図書委員の事件のしおり

赤衣カラス

第一部 僕と斬鴉さんの話

プロローグ

 県立達川たつかわ高校。僕の住む田舎町にある、進学校と言ってもまあいいかなくらいの学校だ。

 去年の九月下旬のこと。僕は中学三年生だった。家から近いからという理由で達川高校に進学しようと考えていた僕は、同じような考えの友人たちとその文化祭に訪れた。……そして、みんなとはぐれた。

 周囲から漂う活気に引き寄せられてふらふらしていたが故の様だった。普段はあまり流されるタイプではないのだが、このときは何だかんだでテンションが高まっていたのだろう。自業自得である。

 親からスマートフォンは高校に入ってからという、時代遅れなのか何なのか、よくわからないし気にしたこともない拘りによって通信機器を所持していなかった僕は合流を秒で諦めた。

 一人ならば一人なりに楽しむだけ。校舎をふらふらと歩き回っていた僕は、甘い匂いに釣られて一年B組の教室までやってきていた。そこではパンケーキを出品しており、学生が作ったにしてはなかなかクオリティが高いじゃないの、と偉そうなことを思った……ような気がする。たぶん僕のことだから思ったはずだ。

 僕は吸い込まれるように教室へ足を踏み入れた。客入りはそこそこ。店員の生徒たちはみんな、下半身にはジャージを、上半身には文化祭用のTシャツを着用していた。……いや、一人を除いて、だったか。

 教室の隅っこにいた髪の長い女子生徒のみ、制服を着たままだったのだ。ちなみこの学校、男子は学ラン、女子はブレザーである。彼女は我関せずと言った具合に片手で優雅に文庫本を読んでいた。文庫本を包んでいた、藍色の布製ブックカバーがおしゃれだったのをよく憶えている。

 この時点での僕は彼女のことを「高校には綺麗な人がいるんだなあ」くらいにしか思わず、テーブルに着いてメニューを覗いた。品揃えが意外と充実していて、少しだけ悩んだのを憶えている。

 注文を決めあぐねてメニュー表とにらめっこしていると、視界の端に映るカウンターで起こったある光景を目撃してしまった。客から代金を受け取った男子生徒が、売上を貯めていたと思しきトレイに左手でお金を置けば、なんとその中から五百円玉をさりげなく引き抜いてポケットに隠したではないか!

 どう見ても売上泥棒である。他に気づいている者はいなさそうだった。

 ……どうしたものか悩んだ。良いことではないが、五百円程度ならば問題ないという気もしたのだ。部外者である僕が騒ぎ立てるほどのことだろうか。しかし、彼がお金をくすねたのは、今のが最初とも限らないし、また続ける可能性もある。そう考えると被害額はもっと大きくなるのかもしれない。

 さらに僕はあのとき、普通ではなかった。普段はそれほど正義感に溢れている質ではない。けれど、祭りの熱気にあてられて、僕は堂々と大勢の人間の目の前で言ってしまったのだ。

「すみません。先輩、今、五百円玉をポケットに入れましたよね?」

 ……と。素晴らしいことだと思う。とても立派だ、僕。けど、今でも思う。アウェーの環境でやることじゃなかった。一人別の生徒を捕まえて、事情を話して注意を促すだけで十分だったのに。

「え、なに? 急に……」

 男子生徒は一瞬だけびくりとしたようだったが、すぐに困惑の表情を浮かべた。僕の言葉を耳にした高校生たちが周りに集まってくる。

「左のポケットに、そこの売上金を隠しているのを見ました」

「本当かよ、加藤かとう

 僕が指摘すると、背が高くがたいの良い坊主頭の男子生徒が睨みながら尋ねた。加藤と言うらしいコソ泥はみんなから疑惑のこもった目を向けられるも、余裕そうに頭を掻く。

「いや、何のことだかわかんねえ。そいつの勘違いだろ」

「確認させてくれ」

 坊主頭の男子は加藤を立ち上がらせると、両方のポケットを叩く。

「何も入ってないな」

 彼の言葉に僕は目を見開いた。加藤は確かにポケットに五百円玉を入れていたのに。それをポケットから出した様子もなかった。

「そんな、はずは……」

 口からそんな言葉がこぼれたが、加藤はポケットの上を何度も手でなぞった。その内側に何も入っていないのは外から見ても明白である。

 一体これはどういうことなのだろうかと頭を悩ませた。僕の見間違いだったのだろうか? いや、そんなはずはない。視力に自信があるわけではないけれど、この距離の出来事を見間違うほどではない。

「確かに、見たはずなんですけど……」

 彼はトドメとばかりにどや顔でジャンプをして見せるが、金属音は鳴らない。……それに関しては、一枚しか盗んでなければ鳴らんでしょうと言ってやりたかったが、そんな空気ではなさそうだ。

 僕の頭は混乱していた。あるはずのものがない。アウェーの地にて大勢の年上に囲まれ、おまけに自分の言うことを誰も信じてくれそうもない。……それだけならまだよかったのだが。

 坊主頭の男子が僕を睨んできた。いや、彼だけではない。その場の全員が僕に敵意の眼差しを向けてきていたのだ。気持ちよく熱気に浮かれていたところに水を差したのだ。当然と言えば当然である。

 今の僕は嘘つきどころか厄介者なのである。八方ふさがり。道は見えない。

「ったく……。ひでえ言いがかりだ。君、駄目だぜ、こんなこと他でしちゃあな」

 盗人猛々しいとはまさにこのこと。僕のフォローをしてきたのは、犯人である加藤だけであった。

 謝ればとりあえずこの場は収まりそうであったが、ニヤニヤしている加藤の顔を見ればそんな気は失せていく。僕は間違っていないのだ。悪いことをしていないのに謝るというのは、なかなか癪である。ましてや相手はコソ泥なのだ。

 しかし、そんな僕の反骨精神とは裏腹に、周りからは冷たい視線を浴びせられる。

 あー……志望校から外すしかないかあ、家から近いのになあ、と心中でため息を吐いた。そのときであった。

 沈黙に包まれていた教室の隅から、ぱたん、という小さな音が響いた。そちらを振り向くと、唯一制服を着ている女子生徒が読んでいた文庫本を閉じていた。文庫本の天から飛び出ている栞が印象的で、一般的な栞のような厚紙をブックカバーと同じ布で御守りのように包んでいる妙なものだった。

 彼女はゆっくりと立ち上がると、寝癖が残った長い髪を揺らしながら僕の隣に並んできた。顔をやや下から覗き込む格好になる。僕の背が低いのもあるが、彼女の背も高いのだ。おそらく一七〇センチはあるだろう。

 遠目に見ただけでも美人なのはわかったが、間近で見たその顔は、やはり、とても綺麗だった。特に目つき。普通の人は目つきが悪いと評するだろうが、僕は研ぎ澄まされた日本刀のような鋭い目つきに魅入られた。

「ど、どうした、夜坂よざか?」

 加藤が警戒心を露わに尋ねた。他の生徒たちも、夜坂と言うらしい彼女の登場にドギマギしているようだった。気の強そうな坊主頭の男子も例外ではない。

 気持ちはわかった。夜坂さんの発しているオーラは目つきと同じく、鋭利な刃物のようで、触れると傷つきそうなのだ。

 夜坂さんは加藤を睨みながら、

「加藤……お前――」

 ハスキーでドスの利いた声だった。

「……は?」

 加藤からぽかんとした声が漏れた。彼だけではない。僕含め、その場の全員が言葉の意味を図りかねて唖然としていた。


 しかしこれが、僕と斬鴉きりあさんの出会いだった。

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