六猫目 ティアナの受難

 文明都市イライザは複合世界というものの恩恵を強く受けた首都であった。


 神々の世界戦争において、敗者となった他世界は信仰心と領域全てを統合される。それによって世界の総エネルギー量は増大。神と世界の強度は原子一つに至るまで何倍にも強化されるのだ。


 シモザヴァースは幾つもの世界を統合した強豪世界であり、その分技術力や生活基準は他世界のほとんどを超えるものだった。


 しかし、それは人の堕落を招く一面を持っていた。


 主神シモザは特に人々へ干渉せず、何もかもを人間に一任する放任主義であった。

 そのために人々の倫理は歪んだ。統合された他世界人への迫害は留まる所を知らず、自然や動物の尊重を忘れ、ナノマシンや自分たちの常識を受け入れない者へ私刑を強行する。


 上位に在りたいという欲は醜く膨れ上がり、地位や権力を得た者は自分たちこそ神の使徒だとさえ嘯く始末。


 進化と発展は確かに人々に豊かさを与えたが、差異と優位性によって利己心は増長し、効率化と有効性を突き詰めたばかりに文化は廃れていった。


 今ではナノマシンによって生理的欲求を満たすことさえ生きることには不必要な趣向となり、その暇を解消することこそ他世界への侵略のみとなってしまった。


 だからこそ、今回の『孔』攻略は人々には最高の娯楽であった。人々にとっては、『孔』は下位世界の神々から楽園だなどともてはやされる下等な世界という認識だ。

 そんな世界への侵略ともなれば、平和ボケした楽園の住人たちが自分たちの超技術によって蹂躙されているであろうと想像し悦に浸っている。


 だからこそ彼女は、ティアナ・オールディックは隙をつきゼノメタルを奪うことに成功したのだ。








 オールディック家は首都イライザを支える二大財閥の一角を担う大家だった。貴族として大成したために、特に他者を見下す傾向が強く、イライザに住まう者たちの意識の先端に在るような存在である。


 そんなオールディック家に産まれ落ちたのがティアナ。第一公女として貴族たるを旨とし、家長として家を継承するための修行の日々を送る才女であった。


 しかしそんな彼女にも、一つ楽しみがあった。


「……誰も居ませんわね」


 夜も遅い時間帯。忍び足で中庭に来たティアナは、手に持っていた食品を地面に置いて軽く手を叩いた。


 返事なのだろう。にゃあという鳴き声とともに、小さな猫が低木の下から這い出てティアナのもとへと飛び込んだ。


「あらあら。餌より先にわたくしの所に来るなんて。そんなにわたくしのことが愛おしくて?」


 顔に笑みを湛えたティアナは、その灰色とも黒色ともとれる猫を撫でながら餌を口に持っていく。猫は気持ち良さげに目を細めながら、その手から直に餌を貰った。


 本来、猫などの動物にはナノマシンが打ち込まれていないため、人々からは迫害の対象にされることが多い。

 しかしティアナは、日々厳しいレッスンを受け続けていたために癒しとなる心の拠り所が必要だった。それが中庭に迷い込んだ猫に向けられた。この時間だけは、ティアナの唯一の心休まる時間であった。


「さあお行き。また明日の夜になれば会いに来てあげますわ」


 ティアナの言葉に猫は喉を鳴らし、中庭の奥へと走っていく。こんな場面、両親にでも知られてしまえばタダでは済まないだろう。しかしそれでも、彼女はこの逢瀬をやめるつもりはなかった。







 しかし、世界は残酷であった。


 両親の間に第二公女のマリアが産まれた。それだけならば喜ばしいことだった。ティアナもこの時ばかりは妹の誕生に深く喜んだものだ。


 だが、マリアが成長するにつれてティアナの顔は曇っていった。


 マリアはいわゆる天賦の才があった。馬が上質な草を食べて頑強な肉体を作るように、あらゆる物事をみるみる吸収しより優れた結果を出してみせた。その成長速度はティアナとは比べるまでもなく、故にこそティアナは必死に努力した。


 オールディック家の技術体系や運用の試験。常時満点のマリアには届かない。社交ダンスなどの、貴族らしさを追求する富裕層に広まった大昔の遊戯。その流麗な身のこなしには目を奪われた。


 何もかもがマリアには及ばない。両親の目にはもはやマリアしか映らず、ティアナは次第に隅へと追いやられて行く形となった。勿論ティアナは苦しんだ。猫を抱いてただ泣き続ける時間も多かった。


「お姉様、第67宇宙から新改良のお茶の葉が送られてきましたわ。一緒に中庭でお茶会をしましょう」


 だが、マリアを恨むことはできなかった。


 マリアはティアナによく懐いた。お茶会の誘いには必ず自分を呼び、余興であったダンスまでも自分に合わせ、時にはリードさえしてくれる。


 そして、オールディック家と対を成す財閥の子息との婚約。その時には秘蔵のお茶の葉を用意しめいっぱい祝福してくれた。


 自らの能力をひけらかすことは無かった。その目に嘲りの色は無かった。ただ、何時しか忘れていた尊敬と愛の温もりがあるだけだった。


 だからこそ、ティアナは姉でいられた。例え抜かされるとしても、新しいことをマリアに教えた。貴族間の特別な学院にも通って、一緒に楽しめた。


 そして━━━━━




「は、初めましてティアナ様。私はリリーと、もっ、申しますです」




 ━━━二人目の神童を前に、ティアナの全ては呆気なく崩壊した。



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