貧乏宮廷音楽士は人生を楽しみたいだけ

志宇野美海

第1話 母の腕のなかで


 母の暖かな腕に包まれた乳子はすやすやと安心したように眠りにつく。

 時代が移れど、世界が変われど世の安寧はいつも母に抱かれる子どもにこそある。

 彼女、ハインリヒ夫人ルイーズ・ド・シャンテール=ラピュテは腕のなかの幼子と目が合うと、目を細めて穏やかに笑いかける。身体を揺らしながら、ある歌を口ずさんだ。


「……きらきら光るー♪魔法の粉よ♪神より賜った♪不思議な力♪」


 ドドソソララソ、ファファミミレレド。

 よく知っているメロディ。きらきら星のメロディだ。

 だけど歌詞は違う。

 それが母のアレンジによるものかこの世界のスタンダードな歌詞なのかはわからない。母は僕を抱いた格好から赤ん坊用の柵のついたベッドに寝かせる。そして手を宙に何度か降って金色のきらきらした粉を僕に向かってふりかける。そのきらめきを掴もうと手を伸ばすのだけど、きらめきは雪の結晶のように小さく軽いので僕の小さな手の中すらも通り抜けてしまう。

 ああ、この世界はずいぶん幸せだと、異世界転生者である僕は思う。

 元々僕は日本の高校に通うちょっとピアノが好きな男子高校生だった。

現代の君たちにとっては、男子がピアノを弾くことの何がおかしいか分からないだろうが、平成初期のそこそこの田舎の地域に生まれた僕にとってはピアノを習っていることは珍しく、ましてや、それを好きだなんて言えなかった。

 母はピアノをするような男子に憧れを持っていたので、半ば無理やり5歳の頃にさせられた。ピアノは女子が習うもの、男子たるものスポーツだ、野球かサッカー、そんな考えをした頭の固い大人たちが多かった、あの時代のあの場所では母は少々異端だった。そんな母の子どもの僕もまた異端だ。僕はいつも自分が浮いているような感じがした。

 合唱コンのピアノも、学芸会のお芝居のピアノも女子がやった。正直上手いとは言い難い拙い演奏の子もいたけれど,それでも僕は立候補できなかったし、誰もそれを望んでいなかった。むしろ、ピアノが弾けることは、僕をいじめる原因にさえなった。


「おい、お前、ピアノ弾けるんだろ、母さんが言ってた。女みたいだもんな、髪もなげえし。(僕は美容院が嫌いで出来る限り行かないように髪を伸ばしていた)ほら、ドレス着て弾いてみろよ、猫ふんじゃったとかさ!」


という具合で茶化されていた。僕はそういう奴らが大っ嫌いだった。絶対に関わってやりたくなかったから、一言も口を利かなかった。僕は孤立したがそれでよかった。 中学では、吹奏楽に入りますます茶化された(その中学校の吹奏楽部員は僕だけだった)。でも気にしなかった。何故なら、奴らのマドンナであるロングでアイドルのような顔立ちの女の子で吹奏楽部部長リサは僕によく話しかけてきたからだ。しかも身体的接触つきの。彼らの悔しそうな顔をみては、ほくそ笑んだ。まあ、お察しの通り、リサとはなにもなかったし、他の女子とも何もなかった。吹奏楽部男子の地位は低い。重い楽器ばかり運ばされるし、女子特有の距離感でベタベタしてくるのに、その気はちっともない。いいところ女のおもちゃにされると思った方がいい。

 高校は中心街に近い、自分の家から遠い高校を選んだ。そこでは元吹奏楽部員の男子とか、ギターが趣味の奴とかもいてピアノが弾けることを、地元にいたときほど隠す必要もなくなった。ようやく楽しい学生生活を送れるかもしれない。そう思っていた矢先僕は死んだ。トラックにひかれて異世界転生したのだ。


そして赤子として僕は生まれ変わった。この世界のことは何も知らない。知っているのは、美しく慈愛に満ちた母。それからよく知った子守歌をいくつか。それだけだ。それ以上のことを考えるのは、この泥のような眠気から解放されてからにしよう。


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