第10話
会社付近のかつ丼屋で昼食をとるとき、ふいに先輩がKのことを話題にあげた。その先輩は中々の読書家で、Kの小説を好んでいたらしかった。僕がKの友人だったと聞いてひっくり返るほどおどろいた、と先輩が言った。
先輩は僕にKについて深く聞きたがった。しかし僕からすれば話せることは皆無に等しい。僕からすればKはそれほど特殊な人間ではないのだ。もちろん天才でもない。むしろ不器用である種の要領の悪い人間というのが僕による彼への批評だった。
Kの小説を読んだことあるか、と先輩は聞いた。僕は読んでない、と答えた。実際には彼が小説の世界でプロになる以前のものはいくつか読んだが、どれも暗く悲劇的で僕には向かなかった。僕はアニメも、漫画も、映画も、観るのなら明るいものがいい。わざわざ哀しい物語を描く人は何を期待して書いているのだろう。
僕は一応の対処としてKにまつわるエピソードをいくつか披露した。といってもきっと彼の小説に結びつかない挿話を淡々と。しかし先輩は満足したらしかった。興奮して、その話はこれこれのタイトルのこういう場面の元かもしれないなんて言った。僕は先輩のねだる限りに挿話を述べた。
昼食を終えると先輩は僕を退社後の飲みに誘った。しかし僕は断った。先輩の望むのがKについての更なるエピソードということは明らかだった。僕が断ると先輩ははっとして謝った。たぶん、僕がまだKの死を引きずっていると思ったのだろうか。そして次に葬式に行ったのかとも訊いた。僕は、行っていないし呼ばれていない、おそらく無かったのだと思うと言った。そして遺品の話も出した。先輩は神妙な顔をしてデスクについた。
僕が飲みを断ったのは別に故人の話題が憚られるからではなかった。朝の疲れがまだ残っているし、またどことなくKについて語りたいとも思わなかったからだ。これはKの話題をせがむ先輩への嫌悪というより、Kに対する嫌悪のような気がした。僕はもしかすると大分薄情なのかもしれなかった。
会社が終わり退社の準備をしていると上司が話しかけてきて、僕に明日の休暇を言い渡した。当然、僕は困惑した。どうやら上司は先輩から僕が葬式に行っていないことを告げられたらしかった。上司は旧式のヒューマニストで、まあつまりやさしい人だった。上と仕事のほうはどうにかするから一度お別れをしてくるといい、と上司は言った。僕ははい、と言ったがやはり困惑は解けなかった。お別れをする? 僕にはこの言葉が塵のような違和感に思えた。僕とKはもうとっくに「お別れ」をしていたんじゃないのか、それが非公式的なものであるにしろ。それをもう一度、たとえば遺影を見たりすることでどうなるというのだろう。
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