第五話 僕が僕であるために

#24 会いに行こう

 僕の夢は終った。

 朝空の下、ごみ収集車が思い出の品々を運んでいった。床の布団で大の字になり、遠离とおざかってゆくエンジンの音を聞きながら、今日すべきことを考える。

 次は窓ガラスを捨てなくちゃ。ベッドを元通りにして、朝だか昼だか判らないご飯を食べて、新宮先生にお別れの連絡をして――。

 鉛のような腕でスマホを探し出し、時刻を確める。壁紙を背景に、「9:31」の数字が浮んでいる。それだけで疲れてしまった。眠気が僕を引き戻す。

 僕はドキッとして、少し身を起こした。背中が汗でじんわり湿っている。画面を二度見する。

 壁紙に設定されていたのは、病院の玄関で撮った写真だった。シュシュがいたずらっぽい笑顔で新宮医師を引き寄せている。新宮医師は驚いているけど、どこか楽しそうだ。真ん中で朝顔がのほほんとしている。端っこにいるのは、もうこの世界のどこにもいない、女の子の姿の僕。

 顔を上げると、段ボールを当てがった窓が目に留った。三人と会う約束をしているのは、今日の正午。たった一つの願いが僕を突き動かす。

 なりたい姿になって、三人に会うこと――それが、僕の本当にすべきことだ。僕の夢は、まだ終っていないんだ。

 昨晩振りのシャワーを浴びた。脚の毛を剃っていると、鏡の中の僕と目が合った。太い首に喉仏、年々骨張る手足。頰のにきびは潰れていて、おまけに全身絆創膏だらけだ。

 でも、どんなに理想とかけ離れていても、これが僕のただ一つのからだなんだ。ここからどれほど理想に近づけるか、自分を試してみよう。口角を上げてみせる。嫌いだった顔が、少しだけ可愛く見えた。

 自分のお茶碗を洗って水切籠に置く。部屋に戻ろうとして、立ち止り、家族の分の食器も洗っておいた。


 メイクを済ませた僕は、街路樹の影を早足で伝った。日がちらちらと目に入って、眩しい。太陽が南中に近づいている。パウダールームが女性専用ばかりで、僕が入れる場所を見つけるのに手間取ってしまった。左手には買ったウィッグの箱を提げ、右手には地図の表示されたスマホを握っている。

 僕は地図と現場を見比べながら、幾つかのお店の前をうろうろした。ショーウィンドウを覗き込み、顔を青くする。

 ない。ここに飾ってあった筈なのに。カーペットも取り換えられているし、トルソーは秋服を着ている。

 僕は看板を見上げて、お店が変っちゃったわけではないのを確めてから、扉を開けた。

「いらっしゃいませ」

 ドアベルの涼しげな音とともに、店員の声が響いた。

 板張の床を歩き廻り、僕は隈なく探した。だけど、お目当のものは見当らなかった。焦りが募る。

「あの、すみません」

 品物を並べ直していた店員に訊ねる。

一月ひとつき前に、ショーウィンドウに飾ってあったお洋服を探しているんです。空色のワンピースで、胸元にリボンが付いてるんですけど……」

 彼女は「少々お待ち下さい」と言った。奥へ消え、何かを抱えて戻ってきた。

「こちらのお品物でしょうか」

 木製のレジカウンターに、ビニールのかかった服を乗せる。まさしく僕が探していた物だった。

「これです!」

 僕は嬉しくなって身を乗り出した。だけど、すぐ思い出す。今の僕は男の子なんだ。

 冷汗をかき、言い訳の言葉を探していると、店員が言った。

「ご試着なさいますか」

 僕は、突然頰を引っぱたかれたような顔になった。

 どこでも耳にする、ありふれた一言だった。だけど、僕の心を固く摑んで離さなかった。嬉しさが喉に込み上げる。でも、しみじみしている場合じゃない。

「したいところですけど、時間がないんです。買って、このお店で着ていってもいいですか」

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