ一人の亜人奴隷の少女を携えて会いに来た。
「いらねぇ、連れて帰れ」
「そんなことを言うな。このままでは、お前は才能もない分野で阿呆のように一生を過ごすことになる。まずは奴隷の一人でも飼って、自らの身分を改めたまえ」
にやりと笑い、余裕を纏うケルト。対象的に、少女の姿を見たアイロニは苦い顔をしている。
「俺は人が大嫌いなんだ、連れてくるならせめてエルフにしろ」
「この世界で妖精を奴隷として扱えるワケがないだろ。そんな浮世離れした感性だから、お前は私以外に友人もいない社会性の欠如した男なのだぞ」
「俺の希望や人間性は関係ない。大体、友人など作ろうと思えば作れる」
「やらないのなら出来ないのと同じだ。学院以来最高の戦闘魔術師と謳われ、我が国の発展の要となるハズだったお前がこうして落ちぶれているようにな」
言って、ケルトは壁に飾られている絵画を見てため息をついた。サインはアイロニの物だが、その出来栄えには呆れを通り越して同情が浮かんでくる。
彼の絵は決して下手なのではない。あまりにも当たり前で、少しも感動がない。いつだって、どこかで見たことのあるようなモノしか描けないのだ。
「まったく、どうしてお前ほどの人間がこんなモノに魅了されてしまったのか」
「文化的な生き方こそが最も豊かな人の生き方だ。あくせく働いて責任感と窮屈に命を全うするなど、少なくとも俺のやるべきことではない」
「人の価値を否定するな、お父上も天国で嘆かれておられるぞ」
「お前には奴の声が聞こえるのか? ならば、『ざまぁみろ』と伝えてくれ」
その言葉を聞いて、ケルトは更に深いため息をつく。
父の生前にアイロニが如何なる教育を受けてきたかは彼も知るところだが、それにしたって血統を尊ぶ魔術社会の現代に置いて、今のアイロニの発言はあまりにも常識を逸脱している。
とはいえ、弱冠28歳で一体の地方を任されるほどの権力を得たケルトにすら想像出来ない壮絶な努力をアイロニが強いられたことを、彼は分かっているから今でもこうして世話焼きに来るのだ。
「やれやれ」
……ケルトは、悔しかった。
自分こそが大魔術師アイロニの右腕として相応しく、いずれは彼を支える立場に付くために研鑽を重ねてきたのに。もう、彼には国を背負って立つ気はまったくない。その落胆ぶりは、凡人の測れる代物ではないだろう。
無論、彼はそれを口にしない。ただ、アイロニを友人として心配するのみだ。
「それではな、アイロニ。気が変わったら連絡をしてくれ」
「わかった」
そして、ボロを纏っただけの亜人の少女を客間へ置いて、主人の見送りもないままにアイロニの館を後にしたのだった。
「おい、女」
女と呼ばれた少女は、黙ったまま耳をピンと張り詰めさせて陰鬱で卑屈な姿勢のまま恐れるようアイロニの顔色をうかがった。ひと目見ただけで分かる、影に不幸が張り付いているかのような少女だ。
「な、なんでしょうか」
「名前は?」
その言葉に、少女は些かの驚きを得ていた。もちろん、人扱いされたことのない彼女に名前などない。生まれたときからずっと『それ』としか呼ばれていないのだ。
灰色の髪、薄黒く濁った瞳に右を齧られたような犬の耳と丸い歯にしっぽ。女とは思えない程に筋張った少女の体には、幾つかの擦り傷が出来ている。歳は8歳だと聞いているが、見た目はもっと幼い。
相応の表情を見せないからだろう。怯えた顔は、幼く見えるモノだ。。
「ありません」
「ならば、そうだな。ティカルとでもしようか」
「……名前を、貰えるんですか?」
「要らないのなら『女』でも構わない。好きにしろ」
言って、戸惑いながらオロオロとする少女ティカルを追い越すと、アイロニは顎をシャクって部屋の外へ出るように指示をした。
「まず風呂に入れ、臭いぞ」
匂いを指摘されても、特に傷ついた様子がない。その姿に彼女の人生を想像するアイロニ。決して奴隷制度を憂いるワケではないが、人間的な判断が出来ないティカルに少しばかりの同情を馳せたのは確かだった。
「まったく、面倒だ」
適当なタオルケットを脱衣所へ置いて自分は邸宅内の様子を確認する。客間以外は嫌になるくらい散らかっている。
まずはこの掃除からとも思ったが、どうせなくなって困るモノなどないのだから一つ残らず捨てていいと、アイロニは考え直して久方ぶりに戸棚を開けた。
中には、茶葉の入った銀の缶。ポットの水洗いをすると適当な所作で、しかし身についた正確な分量を寸分の間違いもなく投入し熱く沸いた湯を空気を混ぜるように注いだ。
マナーはさておき、最適で無駄のない動きだった。ケルトがアイロニのこの動きを知っていることは、もはや語るまでもないだろう。
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