第63話 アウトレンジ

 零戦がオアフ島を襲撃していたのとほぼ同時刻、連合艦隊もまた米機動部隊が放った戦爆雷の攻撃隊による空襲を受けつつあった。

 五隻の「エセックス」級空母からそれぞれF6Fヘルキャット戦闘機が二四機にSBDドーントレス急降下爆撃機が三六機、それにTBFアベンジャー雷撃機が一八機。

 それに七隻の「インディペンデンス」級空母からそれぞれF6F一二機にTBF九機の合わせて五三七機が各任務群単位で連合艦隊に迫ってきたのだ。


 一方、連合艦隊のほうは各空母ともに二個中隊、合わせて四八〇機の零戦が直掩として残されていた。

 このうち一個中隊が上空警戒、残る一個中隊が飛行甲板上でいつでも飛び立てる状況にあった。


 「先行する二群はそれぞれ二〇〇機、わずかに遅れて後続する一群が一五〇機といったところだ。上空警戒中の機体はただちに先行する二群の迎撃にあたれ。一航艦と二航艦は東、三航艦と四航艦は西の編隊を攻撃せよ。遅れている一群については即応待機組にこれを任せる」


 連合艦隊とオアフ島の中間空域で網を張っていた三式艦偵。

 その機上にあった指揮管制官の命令一下、四個航空艦隊の上空で警戒飛行を続けていた二四〇機の零戦が機首を南東に向けて速度を上げる。

 飛行甲板上にあった即応待機の零戦も滑走を開始、飛行甲板を蹴って次々に大空へと舞い上がっていく。


 (一航艦と二航艦の一二〇機で二〇〇機の敵機を迎え撃つのか。下手な戦いをすれば、取りこぼしが生じるかもしれんな)


 胸中で油断大敵とつぶやきながら、「瑞鶴」戦闘機隊長兼第一中隊長の笹井大尉はその油断を惹起しかねない新兵器のことを思い起こしている。

 イ号一型乙空対空噴進弾。

 長射程を誇る米軍自慢のブローニング機銃を余裕でアウトレンジできる新兵器だ。

 これを手にしたことで、零戦という旧式機材で戦わされるのにもかかわらず搭乗員たちの士気は高い。


 指揮管制官の指示した高度に機体を遷移させてしばし、前方の空からゴマ粒が染み出してくる。

 そして、それらが徐々に飛行機の形へと変化していく。

 そのうちの三分の一ほどが突出、こちらに向かってくる。

 おそらくは、敵の護衛戦闘機だろう。

 味方の急降下爆撃機や雷撃機を守るべく、零戦隊に立ちふさがってきたのだ。


 「撃てッ!」


 敵戦闘機がイ号一型乙空対空噴進弾の間合いに入ったと判断した瞬間、笹井大尉は裂帛の気合とともに発射ボタンを押下する。

 歴戦の部下たちもタイミングを逸することなく、次々にイ号一型乙空対空噴進弾を放っていく。


 一方、律儀にSBDやTBFを守る盾の役目を果たそうとしていたF6Fの搭乗員は、しかしそのことでイ号一型乙空対空噴進弾に対して決定的に反応が遅れる。

 その結果、イ号一型乙空対空噴進弾という槍衾に、まともに突っ込むはめになってしまった。

 F6Fの搭乗員は必死の操縦でイ号一型乙空対空噴進弾を躱そうとする。

 しかし、あまりにもその数が多すぎた。

 それに、紙一重で躱したところで近接信管を装備するイ号一型乙空対空噴進弾の危害半径から逃れることも出来ない。

 四八〇発にも及ぶイ号一型乙空対空噴進弾。

 その魔手から無傷で逃れることが出来たF6Fは、咄嗟の急降下で難を逃れたわずかばかりの機体のみだった。

 そして、それらF6Fが戦闘高度に戻るまでには相応の時間がかかるはずだった。


 邪魔者を排除した一航艦それに二航艦の零戦は二手に分かれる。

 一航艦の零戦は七二機のSBDに、二航艦のほうは五四機のTBFにその矛先を向ける。

 それぞれ六〇機近い零戦に狙われてはSBDもTBFもたまったものではなかった。

 F6Fという鬼の居ぬ間の洗濯とばかりに、零戦は後方あるいは側方からそれこそ演習のような気安さで二〇ミリ弾を撃ち込んでいく。

 防御力には定評のある米軍機も、しかし二〇ミリ弾をしたたかに浴びせられてはさすがにもたない。

 機体の各所に大穴を穿たれ、SBDそれにTBFがオアフ島沖の海面へと叩き落されていく。

 容赦の無い零戦の猛攻を受けて、なお生き残るSBDやTBFも有るには有った。

 しかし、それら機体はそのいずれもが早い段階で爆弾や魚雷を投棄して避退に転じた者たちばかりだった。


 一航艦それに二航艦の零戦隊が第五八・二任務群攻撃隊に大打撃を与えて追い返した頃には、三航艦それに四航艦の零戦隊もまた第五八・一任務群攻撃隊の撃退に成功している。

 あまりにもあっけない、あまりにも一方的な戦闘に、笹井大尉は一〇年以上も前から帝国海軍に破格の経済支援を続けている某特務中佐がこの戦いの前に語った言葉を思い出している。


 「戦闘機の強さは機体性能と搭乗員の技量だけで決まるのではありません。なにより大切なのは適切な情報支援と、それに相手より先に致命の一撃を与えることが出来る必殺兵器の存在です」


 確かに、某特務中佐の言った通りだった。

 自分たちは先行する指揮管制機からの情報支援によって適切な高度を維持したうえで敵編隊とエンゲージすることができた。

 いくら、イ号一型乙空対空噴進弾が優れた兵器だとはいっても、しかし見当外れの高度で接敵すれば役立たず、ただの死重に成り下がる。

 もちろん、敵機を撃墜するのはイ号一型乙空対空噴進弾であり二〇ミリ弾だ。

 しかし、それも適切な情報支援があってこそ初めて有効活用することがかなう。


 (それにしても、敵をアウトレンジ出来るというのは思っていた以上に気分の良いものだな)


 これまで、日本の戦闘機は米戦闘機と戦うときは常に先手を取られていた。

 低伸性に優れるブローニング機銃を装備する米戦闘機と正面から撃ち合えば、負けるのはたいていの場合日本の戦闘機だったからだ。

 だから、これまでは正面から撃ちかけてくる米戦闘機の攻撃を躱してから旋回格闘戦に移行する必要があった。

 しかし、イ号一型乙空対空噴進弾はブローニング機銃の有効射程圏に入る前にぶっ放すことができる。

 つまり、こちらがイ号一型乙空対空噴進弾を装備している限り、先に回避機動を強いられるのは米戦闘機のほうになる。

 これまで、機銃の性能差に散々に苦い思いをしてきたのが、しかしその立場は完全に逆転したのだ。

 これで気分が良くならないほうがどうかしている。


 しかし、イ号一型乙空対空噴進弾のありがたみや情報支援への感謝はほんの一瞬、笹井大尉はその意識を現実へと戻す。

 先行する敵の二群はそれぞれ一航艦と二航艦、それに三航艦と四航艦の上空警戒組が撃破した。

 しかし、まだ一五〇機規模の一群が残っている。


 だが、残る最後の一群の運命はもはや決まっている。

 即応待機組の二四〇機の零戦がその阻止に失敗するはずがないし、その戦力差から一機残らずの殲滅もあり得た。

 笹井大尉の予想は完全に正しかった。

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