第24話 太平洋艦隊司令長官
一九四一年一二月七日、日本が米国に宣戦布告した。
その行為は、蟻が巨象に挑むがごとき愚行。
米国民はもとより米海軍将兵の多くもまた、そう思っていた。
それは太平洋艦隊司令長官のキンメル大将といえども例外ではない。
しかし、ふたを開けてみれば、それはとんでもない思い上がりだった。
開戦初日には日本の機動部隊から発進した艦上機群によって在比米航空軍が大打撃を被った。
ゼロファイターと呼ばれる戦闘機の強さは圧倒的で、米陸軍の主力戦闘機であるP40でさえ一矢報いるのがやっとだったという。
予想外なのは空の戦いだけではなかった。
開戦の二日目にはマレー沖で新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」とそれに巡洋戦艦「レパルス」が日本の陸上攻撃機によって撃沈されるという衝撃のニュースまで飛び込んできている。
陸上戦闘でも連合国軍は押し込まれ、グアムは開戦初日に陥落し、香港もまた風前の灯火だという。
そのような現状に焦慮の念を抱きつつ、一方でキンメル長官は情報収集とその分析に余念がなかった。
あるいは、今はそれしか出来ることが無いと言ったほうが正しいかもしれない。
「フィリピンの航空基地を襲った日本の機動部隊ですが、こちらは六隻の空母が確認されています。さらに、そのうちの二隻はその特徴的な艦型から『赤城』それに『加賀』とみて間違いありません」
情報参謀のレイトン中佐の報告にうなずきつつ、キンメル長官は日本の空母について脳内データベースを検索する。
日本海軍には確認されているだけで九隻の空母があった。
「レキシントン」や「サラトガ」と並び、ビッグフォーと呼ばれる存在の「赤城」と「加賀」。
それに、中型の「蒼龍」「飛龍」それに小型の「龍驤」と「鳳翔」。
さらに、「瑞鳳」と「祥鳳」それに「龍鳳」の三隻が確認されているが、しかしこちらは特務艦を改造したものだということが分かっているだけで、詳しい性能諸元を把握するまでには至っていない。
そして、報告が正しければこれらのうちの六隻が現在、フィリピンで猛威を振るっていることになる。
「それと、戦艦のほうですが、こちらはサイゴンからマレー沖にかけて四隻の『金剛』型戦艦が確認されています。また、巡洋艦や駆逐艦といった補助艦艇も活発に活動しており、重巡だけでもその数は一〇隻以上にのぼります」
日本海軍は「長門」型と「伊勢」型それに「扶桑」型と「金剛」型の合わせて一〇隻を擁している。
「長門」型は四〇センチ砲を八門装備する極めて強力な艦だ。
米海軍の「コロラド」級も同じように八門の四〇センチ砲を備えている。
ただ、こちらは三六センチ砲搭載戦艦で建造するはずだった艦に無理やり四〇センチ砲を載せただけの代物だ。
だから、米海軍は「長門」型については「コロラド」級より一枚上手をいく存在だと考えていた。
「そうなると戦艦はこちらが八隻なのに対して相手は六隻、空母は三対三だが、しかしそこに『赤城』や『加賀』といった大型のものは含まれていない」
圧倒的じゃないか、我が艦隊は。
そう思いかけているキンメル長官に、だがしかしレイトン中佐は注意喚起を忘れない。
「不確定要素が二つあります。一つは日本のマル三計画で建造されている戦艦と空母です」
キンメル長官も仮想敵の研究は怠っていない。
日本がマル三計画でそれぞれ二隻の戦艦と空母を整備する予定だということはすでに聞き及んでいる。
「中佐はマル三計画の戦艦それに空母がすでに就役していると考えているのか。しかし、小型の空母であればともかく、戦艦や大型空母がこの時期に完成しているとは思えんのだが。それと、マル三計画の空母についてはその予算規模を考えれば間違いなく大型のそれだ。それに、だ。仮にそれら戦艦や空母を完成させていたとしても、そのような大型艦を戦力化するには相当な訓練期間を要するはずだ。それらを考え合わせれば、新型戦艦や新型空母が我々の前にその姿を現すのはどんなに早くても年明け以降になるだろう」
自説を開陳しながら、一方で心配のし過ぎではないかという視線を向けてくるキンメル長官に対し、しかしレイトン中佐も譲らない。
「日本の新型戦艦と新型空母については、先ほども申し上げた通り不確定要素にしか過ぎません。はっきりしたことがいまだつかめていないのです。しかし、そうであれば戦力見積もりにはこれを加えておくべきです。敵を過小評価するよりも過大評価しておいたほうが傷は浅くて済みます」
敵の評価については、キンメル長官もレイトン中佐の言に首肯せざるを得ない。
実際に戦ってみて、思ったよりも敵が強かった場合と逆に思ったよりも敵が弱かった時の結果を考えればそれは一目瞭然だ。
思ったより弱ければ、その分だけこちらが受ける傷も少なくなる。
それに、日本海軍が南方資源地帯の攻略に四隻の高速戦艦と六隻の空母を投入するというのは少しばかり不自然だ。
太平洋艦隊に備えるべき戦力があまりにも少なすぎる。
しかし、推測を重ねても話は進まない。
だから、キンメル長官は残る一つの不確定要素を説明するようレイトン中佐に促す。
「ミスターSと呼ばれる人物の存在です。彼は日本海軍に対して桁外れとも言えるサポートをおこなっているとの噂です。実際、巨額の支援を行っていることは確実だと思われますが、しかしその正確な内容が分かりません。通常の海軍予算であれば議会を通す必要があるのでその使途がある程度推測できるのですが、一方で個人的な献金となるとどこに何を使ったのかがほとんどつかめません」
キンメル長官もミスターSのことは知っている。
ビンタ・サツタバ。
世界恐慌に付け込み、そして世界中の富を収奪した男。
何をどうやったのかは分からない。
ただ、生き馬の目を抜くと言われる経済戦争で、彼に勝負を挑んで生き残った者はいないというから、相当にヤバいやつだということは分かる。
そして、一般市民だと思われていた彼は、しかし今では帝国海軍特務中佐の身分まで持ち合わせているという。
「確かにミスターSとその彼が行う支援については不明なところが多い。レイトン中佐の心配もそれなりに理解はできる。だが、物事には優先順位がある。今はそのようなことを心配している時でもないだろう。それよりも『サラトガ』のほうはどうなっている」
そう言って、キンメル長官はやんわりとレイトン中佐を窘めつつ、話題を旋回させる。
「『サラトガ』は間もなく出港準備が整うそうです。それが終わり次第、可及的速やかに抜錨、急ぎこちらに向かうとのことです」
レイトン中佐の返答に満足の意を示しつつ、キンメル長官は連合艦隊との決戦にその意識を向ける。
現在、日本海軍は南方資源地帯攻略に六隻の空母と四隻の高速戦艦を振り向けている。
太平洋艦隊としては、これら空母や戦艦が南方戦域にいる間に連合艦隊に対して決戦を強要しなければならない。
もし、六隻の空母と四隻の戦艦が連合艦隊に合流すれば、太平洋艦隊の不利は決定的だ。
(逆に言えば、日本海軍は戦力の分散という兵法でも特に戒められている状況にある。やるなら、今しかない)
胸中で闘志を高めつつ、キンメル長官は「サラトガ」が合流次第、太平洋艦隊の全力をもって出撃することを決意する。
太平洋を挟んだ日米両艦隊の、決戦のゴングが鳴った瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます