第5話 入院

外来診察を始めてから三ヶ月過ぎた頃、もうその時既に敬子の精神状態はうつが強く出ていて、泣いてばかりだった。

この時も家にいると段々声が出なくなり、しかし声は出なくとも常に明るく振る舞い、偽りの自分を出していた。

敬子はツラく苦しい日々が続いた。

そして、

「三ヶ月過ぎたのでまた入院しましょう。よく頑張りましたね」

「はい。ありがとうございます…」

泣きじゃくる敬子は真壁の前だけでは、本当の自分になることが出来た。

敬子が家に帰り夕食の時、

「また入院と言われた」

と話を切り出すと、一瞬でその場の空気が変わった。父親の誠司は貧乏ゆすりをしながらテーブルの上を指でトントンと細かく叩き、いら立ちを隠せなかった。

母親の敏子は目を大きく見開きギョロギョロとし、唇を噛みしめた。

「先生がそう言うなら仕方ないんだな…」

夫の和也は冷静に口火を切った。

子供たち優斗と美桜はガッカリした様子で、無言でご飯を食べるしかなかった…。

敬子のお風呂上がり、美桜が後ろから泣きながら抱きつき、

「お母さん、行かないで。入院しないで…」

と、声を震わせて言った。

敬子はドキッとし、涙をこらえながらそのまま美桜の手を握り、

「お母さん、入院しないと今よりもっとひどくなって、大変になるんだって。だから元気なお母さんになる為に入院しなくちゃいけないんだ。ごめんね…」

敬子が美桜をそうなだめると、美桜は小さくうなづき、自分の部屋に入って行った。美桜の部屋から静かに泣き声が聞こえてきた。


一週間後、和也の車に敬子は乗り込み、病院へ向かった。この日は優斗と美桜も一緒に車に乗った。

車を出す時、敏子は見送りに出ず、誠司は

「己の精神力が弱いからだ!もっと強くなれ!」

と、以前にも言ったことを怒鳴りながら言い放った。

敬子は胸がズキンとし、涙が溢れそうになったが、子供たちがいたから泣くことはせず無言で下を向いたままだった。

この時優斗は誠司に怒りを覚えた。


「春日井さん、また個室を用意していますからね。安心して休みましょう」

真壁はそう言うと、看護師に病棟に案内するように伝えた。

和也と優斗と美桜は、敬子と一緒に看護師から緩和病棟の個室に案内され、説明を受けた。

以前担当看護師だった沢木の姿を探したが、もうここにはいなく、別の病棟へ移動したと聞き、敬子はガッカリした。

荷物チェックをし、入院前の家族団らんをし、和也たちは帰って行った。

敬子は見送りをした後部屋に入り、今まで我慢していた涙を思いっきり流した。

夕食を食べるにも食欲が出なかった。むしろ罪悪感でいっぱいだった。

また入院してしまったこと、子供たちはご飯をちゃんと食べれるだろうか、美桜はまた泣いていないだろうか、色々考えては敬子は眠れない夜を過ごした。


次の日。真壁が敬子の個室を訪ねて来た。

「春日井さん、昨夜は眠れましたか?」

「いえ…。罪悪感が出て眠れなかったです」

「あなたは何も悪くないのですよ。だから罪悪感なんて持たなくてもいいんです」

「でも、また入院してしまったし、夕食にデザートが付くと子供たちに悪いなって思ってしまって…」

「お子さんたちも苦しむお母さんを見ているよりは、笑顔のお母さんの方がいいのですから、そんなこと考えずに自分のことだけ考えましょう」

「はい…」

敬子は大粒の涙を流した。が、強くならなくては…と思い、涙をティッシュで拭いた。

「ところで、春日井さんは読書が好きなんですか?沢山の本を持ってきているから…」

「好きというか…、自分を見つめ直す為に本を読み始めました。殆どが自己啓発本です」

真壁は敬子が持って来た本を一冊手に取ると、

「中山さんの本読んでいるんですね。僕も敬子さんと同じ本を数冊持っていますよ」

「そうなんですか?中山さんの本はとても分かりやすくて、心に響きます」

「そうですよね。僕も勉強になります。同じ本なんて偶然ですね」

「はい。先生と同じなんて嬉しいです」

「でも一週間は何もしないで体を休めることだけ考えて下さいね」

「はい」

真壁は「また顔を見に来ます」と啓子に言い残し、部屋を出て行った。

敬子の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていたが、真壁との共通点があり、親近感がわいていた。

二日後、真壁はまた敬子の部屋を訪れた。

「春日井さん、ご飯は食べられるようになりましたか?」

「少しずつですけど…」

「少しずつでいいんです。ゆっくりね」

真壁は敬子がヘッドホンを持って来ているのに気がつくと、

「音楽も聞きますか?」

と聞いた。敬子は

「はい。色んな曲を…幅広く聞いています。先生は何の曲を聞きますか?」

「僕はクラッシックしか聞かないなぁ。バッハかな」

「バッハは少し強くないですか?私はショパンが好きです」

「まあ、そうかもしれないですね」

「クラッシックだけじゃなく色々聞くのも楽しいですよ」

「そうですね」

二人は笑いあった。


退院間近。

夕方、敬子はいつものようにホールからの自然を眺めながら、ブラックコーヒーを飲んでいた。

すると足音が聞こえ、後ろから

「春日井さん」

と声がした。振り向くと真壁が敬子の傍に来た。

「だいぶ落ち着きましたね。顔色も良さそうですよ」

「はい。ありがとうございます。私この景色を見ているとホッとします。先生と一緒にコーヒー飲みたいです」

「あはは。そうですね。この街は良いところですね。自然が豊富で…」

「先生、この辺に住んでいないのですか?」

「ああ、僕はここではないです。少し遠いです。あ、でもそんなに遠くはないですけどね」

「どおりで看護師さんたちが、真壁先生は新幹線で来るって言っていました。納得です」

「まあ、まあ、そうですね」

「先生、夕日がとてもキレイです」

「夕日はいいですね。一日の疲れをいやしてくれます」

「はい。なんだかホッとします」

敬子は真壁との会話がとても安らぎ、穏やかな時間が流れた。


その一週間後、敬子は退院した。


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