海軍省戦争経済研究班
第46話 人事の一手
オアフ島をめぐる一連の戦いの結果については、札田場敏太もこれをすぐに知るところとなった。
事前に海軍大臣の塩沢大将に詳細を知らせるように頼んでおいたからだ。
塩沢大臣のほうも、敏太が作る紙爆弾の威力は知悉しているから、快くこれを引き受けている。
これまで無任所だった敏太は現在、新しく編組された「海軍省戦争経済研究班」にその籍を置いている。
同班は、総力戦を経済面から研究することを目的として設立されたものだ。
それゆえに、敏太がそこに所属していることを不思議に思う者はいない。
しかし、それは表向きの業務、偽りの看板にしか過ぎない。
終戦工作を進める。
それこそが、「海軍省戦争経済研究班」の存在理由だ。
班長には高木惣吉大佐がこれにあたる。
高木大佐は海軍次官の井上中将の信頼が厚く、そのうえ政財界に太いパイプを持つとのことだった。
その彼を金銭面からサポートするのが敏太の役どころだ。
工作というものは、やたらと金がかかる。
さらにそれを水面下、秘密裏に行おうとすれば、それこそ桁違いの経費がかかる。
それと、相手によっては井上次官のサポートが入ることになっていた。
現役将官、しかも海軍次官が動くことによって、相手に対して終戦にかける海軍の本気度を大いに印象付けることが出来るからだ。
さらに、表舞台には出てこないが、彼らの背後には井上次官以上の大物が控えている。
海軍大臣の塩沢大将や連合艦隊司令長官の山本大将、さらには現役を退いてなお海軍内に大きな影響力を持つ米内大将。
彼らもまた、「海軍省戦争経済研究班」の実態を知る者たちであり、同班の活動を裏から支えている。
「四月の人事異動に関しては、これを予定通りに進められそうですね」
軍人らしからぬ言葉遣いの敏太の問いかけに、高木班長が大きくうなずく。
「オアフ島沖海戦の勝利は、日本海海戦を上回ると言われたマーシャル沖海戦に比肩されるかあるいはそれ以上のものと言っていい。それに宮様のご意向も採り入れたのですから、文句があってもそれを口にできる者は皆無でしょう」
大佐が部下の特務中佐に敬語を使うのは、はたから見れば異様に映るかもしれない。
しかし、その相手が敏太であれば話は違ってくる。
なにせ大佐はもちろん、大将でさえもが彼に対しては敬語を使用するのだ。
それだけ敏太の存在は、帝国海軍には無くてはならないものとなっている。
オアフ島沖海戦と呼ばれる一連の戦いで、連合艦隊は四隻の空母と八隻の戦艦、それに一四隻の巡洋艦ならびに四八隻の駆逐艦を撃沈した。
さらに、オアフ島の基地航空隊を壊滅させ、真珠湾を劫火の海へと叩き込んだ。
開戦からの相次ぐ勝利に、帝国海軍の株は爆上がりしている。
その最中、帝国海軍は大幅な人事異動に着手した。
まず、軍令部総長の永野修身大将が健康を理由に現役を引退。
その空いた席には軍事参議官であり、そして親米派提督として有名な百武源吾大将を据える。
これは、米国に対する和平のメッセージが込められた人事として彼の国には映るはずだ。
連合艦隊司令長官も交代する。
山本大将の後釜には彼の同期で海上護衛司令長官の嶋田大将がここに座ることになる。
これは、伏見宮元帥からの要望を容れたものだ。
戦争が始まって以降、脚光を浴びるのは連合艦隊ばかりで、逆に嶋田大将率いる海上護衛総隊はその任務の性格から、船員以外の国民からは忘れ去られたような存在となっていた。
当然のことながら、嶋田大将もまたスポットライトを浴びることはない。
そんな嶋田大将を不憫に思った伏見宮元帥は、彼に対して今以上に日の当たるポジションを与えるよう関係者に要求してきた。
海軍人事を司る塩沢大臣も、宮様と呼ばれる帝国海軍最高権力者の頼みを無下にすることは出来ない。
そこで、塩沢大臣は連合艦隊司令長官の山本大将とそれに敏太とともに一芝居を打つことにした。
その塩沢大臣は嶋田大将を連合艦隊司令長官に据える代わりに、百武大将の軍令部総長就任を認めるよう伏見宮元帥に持ちかけたのだ。
同期である自分が連合艦隊司令長官の席を嶋田大将に明け渡すように山本大将を説得すると、そう言って。
山本大将に対していささかばかりの罪悪感を抱きながらも、それでも伏見宮元帥は塩沢大臣の要求を飲んだ。
寵愛する嶋田大将とそうではない山本大将を天秤にかければ、どちらを優先すべきかは自明の理だったからだ。
一方、山本大将のほうは連合艦隊司令長官の椅子を失うことになった。
しかし、これは渡りに船と言ってもいいものだった。
山本大将は連合艦隊司令長官から軍事参議官へとジョブチェンジする。
このことで山本大将は連合艦隊司令長官の時には望み得なかった、時間というなによりのリソースを大量に獲得することがかなった。
それと、嶋田大将の抜けた海上護衛司令長官の後任には及川古志郎大将が就任することになっている。
「海軍大臣の塩沢大将と、それに軍令部総長の百武大将が表舞台で、そして裏では山本大将と米内大将がそれぞれ戦争終結に向けて動く。とりあえず、帝国海軍のほうはこれで良しとして、あとは陸軍とそれに政治家たちへの対応ですね」
帝国海軍だけが戦争終結に向けて動いても、大きな力にはならない
組織としては遥かに巨大な陸軍、その中の講和派とも手を携えなければ、とても戦争の大きな流れを止めることは出来ない。
だから、そこは同じ軍人である四人の大将や井上中将、それに高木大佐の人脈が頼みだ。
「そこは私とその部下たちにお任せください。世間ではよく海軍と陸軍は仲が悪いなどと言われますが、それはあくまでも組織同士の話です。それと、陸軍は確かにドイツ贔屓が多いですが、それでも親米派や知米派の人間も少なくありません。政治家もまた同様です。それらの人間の中でも、特に信頼できそうな者のリストアップもすでに済ませています」
自信に満ちた高木大佐の言葉に、敏太は意を強くする。
人間は一人であれもこれも出来ない。
役割分担が必要だ。
だから、敏太が金を出し、そして高木大佐たちがそれを有効活用して目的を達成する。
その第一弾が同志とすべき人物の見極めと、その眼鏡にかなった人材の取り込みだ。
だが、仲間を増やすだけでは戦争終結という目的を達成することは出来ない。
その障害となるものを事前に徹底的に排除しなければならない。
陸海軍の継戦派、それにアジアに新秩序をなどとほざいている思い上がった官僚たち。
民衆を煽り、それを部数増につなげることで収入増を図る新聞社。
敏太から見れば、どいつもこいつもろくでもない連中ばかりだ。
そして、敏太はそのような相手に容赦をするつもりは無い。
(いざとなったら、暗殺という非常手段に訴えなければならないこともあり得る。だが、その時に高木大佐は腹をくくってくれるだろうか)
そのことに敏太は懸念を抱くが、しかしそれは杞憂だった。
高木大佐はいざとなれば、総理大臣ですら暗殺することをためらわない程度には肝が据わった人物だったからだ。
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