マル四計画
第17話 金の切れ目は避けるべし
不足する巨大戦艦の建造費の穴埋めに六〇〇〇万円。
二隻の空母の建造費に一億六〇〇〇万円。
四隻の空母に搭載する艦上機の調達費に五〇〇〇万円。
他にも三隻の特務艦の空母への改造費、それに機動部隊に配備する護衛艦艇の建造費など諸々。
トータルで六億円近い出費。
全体で八億八〇〇〇万円のマル三計画の、実に七割近くに迫る金を敏太は帝国海軍に献納していた。
マル三計画であれだけの経済貢献をした。
だから、マル四計画ではさすがに呼ばれるようなことはないだろう。
帝国海軍とて常識、節度といったものはあるはずだ。
そう考えていた敏太だった、しかし甘かった。
二年ぶりに海軍省から呼び出しがかかったのだ。
その敏太はマル三計画における経済貢献が評価され、特務大尉から特務少佐へと昇任していたが、しかし本人にとってはどうでもいいことだった。
大臣室で敏太を待っていたのは前回と同様、海軍大臣の米内大将と次官の山本中将だった。
「失礼します」
そう言って入室する敏太に、米内大臣と山本次官は立ち上がって彼を迎え入れソファを勧める。
将官が特務少佐に対する態度ではないが、しかしこれが金の力だ。
「今回はどういったご用件でしょうか」
自分で吐いておいて、白々しい台詞だと敏太は思う。
しかし、それでも一応は相手の出方を確かめる必要があった。
「まずはこれをご覧ください」
米内大臣が数枚のペーパーを差し出す。
軍機の印も生々しいそれ。
秘密の重要度については最高レベルのものだ。
(前回もそうだったが、ずいぶんと信頼されたものだ)
胸中で苦笑しつつ、敏太はそこにある文字列と数字を素早く読み取り記憶する。
経済戦争を生きる敏太にとってはピースオブケーキだ。
そして、あらぬ疑いを持たれぬよう、すぐにその書類を米内大臣につき返す。
「このマル四計画ですが、札田場さんから見ていかがですか」
水を向けてくる米内大臣に、敏太は正直な感想を漏らす。
実のところ、当人としてはこれでも言葉は選んでいるつもりでいる。
「巨大戦艦が二隻に水雷特化型駆逐艦が一八隻ですか。その一方で空母はわずかに一隻でしかない。まったくの意味不明です」
投げやりな敏太の態度に、しかし米内大臣はそこには頓着せず、彼が指摘した部分について解説する。
「空母が少ないのはマル三計画でそれが充実したからです。同計画においては正規空母が四隻に改造空母が三隻の合わせて七隻の増勢をみた。もちろん、これは札田場さんのご協力によるおかげです。しかし、そのことで空母は十分だと上層部は判断した。それゆえに、マル四計画では空母以外の艦種に手厚い予算措置が講じられる結果となってしまったのです」
想像通りの米内大臣の言葉に、敏太は胸中でため息を吐く。
帝国海軍が航空主兵に移行するために良かれと思ってやったことが、結局は全体のパイを広げるだけの結果に終わってしまった。
あるいは、敏太よりも帝国海軍のほうが一枚上手だったと言えるかもしれない。
「空母が少ないことについては了解しました。それで、繰り返しになりますが、本日呼ばれた理由をお教え願えますか」
モチベーションの低下を覚えつつ、それでも敏太は話を進める。
そうでなければ話は終わらないし、この場からの離脱もかなわない。
「前回と同様、今回も資金援助をお願いしたい。具体的には空母ならびにその護衛艦艇の建造費です。空母のほうはこちらとしては三隻を希望しますが、しかし難しければ一隻でも構いません」
遠慮も装飾も省いた米内大臣の直球の要求に、敏太は思考を巡らせる。
本来であれば、速攻で断ったとしても批判されるいわれはないはずだった。
マル三計画で桁外れの援助をしたのだから当然だ。
だがしかし、世界情勢が敏太にそれを許さない。
世界を相手にした経済活動の中で敏太は確実に軍靴、戦争の足音が近づいているのを知覚している。
一般人には認識しえない、裏の経済における人と金と物の流れを見れば、その対象が次にどのような動きを見せるのかが高い確度で予測出来る。
敏太はそれが出来るからこそ、世界を相手にぼろ儲けが出来ているのだ。
裏経済、しかも世界レベルのそれを知悉する敏太の見立てでは、ドイツは年内にも他国に対して戦争を仕掛けるはずだった。
十中八九その矛先はポーランドに向かうはずだ。
そのことで、ドイツは英国ならびにフランスと干戈を交えることになる。
欧州大戦の勃発だ。
そして、その火の粉は近い将来、日本と米国にまで飛び火する可能性があった。
敏太は焦燥のような思いにとらわれていることを自覚する。
だからこそ、今後の方針を決めるために必要な情報の取得に努めることにする。
「空母ですが、マル三計画では八〇〇〇万円、しかしマル四計画のそれは一億円にアップしています。インフレによる物価上昇を勘案したとしても著しい高騰です。あるいは、マル四計画の空母はマル三計画のものとは違うのですか」
敏太の問いは予算に対するものではなく戦備へのそれだ。
だから、米内大臣としては軍機という理由ではねつけてもよかった。
しかし、彼はそうはしなかった。
あるいは、出来なかったと言ったほうが適切かもしれない。
敏太の機嫌を損ねること、それは空母が手に入らなくなることだけにとどまらない。
海軍技術研究所や練習航空隊など、敏太の資金援助によって運営されている組織や施設は思いのほか多いのだ。
帝国海軍としては、どんなことをしてでも彼を手放すわけにはいかなかった。
「マル四計画の空母はマル三計画のそれとは別物です。価格が上昇したのは前回が通常型空母だったのに対して、今回は装甲空母であることが大きな理由です。飛行甲板に装甲を張り巡らせたことで排水量が増大、その分だけ建造コストもアップしています」
米内大臣の説明を聞きつつ、敏太は脳内でそろばんを弾く。
仮に今すぐに装甲空母の建造を開始すれば昭和一八年中に完成にこぎつけられる。
しかし、予算措置すらも講じられていない現状では、その起工までに相応の時間がかかるはずだ。
そうなれば、戦力化されるのはどう頑張っても昭和一九年以降となってしまう。
もちろん、装甲空母の建造そのものに対しては、敏太はこれを肯定的にとらえている。
米国やドイツをはじめ多くの国が急降下爆撃を重視し、その戦技や機材の開発に余念がないからだ。
急降下爆撃は従来の水平爆撃よりも格段に高い命中率が望める。
だから、各国ともこぞってその戦力化に邁進している。
その急降下爆撃を実施できる飛行機は、広大な飛行甲板を持つ空母にとっては天敵とも言える存在だろう。
当たり所によっては、たった一発の爆弾で戦闘力を喪失してしまうのが空母という艦種なのだから。
しかし、それが装甲空母であれば話は違ってくる。
敵機が投じた爆弾を跳ね返せる装甲を持つのであれば、従来の空母とは継戦能力も生存性も格段に向上することは間違いない。
あるいは、平時であれば敏太はあっさりと装甲空母の建造費を提供する気になっていたかもしれない。
だが、今の敏太にそのつもりはない。
彼の現状認識は、帝国海軍上層部のそれとは大きく異なっていたからだ。
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