寄せては返す

「おはようございます」


 その一言で俺は目を覚ます。無機質な白い天井に誘蛾灯さながらの刺々しい蛍光灯の光は、自分の仕事にどこまでも自信があり、外聞に頓着しない中村氏ならではの拘りでもあった。上体を起こすと、身体に施された医療道具の数々が目に飛び込む。状況からして、俺は施術を受けた直後にあり、起き抜けらしい頭の冴えなさだ。


「どうでしたか? 今回の夢は」


 いつもの問答に杓子定規な笑顔をぶら下げる中村氏に対して、今まで感じたことがない嫌悪感を催し、喉の奥から熱いものが込み上げてくる。俺は思わず、嘔吐反射からくる口元の歪みを覆い隠した。


「気分が悪いですか?」


 問診をするかのように背中へ中村氏の手が伸びてくる。少しでも身体を丸めれば、指が触れる距離にあったが、中村氏はあくまでも自らの意志で接触をすることを拒み、ひたすら俺の体調を慮った。いくら贔屓の客とはいえ、軽々に身体を触る真似は失礼にあたると、思慮深い所作が垣間見える。


「えぇ……」


 俺は辛うじて返事をし、立ち上がろうと膝に力を入れた。だが、自立も困難な弱々しさに寸暇に気付き、この場を去りたい気持ちを誤魔化す。


「夢、を見ていたような気もするし、見ていない気もします」


 断片的な日常風景が蘇るだけで、それが夢の中での出来事なのか。それとも現実に起きていたことを夢の中だと誤って認識していたのか。二つを峻別するだけのおかしな点は見当たらず、なかなかの悩ましさから息が漏れる。


「夢は見ていたと思いますよ。眼球が動いていましたから。目蓋もピクピクと、ね」


 中村氏はそう言うが、俺の記憶は曖昧だ。この一室で寝息を立てる際は必ず、「夢」が立ち上がり、幸福な気分で目覚めることが出来ていた。しかし、惨事と言い換えても問題ない先日の夢から、不可解なことばかり起きている。


「……」


 俺は神妙な面持ちで沈黙すると、部屋には極めて辛気臭い雰囲気が漂い始め、口を閉じているのが苦痛に感じるほどの重苦しさが降り掛かる。


「大丈夫ですか?」


 俺の体調に注意を向けながらも、いつまでもここに居座られては商売の邪魔になるといった、相反する気持ちが衝突し合う判断の難しさを肌で感じた。出来るなら、中村氏の肩を借りるような無様な姿は見せたくない。必死に回復に努め、一人で歩行できるまで時間を貰う。


「申し訳ないです。目眩を起こしたみたいです」


 中村氏は、無闇矢鱈に嘘を看破するような子どもじみた真似はしない。目眩を口実とした時間稼ぎをしずしすと見守りつつ、俺がここから出ていくまでの針の進みを壁に掛けられた時計から看取している。


「……」


 これほど沈黙が気にならないことも珍しい。身動きを自由に取れるまでの時間は、リハビリに比類する殊勝な努力となって消費されていく。


「しょっ」


 立ち上がる際の合図を口ずさむと、俺は漸く二本の足で自分の身体を支えられるようになった。

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