今日も、明日も
平瀬ほづみ
今日も、明日も
「真庭、オレと勝負しない?」
「はあ?」
いきなり勝負を挑んできたバカを見上げ、私は胡散臭そうに反した。
このバカは萱原孝之という。私、真庭あさみとは単なる級友である。付き合いは中学時代に遡るので、長いっちゃ長いんだが。
「なんであんたと勝負すんのよ」
「勝ったらお互いの言うことをなんでも聞く」
「アホらしい」
私はバインダーを閉じて立ち上がった。
「そんなにさくらと付き合いたいなら、姉に頼らず自力でなんとかなさいよ」
さくらは、私のひとつ下の妹である。萱原はさくらにご執心なのだ。
「素直にそうできないオレのことを少しは考えてくれよ」
萱原がブーブーと文句を言う。
「真庭が勝ったらオレなーんでも言うこと聞くから」
「駅前で裸踊りとか?」
「真庭が見たいのなら特別席設けて一指し舞います!」
「勘弁して……」
私は額を押さえた。
自分でも思う。
なんでこんなフザけたバカのことを、私は好きなんでしょう。
よくわからないのよね。これは今まで何度も自問してきたこと。答えは出ない。よくわからないのだ。よくわからないのに、萱原のバカみたいに明るいところや、バカみたいに真剣に遊ぶところや、友達思いなところや、困ってる人をさりげなーくフォローして、それを周囲に悟らせない手腕などを、私は好ましいと思うのだ。
自分の友達には「あんなうるさいだけのヤツ」と、愚痴をこぼして「あさみは優等生だから、ああいうタイプとは合わないよね」なんてなことを言われて同意してみせたり、一生懸命、これは気の迷いよ、と言い聞かせたりしているのに、気の迷いどころか、これは恋だ、と自覚するくらいには心ははっきりしてしまっている。
あーあ。
バカなのは私のほうなんだよね。本当は。
だから、さくら目当てとはいえ勝負を挑まれて、こいつに何か言うことを聞かせるのも悪くないかと思い、私は「いいよ」と答えた。
勝負に乗ってくると思っていなかったのか、萱原は一瞬意外そうな顔をしたけど、すぐに「約束だからな」とニヤリと笑った。
まあ、いいでしょう。
あんたがいくら頑張ったところで、私に勝てるのかしら?
勝負は1学期の期末試験。文理で授業が違うから、同じ授業を受けている科目だけ選んで純粋に得点を競うことになった。自然と英語、国語、と科目は文系寄りになる。この時点で、文系の私にじゅうぶん有利だったし、第一、私と萱原では申し訳ないけど成績がかなり離れているのだ。
絶対的に、私が有利だった。
いくらなんでも不利すぎることは、萱原の頭でも理解できているはずなのに……
この件については、萱原は、何も言わなかった。
自分の苦手科目で、私に勝とうというのだろうか。
変なやつ。
そんなにさくらが好きなのか……
萱原とさくらを引き合わせたのは、私だ。
同じ高校を受けたいと、私らが1年の文化祭に、中3だったさくらが友達と一緒にやってきた。別に萱原だけがさくらに会ったわけではなくて、さくらを見かけた人の中に萱原がいたのだ。
私の妹だと知るやあれこれ話を聞きに来たものだ。
中学からの知り合いとはいえ、単なるクラスメイトだった萱原とよく話すようになったのは、さくらがきっかけだった。そして、気がついたら、私は萱原を目で追いかけるようになっていた。
不毛。
1年の冬休みには、うち(=洋食屋)に来て、頼んでもないのに店の手伝いをしてくれたりとかして、気がついたらさくらにも馴染んでるし、両親とも仲良くなっていた。外堀から埋める大作戦はうまくいったのだ。
知らない仲じゃないんだから、別にストレートにさくらに話しかけてもよさそうなものを。
萱原は今でも、私を経由する。
長年の友達で、私のほうが話しやすいってことなのかもしれない。
女と見られてないという証拠なのかなあ、と思うと、なんだかヘコむけど、仲良くしていられるんだから、それでもいいかと思いなおす。
素直じゃないのも、素直になれないのも、勇気がないのも、おんなじ。
萱原を悪く言う資格なんて、私にはないんだ。
期末試験は、7月6日から9日にかけて。
自分が負けるとはちっとも思わなかったけど、いつもより入念に単語のチェックをしてしまった。
結果がわかるのは翌週。
自分が負けるとはちっとも思ってなかったけど……
「はーはっはっはっ。どーだあっ」
バン、と私の前に置かれたリーダーの解答用紙。
私は思わず固まった。
は……87点!?
平均53点のリーダーで、理系の萱原が87点!?
目を疑った。
「見せてみろよ、真庭」
「う」
「勝負受けただろうがよ」
「ま……まだ、グラマーと古典と現代文が残ってるんだからねっ」
私は79点の解答用紙を広げた。
くっ、屈辱~~~~~ッ
これだけの点があれば絶対負けてないと、返してもらったときには思った自分が呪わしい。
にんまり、萱原が笑った。
「楽しみだなー」
ムカつく!
しかし、「まさか」は起きた。それから、そう、3度。
3度もである。
つまり、私が……
この、私が!
「完敗だね」
にこにこしながら萱原と向き合う、もうすぐ夏休みでっせという放課後。私は唇をかみしめ、机の上に並んだ解答用紙を睨んだ。
見事だった。見事なまでに、僅差とはいっても、私が負けていた。
こんなことって!
悔し涙に世界が歪むわ。
「何かの間違いよぉ~~~~~ッ」
「素直に負けを認めてオレの要求を呑め」
んふふ、と萱原が笑う。
悪魔に見えた。
***
手渡されたのは映画のチケットだ。ベストセラーの映画化だというのでずいぶん話題になった。友達と夏休みになったら行こうかって話をしてたやつだった。
指定席というところにヤツの意気込みが感じられて、ため息。
「萱原さんが?」
家に帰って、チケットを渡したら、さくらが目を丸くした。
「そ。デートのお誘い」
「ホント!?」
さくらがぱっと顔を輝かせた。
「うれしーい! 何着てこーかなー♪」
「さくら……いいの? わかってんの? 萱原って、去年のクリスマスにうちに押しかけバイトに来た、あの萱原だよ?」
「知ってるわよ。モチロン」
妹の意外な反応に、私はびっくりした。
もっとこう、冷めた反応で、説得するのに時間がかかると思っていたのに。
「わたしね、萱原さんと一度ゆっくり話してみたかったの。嬉しいなあ、デートだなんて夢みたい」
「マジで……さくら……」
ってことは。
あれですか。
すでに両想いですか。
私は失恋ですか。
しかもシチュエーション的に、かなりイタイような……
見事にキューピッド役をさせられたのね、私。
萱原の、姉経由作戦はうまくいったわけだ。
***
『あの頃、ぼくは君に恋をしていた。』
「あさみ、呆けてるんなら制服洗濯しなさい」
約束の日。梅雨明け宣言も出て、世界はいよいよ真夏の様相を呈してきた。
さくらはとっておきのワンピースと、私ならコケちゃうぞ、というサンダルをはいて、きれいにメイクして出かけていった。
さくらたちが見に行った映画のチラシを、私はぼんやりと眺めていた。
友達と行くか、と話していたやつである。
真っ青な空に一行、書かれた文章は、
痛いくらい今の私と重なる。
「あさみ!」
母の声が飛んでくる。うるさい。
「あとで洗う!」
怒鳴り返したら、静かになった。
フン。洗わなくたって来週には終業式だ。……さすがに汚いか。
自分の部屋のベッドに座って、私は正面の窓から外を見た。
そこには映画のパンフレットに劣らない青い空。
だって……
しょうがないじゃん。
私の入り込むスキなんてなかったって、ことでしょ。
はじめから、どこにも。
なら、脈ありと勘違いして告白するようなことをしなくてよかったと、自分を褒めてあげたい。
見事に私の恋愛パターンだなあ。
この次に好きになる人とは、ぜひ両想いになりたいものだわ。
時計が11時を知らせる。あー、もうこんな時間かあ……。
私はのろのろと起き上がった。
制服を洗濯しなくちゃ。
***
夕方、帰ってきたさくらがリビングでテレビを見ていた私のもとへやってきて、
「お土産」
と、ポンと冊子を置いた。
「なに」
手に取ると、それは今日さくらたちが見てきた映画だった。
「評判ほどおもしろくなかった」
コキコキ、と首をひねりながら、さくらが言う。
「そうなの?」
「人によると思うけど、ちょっとこの映画の主人公は、私の趣味じゃないわ」
「へえ」
ぱらぱらとパンフレットをめくる。
「デートはどうだった?」
「普通」
「普通?」
私は首をひねる。普通のデートってなんだ……? デートというものをしたことがないから、ちっともわからん。
「萱原さんて、優しい人ね」
ふと、さくらが言う。
「そう? 私にはそうでもないけど」
「萱原さん、お姉ちゃんの話しかしなかったわ」
「……は?」
「はじめは、話題がないからお姉ちゃんのことネタにしてんのかなと思ったんだけど、映画見たあとも、変わんなかったな」
さくらが小さく笑って、くるりと踵を返した。
「きっと、誘う相手を間違えたのよ」
「さくら?」
「――そう、伝えといて」
ひらひらと手を振って、さくらがリビングを出ていく。
なんのことだかわかんなくて、私はぽかんと、さくらを見送ることしかできなかった。
***
月曜日。
「萱原」
とりあえず、朝イチで萱原を呼び止めたのは、さくらからの伝言があったからだ。
「さくらから、伝言」
「え?」
「“誘う相手を間違えたのよ” だって。なんのこと?」
「ああ」
萱原は頷いた。
「さくらちゃんには悪いけど、途中で気がついてさ」
「何よ、それ。うちの妹を侮辱する気?」
「そう言われてもしかたないよなぁ」
そう言って、萱原は笑った。こいつらしくない、弱々しい微笑だった。
「オレ、ずっとさくらちゃんのこと好きなんだって思ってた。かわいいしさ、オレにもなついてたし」
「ふうん?」
「でも、全部おまえ経由で話を聞いてただろ。さくらちゃんのこと」
「そうね」
「それって、姉貴としての視点だよな。さくらちゃんのこと、妹にしか見えないことに気がついた」
「……妹」
「守るべき存在で、恋愛対象じゃなくなってた」
「ちょっと」
私は萱原を睨んだ。
萱原が肩をすくめる。
「だから、あの勝負は無効ってことで、真庭の言うことひとつだけなんでも聞くわ。迷惑かけた、せめてものお返しに」
「……じゃあ、本当に誘いたかった相手って誰? それ教えてよ」
「ここで?」
「ここで。今すぐ。そんなに難しい要求じゃないと思うけど。……あんまりぐすぐずしてると、チャイム鳴って先生来ちゃうわよ」
私は逃がさないわよオーラを出しながら、萱原の前に腕組みをして立ちはだかる。
萱原は困ったように笑って、
「おまえだよ、真庭」
小さいけれど、はっきりした声が聞こえた。
17歳の夏。
私は、恋をしていた。
映画のように劇的な恋愛じゃないけど、
今日も明日も、ゆっくりと過ぎていく日々のすべてが、
私にとっては大切な宝物になる。
今日も、明日も 平瀬ほづみ @hodumi0125
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