自創作 短編集

48円

自創作 短編20話


自創作 短編20話


01.逢魔が刻/分 黒菱(わかつ ダイヤ)

02.鳥の鳴く/若洲 加賀縫(わかす かがぬい)

03.マルボロ/有魔 赫赫(ありま りんご)

04.昼食/無(カロン)、梅(メイ)

05.孤児院/@(エイマル エイル)

06.蛇遣い/有魔 求久(ありま もとひさ)

07.蛇使い/無魔 黒絹(むま しらぎぬ)

08.月夜の灰/ユニオン・リオン

09.Leica/須藤 来嘉(すどう らいか)

10.近朱者赤/有魔 釼太郎(ありま けんたろう)

11.早春の落花/海辺 日日(うみべ ひび)

12.メトロ/酒々井 得(しすい える)

13.虫の肘に、ネズミの肝臓/杏(シン)

14.網目を抜く/海辺 日日(うみべ ひび)

15.白昼夢ー赤/有魔 赫赫(ありま りんご)

16.六月/有魔 求久(ありま もとひさ)

17.夢見で一杯/無魔 夢伽(むま ゆめとぎ)

18.六月二十二日/有魔 糸冬(ありま いと)

19.無題/調 伽藍(しらべ がらん)

20.居て。/有魔 南楽(ありま ならく)


────────────────


逢魔が刻



 今日の夕焼けは青かった。日が沈み切った空を住宅街の合間から見上げたのは久しぶりだったかもしれない。まだ明るいうちにね。最近日が長くなったから、出勤時間になっても外がオレンジで眩しくて痛いんだ。でも左目だけで見る曖昧な空はいつもよりずっと美しく見えた。

 空気はとろりと熟した春の匂い。手で触れられそうな甘さがそこにあって、普段は橙に照らされて不気味な赤みを増すこの道でさえ水彩画で描いたような水色に変わってた。でも反射する光は丸く、目に刺さってくる感覚はない。俺でも直視できる心地よさだ。

 すれ違う人達とも別世界にいるみたい。もし今盗みや人殺しなんかしてる奴がいたって、文豪が書いた小説みたいに格好良く比喩されちゃうね。

 そうやって道草食いながらゆっくり歩いてたら、もう空は深く深く落ちていって、気付いたら見慣れた藍色に街は塗りたくられていた。生き残りの街路灯がようやく光りだし、ちょっとため息を吐きながらそれを避けて歩く。でも余韻を残す空気が側にいるのに気付いて、そいつと手を繋いだつもりになって、あの空に似合う曲を一緒に探した。




character:分 黒菱(わかつ ダイヤ)


01/20

────────────────


鳥の鳴く



「秋って何ぼのだっけ」

「あけぼのって言わせたいのかもだけど、違うぜ…、夕暮れな…」

 バイクにまたがる仲間の声が聞こえていた。待ち合わせ場所は公園前、まだ顔を見せない遅刻組を待つ今、ちょうど日は傾いていつもの色に覆われ始めていた。この曖昧な時間は肌寒く、なんだか寂しくなるから好きじゃない。

「ぬいは何ぼのが好き?」

 飛んできた質問にちょっと上の空で答える。

「あさぼの。」


 カーテンを開ければ、まだ起きたての目を擦っている朝日が揺れる。ベッドの上で寒くて唸っていた時から聞こえていた鳥の声は少し数を減らして、隣の家の柿の木を行ったり来たりしていた。

 濃い橙に染まった実はそんなに美味しそうじゃないのに、跳ね回る小さな姿と一緒にいるとなんか可愛く見えてくる。大通りを走る車の音よりずっと耳に届く声に親しみを覚え、顔を緩めながら伸びをした。

 ただのトイレついでの景色だ。リーマンや優等生の気分を十分堪能してからまたベッドに戻る。起きたらいつも通り、昼過ぎだ。


「それは…あけぼのかもな…」

「他に何ぼのがある?」

「別にねえけど…」

 仲間の会話に口元を緩めていたら一緒にあくびも出てきた。眠いのは二度寝したせいなんだとしたら、慣れない早起きなんてするもんじゃない。

「やっぱよるぼのが好きかも」

 俺の言葉に笑う仲間の声と、遅れて聞こえてきた空ぶかしが夕暮れの赤い光を掻き消してくれた。




character:若洲 加賀縫(わかす かがぬい)


02/20

────────────────


マルボロ



 明け方を知らせる群青と濁った白を吸い込めば、空虚な安心感に脳が揺らぎ肺に満たされたそれを物惜し気に吐き出す。安いライターの味にも十分陶酔できてしまう自分に浅く息を吐いた。最初の一口を終えれば後は作業的なもんで、煙る視界をボケさせたまま赤黒く染まったアスファルトに淡々と灰を落としていく。もう苦味も感じられない。

 足元に血に汚れたタバコが手を離れ落ちる。ポタリと消えた火から視線を伸ばせば横たわる人間がまだそこにあり、頸動脈から流れていた熱はもう失われているようだった。首に揺れていたタグまでがぐったりと垂れている。

 本部へ連絡をしなきゃいけない。報告書も書かなきゃいけない。全てが面倒だ。すごく怠い。急かすように冷たい風が髪を揺らしていく。……でもお前が刃を向けてきたんだぜ。目線を動かせば輝きを失くしくたびれたナイフが空になった男の陰に縮こまってこちらを見上げている。その可愛らしさについ目を細めて笑った。

 俺は友情を知る前に命の奪い方を学んだ。頸動脈の切り方は九九より早く覚え、痕跡の消し方は家庭科の授業よりずっと簡単だ。テストがあれば間違いなく満点が取れる。…お前はどうかな。臭い殺意なんて必要ないんだぜ。跳び箱を跳ぶのと同じようなもんさ。

 寄り掛かったコンクリートが俺の熱まで奪い始めた。代わりに虚しさが体に充満してまたタバコを取り出し灰色を喉の奥へ流し込む。煙の行く先へ目をやると星はほとんど見えなくなっていて鳥の鳴き声も遠くから聞こえてきた。8、0・7、フィリップモリスのマールボロ・ミディアム。こいつを殺した人物がどの銘柄のタバコを吸っているか、残された指紋は、毛髪のDNAは、使われた凶器の刃渡りは…。淀んだ色の壁に覆われ、それらの事実は明かされないまま夜の黒に流されていく。

 やめた。

 コートのポケットにあるケータイ電話から手を離し冷たく青い空気に指先で触れる。3つ目の亡骸の火を軽く踏み消して、肺の中にわずかに残った煙をまた吐き出した。




character:有魔 赫赫(ありま りんご)


03/20

────────────────


昼食



 多分これは何かの肉。熱さに構わず口を開け数回噛んだのちに飲み込む。次のこれはなんだかわからない。それでもまた口に入れる。噛んで飲み込む。その間に水を飲む。冷たい。また肉だと思うものを食べる。

「汚えな」

 向かいの席に座る飛梅が小さく呟いた。いつも言ってるけど、どう直せばいいのかは教えてくれないしただ食べ続ける。別に急かされてるわけじゃない。でも早く食べればご飯がたくさん食べられて早く仕事に戻れる。だから早く食べる。

 飛梅に連れて行かれ入る飲食店はいつもテーブルが少ない。店内は薄暗くてそこを歩き回る店員は姿勢が良く静かに喋るし、数のない席に座る客達もそれに似てた。しかも飛梅までそんな態度を取るからそういうルールでもあるのかと思ってこの前聞いたら、馬鹿かと鼻で笑われた。

 ご飯を食べ終わってコップの水を飲み干すと、飛梅が食事をする自分を見ていたことに気付く。いつも通りに視線を合わせてから、水ではない何かを一口飲んで飛梅は溜息混じりに問いかけてくる。

「なんでそんな早く食うの?」

「いつもそうしてる」服の袖で口を拭って言う。

「そういう意味じゃない」

 僕が理解できないことがわかった上で飛梅はそう答えた。じゃあ何?と聞けばまた馬鹿と一言。

 どうしようもなくて黙っている僕をよそに、飛梅はゆったりとグラスを揺らしている。僕はもどかしくなって落ち着かないまま他の客へと目を逸らした。以前に早く帰りたいと言った時、飛梅がすごい機嫌を悪くしたことを思い出す。殴られるのは構わないがまた売られるのは御免だ。身体の奥から寒気がして身震いした。

「仕事は楽しい?」

飛梅がまた口を開く。

「なんで?」

「いいから」

「楽しいって必要?」

「うん」

 静かな口調に少し眉を寄せて僕は黙った。

 楽しいって何だったかと考えてみたけど、よくわからなくなって首を傾げた。

「わからない」

 でも飛梅がもっと僕に色んなことを教えてくれてた時は多分楽しかったと思う。もう何年も前だからよく思い出せないけど多分そうだ。

「馬鹿だな」

 笑みを浮かべ呟いたその声は、さっきよりもずっと静かで冷たく思えた。




character:無(カロン)、梅(メイ)(飛梅)


04/20

────────────────


孤児院



 甲高い子供の声が廊下を通り抜ける。そのあとすぐに、いくつもの足音が車椅子に乗った俺を追い抜いていった。

 ぼんやりと小さな背中達を眺めていると、なぜか自分が置いてけぼりを食らったような気分になる。遠ざかっていく声がゆらゆらと頭の中に響いて、またこの感覚かと瞬きをした。その僅かな間にも意識は空間に溶け込んでいく。自分はここにいないと錯覚した体は昼下がりの光の中に消えてしまったようだ。陰影の中で冷やされた空気と窓から入る温もりの境目、車椅子の無機質な冷たさはどこへいったのか。

 前から何度かあった、この不安定な感覚は。その度に自分はここにいなくても何も問題はないのだと確信する。俺が死ねばこの世界も消えるのだとも。

 それは数秒だったか、もっと長い時間だったのか。瞬間ぐらりと目眩がして、恐怖と安心がようやく体に質量をもたらした。廊下のひんやりとした匂いが胸の中に染みて溜息をつく。

 輪郭のはっきりしない線の上を辿るのも、もう一年足らずで終わりだ。窓の外に目をやれば、まだ遠くから賑やかな声が聞こえていた。




character:@(エイマル エイル)


05/20

────────────────


蛇遣い



 暗い玄関で履き潰したスニーカーを脱ぎ捨てる。リビングの電気をつけると、テーブルの上にはラップの張られた皿がかったるそうに佇んでいて、しばらくそいつと睨み合ってた。

 2人とも仕事。ちゃんと行ってるなら。親子で顔を合わせないのは変だって言われたけど、俺は土日でも正月でも喋らないのが普通。誕生日もいつだったか忘れた。

やっと片手で持てるようになったバスケットボールを腹に抱え込んだまま、冷たいご飯を口に運ぶ。テレビの向こうでは芸能人達が楽しげに笑ったり、笑われたりしてる。俺の笑顔と同じ気がした。

 この生活だってそんな悪くはねぇよって、さっきりんごに言ったばかりだ。好きなアニメを見られて、ダンスするのに騒がしくしても怒られることはなくて、家事だって俺のいない間に親がやってくれるから手伝いもする必要ない。よくみんなに羨ましがられる。けどりんごだけは俺を哀れんだ目で見ていた。

 残飯とぐちゃぐちゃにしたラップをゴミ箱に捨てて、手入れのされた流しに皿を置くと、またボールを両手で抱え込んで廊下の壁にもたれかかった。そうして真っ暗な玄関を見つめる。汗で気持ち悪いからシャワーしたい。でも習慣付いた体は動かせないまま、あのドアが開くのを待っている。




character:有魔 求久(ありま もとひさ)


06/20

────────────────


蛇使い



 暗い玄関が俺を冷たく迎える。帰りたくなくても家に行くしかなかったから、腹の上にある空白を無視して靴を正しく脱ぎ揃えた。リビングの電気とテレビの騒音。そんなに面白いのか大音量で笑う父親の声は耳に刺さって吐きそうになる。今日は仕事が早く終わったのか上機嫌みたいだ。よかった。

「あぁ!おかえり!」

「うん、ただいま」

 ……違う、でも答えなきゃいけないしさ。


 母親は離婚して家にいなくて会ってもいないけど、それがあの人の幸せなら俺は良いんだ。同じ家に住んでたことも忘れたくなるくらいだし、あの人もそうだろう。土日でも正月でも関係なく、喧嘩というより人間と人間の奇声のぶつかり合い。本当に可笑しかった。そういうものが絶えることがなかったあの時より、今はずっとマシだ。

 ……違う、でもそう思うしかない。


 食器を持つ自分の細い手を気持ち悪く思いながら、何かを口に運んでいた。父親の箸の持ち方は綺麗だ。なのに左手は床についていて視界にノイズがかかる。箸と入れ替えにビールを飲み干す。空になった缶がテーブルを叩く。俺は静かに茶碗を置く。

 テレビの向こうでは大人達が楽しげに笑ったり笑われたりしていた。そんな風に父親と一緒に嘘を楽しめたら、もうちょっとくらいは飯の味がしたかもね。

 この生活だってそんなに悪くはないよって、さっき運に言ったばかりだ。父親はよくドライブや外食に連れて行ってくれるし、その時には寿司とかさ、美味しいラーメンとかが食べられる。自分の部屋があるから1人の時間だってちゃんとあるし、家事も結構出来るようになってきた。いいでしょ。運は微笑んでくれた。

 ……違う、でもそう思いたい。


 使い捨てられた缶がいくつも置かれた汚い流しに俺と父親の使った皿を置いた時、また空白に押し潰されるような感覚に無音を吐いた。そうして真っ暗な水場を見つめる。早く洗わないと、こんなにぼんやりしていたら気を遣わせちゃうから。どうしたのって。

 ……違う、あれは優しさじゃない。でもそう思ってた方が幸せでしょ。


 自分勝手なのは俺の方なんだと、アルコール臭い虚を洗い流す。




character:無魔 黒絹(むま しらぎぬ)


07/20

────────────────


月夜の灰



 テクスチャの消えた白い月、コンクリートの積み木のような家々。虫の音に乗せ聞こえる猛禽達の歌声は、雑音なく私の耳に流れ込んでくる。ティータイムにいつも使っているガーデンチェアに腰掛けながら、今日咲いたばかりであろう花と共にゆっくりと煙草を楽しんでいた。ふぅと吐いた煙が夜闇を丸く包むのを鑑賞し、私は満足げに笑う。

 そんな時、揺れる煙が鋭角になびいた。

「兎か」

 確かに兎がそこを走ったのだ。しかしそいつの消えた方を見れば、おかしい、人型の影が一つ、佇んでいる。月夜に浮かぶ黒いモヤのような何かだ。そして更におかしなことに、私はそれが誰なのか知っている。

「お前も来たのか」

 影は何も言わない。そうであろう。タバコの吸い殻のようにそれは空っぽだ。

「しかし面白いじゃないか。お前のような立派で出来のいい人間が今じゃ私と同じく欠陥品だ」

 私は笑った。

 彼は平気で人を殴り、殺し、女も子供も構わず斬り憎まれ恐れられ、彼に刃向かう者もまた彼に殺された。死の連鎖の切っ先に立つ強者、彼に私は付き従った。しかし短いものだ。彼は戦場で名も無い兵士に撃たれ若くして死んだ。特に思い入れはない。彼も人間だっただけだ。

 そしてまた私は笑う。

 いつの間にか影は黒に溶け消えていた。また兎が駆け、虫は一瞬演奏を止める。アンコールをと私の笑い声が上がる。楽しい夜だ。




character:ユニオン・リオン(ユニ)


08/20

────────────────


Leica



 カメラは真実を写す。本当か?現像されたモノクロは俺には嘘に見える。

 ネットを見ればRGBの混濁したつまらない四角がこれでもかと吐き出され、ブスやブサイクが「かわいい」「かっこいい」と薄っぺらな言葉を求めて好き放題に光を盛る。ブルーライトが目に痛い。

 それに比べれば、暗室の赤色に照らされた印画紙達はクソほどマシだが。

 でもどうだよ。現像液に浸されふっと現れる陰影はあまりにも美しすぎる。放課後の光を背に受けた木々。灰色の校舎と空を反射させた水溜り。履き古した上履き。割れて輝くガラス。俺の眼球を通した世界と、カメラのレンズを通した世界の差がはっきりと見て分かる。俺はこの瞬間が苦痛で仕方ない。安定した気温と湿度の中で心は揺れて、出来上がった世界がいつか消えるのと一緒に、俺も消えたいとそう願ってしまう。

「馬鹿か」

 白と黒のコントラストが崩れる前に、印画紙をすくいあげ停止液へと沈み込ませる。自嘲し、鼻の奥を突く薄暗闇を深く飲み込んでそっと目を瞬かせた。

 停止液から持ち上げた写真から滴が落ちる前に、そしてまた次へ。光はそこにあるまま世界が進んでいく。

 ここでは時間は止まることなくずっと続いているように思えた。…そうだろ。偽物でもいい。ここが俺にとって唯一の真実だ。




character:須藤 来嘉(すどう らいか)


09/20

────────────────


近朱者赤



 アタシの秘密基地は本当に素敵だったのよ。この歳になってその記憶が余計に鮮明になってくのが不思議なのだけれど……。

 あの時アタシは部屋の中にいた。家族も知らない秘密の遊び場はアタシの部屋のクローゼットの奥の壁の向こうにあって、穴を潜ると甲虫達の慌てふためく音が聞こえてくるの。顔を上げたら蜘蛛の張った透明な罠とアタシの髪が戯れついちゃって一晩の仕事を台無しにするのは毎度のことだったわ。真っ暗な中で壁から伝ってくる生活音や、もしかしたら地上の音かもしれない不思議なリズムを聴いてドキドキしてた。アタシの肌の上を6本や8本の糸のような足が駆けていくのもアタシには特別な瞬間だったし、自分だけの世界だと思ってた。それくらい小さな頃の思い出よ。

 何か騒がしいわとは思ったの。大掃除にしても模様替えにしても急だし、ダンスにしては随分張り詰めたリズムだわって。でも家族とは違う声が聞こえた時に暗闇が私を殴りつけてきたみたいに眩暈がした。怒鳴り声というほど怒ってなかった。それなのに親に怒られたどんな声よりも恐ろしかった。何秒か何分か何十分か分からないけど、アタシの名前を悲鳴みたいに呼んでいた家族の声が聞こえなくなって、みんな逃げたのにアタシはまだ壁と壁の隙間にいて置いていかれたんだわと思ってた。アタシの部屋に近づく足音はアタシの知ってる誰のものでもなかったもの。

 息が苦しくて心臓がうるさくて壁も体も凍りついたみたいに冷たかった。絵本で読んだオオカミや噂で聞いた殺人鬼なんかのことを思い出して、ただ心の中で家族に助けてよと叫んでたわ。そうやって何時間も息を殺してたつもりだったけど、どれくらいの間その暗闇にいたのかははっきりわからないの。誰かの気配がなくなっても、家族がアタシを迎えに来てアタシを探す声をずっと待ってたのよ。でもとうとう来なかったわ。

 寂しさと恐怖でどうしようも無くなって、暗闇から這いずり出たら異様な臭いがした。今のアタシには欠かせないものだけど、初めてっていうのは誰にでもあるものでしょ。親しい人達のものなら尚更刺激が強いはずだわ。

 アタシ、あの家で家族とどんな暮らしをしてたかしら。薄い明るいオレンジ色の光が差し込んでいるような甘くてあたたかい空間に、ママやパパや姉さんと笑い合ってたと思うの。でも思い出せるのは赤黒い血の臭いと色、肉の断面や中から出てきた塊の無機質さだけなのよ。

 ……よくある話かもしれないわね。

 ただ、ずっとあの家から出られてない気がしてるの。だからこんなに記憶がはっきりしてるんだわって辻褄が合うんだもの。ずっと1人でいるような不安定な感覚や、アタシだけの秘密基地を宝物でいっぱいに満たしたい気持ちにも納得がいくわ。

 あら……疲れちゃったのかしら。なら今日は終わりにしましょ。でも寂しいから、またアタシの話を聞いて頂戴ね。




character:有魔 釼太郎(ありま けんたろう)


10/20

────────────────


早春の落花



 気分が上がらないまま、幹に寄りかかって房ごと落ちた桜を見下ろしていた。出番まではまだ時間がある。結構押してるらしいから曲数を減らす相談をしなければと思いつつも動けない。

 野外ライブは地元の祭りといえども思っていた以上の盛り上がりで、桜と共に温かな色を添えている。屋台もあるからフェスって言ってもおかしくないかも。近くの学校の部活動や地域サークルから、しっかりバンドやアーティストとして成立してる奴らまでいる。しかしタイムテーブルを見れば、俺らのバンド名は中途半端な位置。その下にはYouTuber、知らない名前、知らない名前、演歌歌手、知らない名前……。そしてラストには一応聞いたことのあるアーティストの文字が華やかにセッティングされていた。せめてもう少し後ろに行きたいって、さっき愚痴をこぼしたばかりだ。駆け出しのインディーズバンドとは言っても配信だけでフォロワー稼いでるアマチュアとは違うんだけど、と下らない溜息を吐く。

 ふと顔に何かがくっついてきた。か細い糸のようなものを払い除けると、小さな蜘蛛が指の上を必死に歩いていくのが見える。少し笑えた。

 ……別に順番が嫌だから落ち込んでるわけじゃない。

 心地よい演奏と歌声があたたかく、風と共に長く伸ばした髪を揺らす。

 ただ知ってる人が大勢いる中で歌うことが不安なだけだ。また失敗を想像して怖気付いてる。今ステージを見つめている人たちは俺たちのファンではないし、俺の声もあいつの曲も何も知らないのが普通だ。盛り上がらなかったらと考えると目線はつい下を向く。

 ふっと息を当てると呆気なく、小さな虫はどこかへ飛んでいった。

 落ちた桜はまだそこにある。木から離れても華やかに足下を彩っていて、なんか裏切られた気分になった。




character:海辺 日日(うみべ ひび)


11/20

────────────────


メトロ



 休日の終電。おっさん達が酒の匂いと一緒に走り込んできた。ドアのすぐ横に立つ俺の前で息を整えながら大声で笑い合う。寄り添って眠るカップルの向こうには酔い潰れた同年代が吊革に体重を預け、女の胸の大きさについて議論を交わす。出勤時には聞こえない騒音は線路を叩く音すら掻き消した。

 0時を過ぎた地下鉄は空虚だよな。学生の頃は深夜に出歩くだけで高揚してたけど、夜勤まで経験した社会人の頭は石にでもなったみたいだ。冬と夏の間、梅雨の手前。生き生きとしたその季節ですら西の空に沈んだらしい。

「次は……」

 相手ならいくらでも見つかる筈だ。まだ20代の俺に興味を持つ男は何人でも。それで孤独が続くなら社員としての終わりまで働けばいい。まだ生きさせられてしまうならその先も社会の役に立つさ。でもそんなに必死に電車に駆け込み続けて最期の駅に降りた時、一体誰が俺に手を振ってくれるのか。

 人の家から自分の家に帰る過程の通り慣れた路線は、闇夜を彷徨うように揺れた。一瞬、黒い窓に浮かぶ自分と目が合うが、喋る間もなくホームの明かりに消えて進行方向とは逆に体を引っ張る。

 分かってる、ちゃんと降りるよ。

 ドアが開閉するサイレンと響き渡る発車メロディーが布の余った背中を追い立て、取り残されたペットボトルと一緒に錆びた風を見送った。


 階段を登り切る。同じ灰色の空気。冷たい春に纏わりつく雨が夜桜を裸にしたのか、見苦しい姿で小刻みに震えた。

 ……一体何に怯えてんだよ。都会の人間なんて、みんなこんな風だ。




character:酒々井 得(しすい える)


12/20

────────────────


虫の肘に、鼠の肝臓



 後ろから何かで殴られたんだ。黒い髪が血で固まってる。

 倉庫だった場所か。ならシャッター街だろうな。ずっと上の窓から無機質な明かりが落ちてくるのがまだマシだけど、きっと外の方が地獄だ。硬い床の上で虫の死骸と添い寝、両手は後ろで拘束、口の中には何か詰められ、それを吐き出せないよう布が巻きついている。でも叫んで助けを呼んだ方が危ないし、舌を噛み切れるほどの度胸は俺にはねえよ、ばーか。

 おそらく16年。長生きした方だ。生け捕る目的は考えなくてもすぐ思い付くこの街の常識は結構好きだけど、やっぱり反吐が出る。生臭い血のニオイは俺だけのものじゃない。

 どうしようもなくてぼんやりする頭の側で虫の足音。耳を立てていると人の喋り声も聞こえた。どうやらひっくり返ったあの六つ足を共食いしに来たらしい。暗い絶望にゆっくり息を吐いた。自我を保てばまともでいられる。だから壊れなきゃいけない。そうすれば何されたってどうってことない。

 こんな特技を身につけた同じニオイの思い出に、鈍く腹を蹴られる。


「これじゃあお金になりませんよ。ネズミの方がまだ良い」

 黒い帽子から伸びる三つ編みには見覚えがある。男なのに化粧なんかしてる奴なんて、歓楽街以外じゃコイツしかいないだろ。印象通り、やっぱりロクな仕事してない。

「すみませんが代理なもので。クレームは是非本人に」

 吐かれた暴言なんてなかったみたいに、三つ編みはまた俺を見下ろした。目が合うと、少し笑う。顔が赤らんで見えるのは気のせいだろうが、気色悪い。

 ふとそいつの手が伸びてきて口の拘束を解いた。

「あなたは本当に彼の娘を殺したのですか」

「……」

「私はあなたが子供を殺せるような、大層な人間には思えないのですよ」

「……」

「……どうでしょう」

「……知らねえ。やってない」

「そうですか……。あぁ…手も解きましょう」

 そこに制止が入り会話は終わった。また暴れ出す可哀想な怒鳴り声に三つ編みは揺れることなく、ただ「嘘は殺人鬼のいい餌ですよ」と、少し上擦ったような声を残しただけだった。


 あの虫は死骸と一緒に三つ編みの足に踏み潰された。娘を殺された男は床に転がるだけの少年をひとしきり嬲って、しかし首を締め切ることはできずに、置いてけぼりにして何処かへ行った。

 口の拘束はもうない。でも家に帰れる訳でもない。

 誰も来ないまま餓死するか、誰かが来て殺されるかどっちかだろう。苦しむくらいなら舌を噛むか?残念だけどそんな度胸はないんだって。……じゃあ助けを待つ?

「……」

 ユキは今はあの部屋にいないだろう。だって絶対俺を探してる。好奇心と俺を言い訳に、危ない場所にも足を踏み入れる。そうじゃなくても……きっといない。ユキは死にたがりだ。諦めて飛び降りたかもね。どちらの判断もこの世界では正義だ。

「……」

 思い通りに死ねることが幸せ?当たり前だろ。ユキだけが知ってることじゃない。この街に住んでる人間はみんなそれを分かってて生きてる。でも恐怖には打ち勝てない奴らが大半で、俺と同じように理由を作って人を殺して生き延びている。ユキみたいに強い人間だけが幸せを掴めるんだから、やっぱり世界は平等だ。

 母親は「待っててね」「すぐ迎えに来る」「また会える」と、その嘘で俺に孤独の手を握らせた。お前は幸福と寄り添って飛び去るのか。

『ユキなんか嫌いだ』

 言いたかった。虫ケラの心からの願いは、黒ずんだ地に濁った赤を足しただけで言葉にはならなかった。


 薄暗がりの中、何日経ったのか。肩を寄せ合っていた死骸達は仲間の腹を満たし、脚一本も残されずに消えている。羨ましくて床を這う隣人を眺めていた。こんな空腹はいつぶりだろう。脳が干からびて絶望すら分からなくなる。床にべっとりとくっついた体に残された時間なんてあるのか、そんなことさえどうでも良い。

 本当にただ、ユキの顔だけが浮かぶんだ。思い出せない母親の声や顔を上書きして、ユキとの会話が頭の中にはっきり聞こえてくる。

 やっぱりどうでも良いよ、死ぬことなんて。生きることしか考えられないんだから。俺はユキが来るまで息をしてやるし、来ないんだったら這いつくばってでも会いに行く。舌を噛み切らない度胸だけは、俺にはある。

 両手の拘束を解こうともがく時間がすごく長い。片手が抜けるまで何日もかかったような心地。皮が剥がれたせいか目眩が酷くて、自分が何をしてたか、もう忘れてしまった。俺は何をしたいんだっけ。

 どうしてこんなに足掻いて、ここから出ようとしてるのか、分からない。

『ユキ……』

 空気が喉から漏れた。

視界が黒になる前に見たのは淀んだ色の服と虫のよく動く足。聞いた声はユキのものだった気がした。じゃあこの血の匂いは、誰の……?




 目を覚ますと、ユキはそこにいた。






虫臂鼠肝・・・(ちゅうそひかん)取るに足らない、下らないことを言い表す言葉。または、物事の変化は人間には予想することが難しいということのたとえ。「虫臂」は虫の肘。「鼠肝」は鼠の肝。どちらも小さく、それほどのものではないという意味




character:師走 雪彦(しわす ゆきひこ)/ 梅こぼれる

 杏(シン)


13/20

────────────────


網目を抜く



 「綺麗だろ」

 朝日がそんな風に街を照らした。

 ただ眩しくて鬱陶しいだけの光は俺にとっては部屋のLEDと大差なく感じる。優しいとか無機質だとか人の共感を煽る変な表現は感性の素晴らしいクリエイターがやればいい。

 くだらない人の流れに乗って信号の点滅を見る。陰の中を進んで電光掲示板を見上げる。電車の音を聴く。

 車内は液晶画面を見てる人が大半だけど、わざわざ視線を外してこっちをチラ見してくんのは青い長髪のせいか。ライブのために色を入れ直したから観賞魚みたいに鮮やかで、リーマンの養殖場では異質なんだろ。家にいても落ち着かないからって乗り込んだ金曜日の満員電車でも、耳にしたイヤホンから音楽は流せない。

 許可もなく俺を見て勝手にこういう人間なんだと想像するのは構わないが、ネットになるとわざとらしく言葉にして突きつけるのは何でだ?今お前らに聞いてみたかった。乗り換えたTLも大体同じような魚が泳いでる。

 外の空気は澄んでいて肺が痛かった。どこへ行こうと景色は変わらない。


 今この瞬間も。

 総武線の人の波とモッシュの違いが見えない。

 汗と涙が混じってわからない。

 自分の声もない感覚。

 誰にも届かない。

 水の中で歌っている。波紋が揺れる。

 飛沫の代わりにあいつのドラムが響く。


 暗転したスマホをケツのポケットに仕舞って、今日初めて息をした。




character:海辺 日日(うみべ ひび)


14/20

────────────────


白昼夢ー赤



 俺の名前を呼ぶ掠れた息が聞こえる。

「……」

 タバコの煙を吸い昨日を思い出すみたいに笑って誤魔化す。

 首を絞められ歪む弟の顔はまるで馬鹿だ。

「……っ」

 熱い手にこいつの身体は微温く、吐き出される愛しい言葉も冷淡に俺の胸を刺した。誰からも愛されるお前を俺も愛してる。

「りんご?」

「……」

 求久の声は遠くに、溜息は灰にかき消された。

「……もういい」

 産むなら弟だけで良かっただろ?

 愛も思い入れもお前のためにあって、この家に俺のアルバムは一冊、兄ではなかった自分が満たされないまま物置の奥に埋もれている。

 白昼夢が黒く煤けていく。

 両親が離婚してないから、親に世話してもらってるから、五体満足で、弟がいて、死んだ兄弟もいない、それなりに金があって、自分の部屋があって、勤勉で優秀で心が無くて完璧だった。どうせ俺は他人から見れば幸福な子供だよ。苦痛は口にできない。


 体の痛みに手を離した。タバコが滑り落ちる。

 父親が俺の髪を引っ張って、母親は弟に寄り添う。


 ……。


 誰を殺せば良いか分かったのに出来ない自分がナイフに手を届かせなかった。今……この血に溺れていたらきっと心地が良いとその無音が言い放つ。


 コンクリートを叩いたのは誰かの血だった。

 幼馴染は目を見開き鼻先がつくような距離にいて、いつもの間の抜けた表情をどこかにやっていた。可笑しな顔だ。首筋がくすぐったくて視線を下げると、こちらの首に向くナイフのブレードを握る求久の手があって先は俺の肌を裂いている。

「痛い?」

「……あぁ」

「俺も痛い」

 求久は血塗れた手を俺のカーキのコートに擦り付けてきながら言った。

「お前っていつもつらそう」

 もう見慣れた表情に戻っていて、NIKEのスニーカーに血を溢している。こいつが本当の兄弟だったら、きっと仲が悪くて下らない理由で殴り合ってただろうな。

「そんな事ねえよ」

 口元が緩む。タバコの煙は消えていた。




character:有魔 赫赫(ありま りんご)


15/20

────────────────


六月



 淡い色の夕日は俺を助けなかった。最近の空ってなんか薄っぺらくて面白くない。黒い服は血の汚れを写さず、やっと日に焼けてきた肌に赤茶色の傷がうるさいだけ。そこにベタついた空気がまとわりついてくる。

家のドアは重く感じた。

「ただいま」

 暗く沈む空間は無音の癖に攻め立てるように蒸し暑くて、嫌になったから玄関にしゃがみ込んだ。この冷や汗は殴られたのか蹴られたのかわからない痛みと、アスファルトが引っ掻いた擦り傷のせいだからどうってことない。あとは空腹だ。それだけだから。

 昨日あいつに何か言ったかな。いや、きっと寝てる間に外に出たから俺を探しに行ったんだ。だとしても見つけられないなんて事ないんだから、すぐに諦めて他の奴と遊んで楽しくてもうこっちのことは忘れてるんだろうね。……さっきから腹が減ってるから。暑いし、頭も働かないから。

「嫌い……」

 じゃり、とvansのスニーカーが玄関の床を擦る。膝を抱えると余計に汗が背中を流れた。

 何も食べたくない。1人で食う飯は間違えて口に入った砂と同じだ。

 耳鳴りがする。体中脈を打って苦痛を訴えてくる。知らないよそんなの、俺には関係ない。別に親に暴力を受けたわけじゃない。周りが言うほど酷いことをされてきた覚えはないのに、それを肯定しないお前らの方が俺を責めるんだろ。お互い平等に幸福で不幸で、望むことが違うだけなのにね。

 空を見ようとして顔を上げた。でもドアの覗き穴からは弱々しく光が伸びるだけ。


 ガチャ。


 砉と目が合った。

「どした」

 すぐに目線を同じにしたその表情はすごく面白く思えた。

「転んだ」

「違うやろ」

「なんで」

「スケボー置いてっとる」

 つい笑った俺にこいつは少し怒ったみたいだ。嬉しくて、狭い玄関で、無理矢理抱きしめた。




character:美美比 砉(みみひ ばり)/ 梅こぼれる

 有魔 求久(ありま もとひさ)


16/20

────────────────


夢見で一杯



 遮光カーテンを引っ張り、窓越しに眺めた薄水色が汚れたガラスで濁ってる。空もいつでも美しいなんてことない、どころか俺からすればいつも嫌いな色をしてるけど。同じ青でも人工的な光に慣れた目じゃそんなもん。

 作業の手を止めぼんやりとしていた思考を、ゲーミングチェアを回してPCに戻した。だけどなんかこれ以上進む気がしなくて羊羹でも食べようかと思ってリビングに向かう。

 兄ちゃんがソファで寝ていた。俺と違って小柄な体をさらに折り曲げてすっぽり収まっているが、顔の真ん中に掘られた真っ黒なタトゥーのせいで寝ていようがいつもの厳つさは変わらずだ。

「兄ちゃんのせいで座れないよ」

 言って床にしゃがんだ。異父兄弟の腹に寄りかかる。気に食わないのか兄の手が俺の首筋を掴もうとした。

「そんなに何が怖えの」

 呟きながら可笑しな寝相のその手を取ると緊張のほぐれた指で、眠たそうに握り返してきた。

 ふとお互いの華奢な布団を思い出す。祖父と伯母家族が住む狭い木造の天井が暗く遠くに見えて怖くて、いつ両親が迎えに来てくれるだろうかという期待と、またあの家に戻らなければならない恐怖でどんなに疲れていたって眠れなかった。だがそれは兄も、何に怯えていたのかは知らないけど、一緒だった。でも今はどうだろ。元々似てもいないし考え方も違いすぎるから、もう同じ部屋で寝るのだって嫌だよ。兄のぬるい呼吸音に溜息を吐く。

 懐古もそれまでに立ち上がってキッチンの棚を開けたが、目当ての羊羹は昨夜の俺に食べられていた。


 ホテルを出た。加工フィルターがないにしてはかなり良い女の子だったけど、ゴムつけろって言われた時点でうんざりしてたのが本音。でも好きって言葉も本音、もちろんお前だけじゃないし誰とベッドに入っても満足できないよ。そばにいたい気持ちも鬱陶しくて、朝日に掻き消されて終わる。二度寝で見る悪夢みたいにのっぺりした空と1人になって始発の電車に駆け込む。

 甘いものが食べたい。昨日食べられなかった水羊羹。商店街の和菓子屋のあんみつ。三色団子。最中。どら焼き。あんぱん。甘納豆。

 曇ったガラスから見えるのは濁りのある水色。また目が合ってしまった。俺はずっと夢を見ていたいのに。




character:無魔 夢伽(むま ゆめとぎ)

 兄/無魔 夜伽(むま よとぎ)


17/20

────────────────


六月二十二日



 赤信号、車のテールランプ、ビルの航空障害灯、広告、看板、ネオン。火みたく黒に揺らぐ光はどこを歩いてても視界を邪魔した。でも空を見上げたからってそこに星はない。もちろん蟹座なんか見えない、ていうか見えたところで蟹の形なんてしてないじゃん。人間基準で申し訳ないけど、神様って図工の成績相当悪いだろうね。

「だからね、カニの日なんだって」

「結局金儲けのためでしょ。なになにの日〜なんて」

「うわぁ、バカだねぇ糸冬は。僕の話がつまらないならはっきり言ってくれればいいよ❤︎」

「つまんない」

「じゃあもっとこの話しよ❤︎」

「ダル……」

 知識と興味で生きてますよ〜みたいな南楽は本屋行く時には1番良い相棒だけど、それ以外じゃ本当最悪。こっちの趣味もわかってるからって絶妙に気になるような雑学投げてくるあたりマジでキモい。夜の暗がりに溶け込みそうもない紫の髪は、色に反して軽々しく言葉を紡いでいった。

 対して夜闇には似つかわしくない水色は俺。青い蟹だっているんだから安心して❤︎って本屋出てすぐに言われた。南楽は俺をアオガニだって茶化すことが楽しいらしい。

「っていう神話があって……」

「へえ、随分お人好しなんだねカニの割に」

 南楽はわざわざおヒドラよしって訂正してくる。他人の作り話だったらまだ猿蟹合戦の方が泣けるね、馬鹿馬鹿しすぎて。

「ていうか蟹、弱すぎ」

 感想にも満たない溜息を吐く俺を面白がって三つ編みを揺らしたそいつはまだ蟹の話を続けるらしい。話術に長けてるのか歩いてる間暇なだけか、つい耳は毒毒しい抑揚のついた声を拾って、目線は赤を辿った。


 「両足八足大足二足、横行自在にして、眼は天を差す。 これいかに」

 聞き慣れない音。つい音の余韻を辿って隣を歩く親戚を見やる。

「両足8本と2本の大足で横移動する、目が上を向いてるものってなーんだ❤︎」

「カニ」

「他には?」

 お見通しだっていうわざとらしいハテナマーク。サソリは横歩きしないって言おうとして口を閉じた。

「クモ」

「それも横移動しないけどね❤︎」

「……」

「一緒に遊んでるんだから、赤色ばっかり追うのやめたら?」

 からかってる、と受け取るのが正しいんだろうが、どうしても南楽の優しさだと感じてしまう自分が今は嫌だった。

「そうだね。南楽の話がつまらなくなければちゃんとお喋りできるかも」

「じゃあ明日の話でもしよう❤︎」

 そう言って6月23日の誕生日花だとか石だとかいう意味のわからないカタカナなんてぶつけてきて、とうとう俺に汚いコンクリートの地面ばっか辿らせる。代わりに曖昧なグレーは苦々しくも俺に笑みを戻した。




character:有魔 糸冬(ありまいと)

 有魔 南楽(ありま ならく)


18/20

────────────────


無題



 4時4分の時計を見てまたスマホを伏せる。もう一度目を閉じる、何回繰り返しても頭がぼんやりしてこない。朝から学校に行くつもりもない以上その点だけで言えば全く構わないのだが、夜のうちに眠れないのは寿命を削ってる気がして落ち着かない。……いや、長生きしたいわけじゃねえけど。

 SNSのTLはもう流れを止めていた。暇を潰すように今日のことを思い出してはため息をつく。今度はそれを繰り返した。

 このまま部屋が明るくなって、そんな時にようやく眠くなるんだ。昨日もそうだった。中途半端な眠りの中見た夢は気持ち悪いか怖いか、そう約束されている。

 一昨日は……そうだ、リタさんがいたから。

 夢を見たかも覚えていない。起きた時にも彼女は隣にいて、熱いくらいの体温で深く、二度目の睡魔につれてかれたんだ。

 薄いタオルケットを抱く。まだ眠れない。

 マーメイドスカートから覗いた足首に、靴下の痕が残る自分の肌を沿わせて絡める。白い表皮は冷房の冷たい風にひんやりとしていて、漣みたいにゆらめくシーツの音で思考が溶けていった。水の中を泳ぐ。酸素を求めて口を開ける。浮遊感と水圧、くぐもった声。今もずっと熱い。

 名前を呟く。それだけでもう……


 荒い呼吸で我に返った。このまま眠れたらと、うんざりしてぬるくなった息を吐く。




character:リタ・エズメ・カルパンティエ / 梅こぼれる

 調 伽藍(しらべ がらん)


19/20

────────────────


居て。



 もっと分かりやすく言うなら、ただ、構って欲しかった。

 降り始めた雨を避けてコンビニの本の立ち読みに入店音を鳴らす。今の時代じゃ本につけられたテープもゴムも意味を成さない。それに、散々ボロボロになった週刊誌を持った方が面白いというのが不良の共通認識であって、スマホの画面で読書をするなどクソエセインテリDKのお戯れごとにしかならないのだよね。まぁそれで。つまり僕は優秀な不良男児である。手に取ってすぐ最後のページを開き、作者コメントに目を落として、読み終われば今度は巻頭グラビアをめくった。

 姉は僕より賢いことを話し、大人にも同級生にも好かれるような愛嬌や優しさもあった。まあ、あったというよりはそう見えるようにしていたんだ、僕とは違って。

 見開きのカラーページに極才色のヒーローが迎え、鬱。

 子供の頃の話だから歳の差を言い訳にするのも是非許してほしい。だって地頭ってやつだけじゃない、成績でそれを知らしめていたし、スポーツにしても姉の戦略勝ちを常習に、両親も姉に目を掛け分かりやすく僕とは態度を変えていた。そう、それに会話をする時、彼女は相手の目を見ない。最初に嘘を言ってそれを本物にする道を臨む。気付くのが遅いよ。

 随分と顔の素敵な敵キャラが大袈裟な言い回しで毒を吐いたが、主人公にしっかりと受け止められた。

 何をしても姉が誰より正しい世界だ。そこから抜けた今の方が間違いだと思い続けているほど、圧倒的な正義を信じて姉を慕った。だがあいつと同じ道を辿っても追いつけやしない。だからバカを演じたんだ。そうすれば多少僕にも周りの目が向くかと思って。これが天才な僕のすげえカッケェ戦略であった。笑。

 窓に当たる雨粒の勢いは強まる一方、南西から雷の音さえ聞こえる。分かっていたのに。

 十年も前の話だ。

 黒くなった手が冊子を閉じる。視界が白く揺らめくほどの雨。僕の双眸にどろりとした涙が溜まる。この世の何よりも汚いと言い放つのは、終わらない僕の◯。




character:有魔 南楽(ありま ならく)


20/20

────────────────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自創作 短編集 48円 @Kuzen_Natsugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る