寝ても覚めても

駄犬

想定外

 俺に非があることは認めよう。それを救難信号と受け取り、借宿のつもりで自分の部屋を使わせる思慮に欠けることをした。只、言わせてもらいたい。逢瀬に飢えて無節操に声を掛けた訳ではなく、そこには必ず老婆心が介在し、男女の差異に関わらず受け入れるつもりだったのだ。今も尚、憂き目に遭う人間は数多存在するだろうし、逃げ場を失った者達に少しでも心を許せる場所を提供したいという意図があった。にも関わらず、俺は両手を結束バンドによる拘束を受け、足もまた尾鰭のように一まとめにされている。無闇矢鱈に身体を動かそうとすると、肋骨の上にダンベルを落とされた。叫ぼうとしても、舌をまな板の上に置かれてしまっては手立てがない。この世に神様がいて、隅々に目を光らせているなら訴えたい。「信仰」と「棄教」は同時に起き得ると。


「食べてください」


 胃液を吐くだけの嘔吐反射は、ここ数日の恒例行事である。道端でもなかなか見ることがない、糞尿の山があたかも料理を装い皿の上へ鎮座する光景は、分別のつかない子どもにすらなし得ないお粗末なものだった。口に入れれば、人としての尊厳は損なわれ、もはや知的生物を名乗るに値しない下劣な姿に様変わりである。救いの手を求めてやまない気力は既に失われつつあり、息を吸って吐くだけの植物に類する。


「わたしの好物は野菜なんだ。きっと身体に良いよ」


 その生温かさは搾られたばかりの生乳と似て、口に入れた途端に臭気が鼻を抜け、喉の奥に押し込んだ後も暫く口内に淹留した。間欠的に蠕動する喉は、飲み込んだと過信した俺の胃を持ち上げ、糞尿が逆流を始めがちだ。それでも、その生理現象を落ち着けて、“食事”と称される行為をこなす。もんどりうつように身悶えすれば、凡そヒトとはかけ離れた生物の姿形を模した。比類ないストレスによって脳細胞は著しく傷付けられ、萎縮した脳はまともな思考をする力を失いつつあった。これまでの過程を

俗世間に切り離された稀有な事態であることを正しく認識し、どのように振る舞うべきかを考えるには、あまりに拠り所がない。ふわりふわりと、波のまにまに浮かぶ塵芥のような軽さを露呈するしかなかった。


「洗い物をしてくるから、待ってて下さい。


 女と思われる声の主は、言葉遣いは丁寧ではあったが、この身に降り注ぐ理不尽を差し引いても、極めて醜悪な人間であることが分かる。俺はとんでもない貧乏くじを引いたのだ。夕方のニュースを賑わす監禁事件は幾度か見てきた。どれも家出を自ら申し出た者を匿ったとし、犯罪意識への欠如を吐露する。それは恐らく、罪が軽くなることを見越した便宜上の言葉であり、確信犯を名乗る阿呆はいなかった。俺はその点、減刑を求めて悪あがきをするみっともない真似はしないつもりでいた。これは所謂、破滅主義者の開き直りと言ってしまえばそれまでだ。しかし、俺はあくまでも自分が行ったことに対して、絶対的な社会正義がある。だからこそ! この仕打ちはなかなかに堪えた。まさかこれほど早く、しっぺ返しを食らうことになるとは、想定外だったのだ……。

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