壁に耳あり障子に目ありクローゼットは口がある

真夜中に 夢中で漫画を 読む我に 溜息ためいき吐いた 箪笥タンスの扉



 少し、古い話をしよう。


 学生だった一時期、縁あって海外に留学する機会があった。

 その際に割り当てられていた部屋の一室で、勉強の合間に集中力を切らした私は、ついつい気分転換に漫画を読み始め、気が付くと深夜をとっくに回っていた——ということがあった。

 学生時分なら、誰でも経験したことがあると思う。


 もっとも、それほど時間が溶けていたことに気が付いたのは、真後ろでおもむろにからだ。


 は? と思うだろう。


 一人部屋であるにもかかわらず、私の真後ろで誰かが盛大にため息を吐いたのだ。


 振り返っても、造り付けの洋箪笥ひとさおがあるばかり。

 なにぶん狭い部屋なので、備え付けのベッドの他に勉強机と椅子を置いて、そこに人が座ってしまうとクローゼットの扉すら開けられない。日本の間取りに例えると、三畳より少し広いといったサイズ感だ。


 だから、物理的にも空間的にも私の背後に誰かが立つ余裕は微塵もないし、クローゼットに誰かが潜んでいたとしても出てこられない。


 しかし、確かに今、私のうなじに誰かが盛大なため息をついた。それも耳元の後毛おくれげが揺れるほどの生ぬるい人肌感のあるため息だ。


 首を傾げてもう一度振り返っても、誰もいない。

 すぐ背後にクローゼットの扉があるばかり。


 つまり、直接、扉そのものから誰かの顔がズボッと出てこない限り、そもそもため息をつくこともままならない。


 誰もお呼びではないが、深夜をとっくに回った時間。外国のお化け(仮)も自分たちの時間を邪魔立てする私(しかも勉強じゃなく漫画を読んでる)に、きっと心底がっかりしたのだろう。

 ホラー映画のようにいきなり背後から首を絞めたりしないだけ、十分に紳士的でさえある(淑女かもしれないが)。


 悪いことをしたな。そう思ってすぐ隣のベッドに寝転がり、おとなしく寝ることにした。

 後にも先にも、箪笥にため息を吐かれたのは、この時だけだ。

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