第5話
Kいわく、中学のころ彼はジョークと嘘を学んだらしい。彼は絵に興味がなくなって(もしくは嫌気がさして)、そのかわりテレビ、アニメ、漫画やゲームを好んだという。しかしこの好みとやらはどうやら戦略上の趣向であったらしくて(実際、僕はそうだとは思わない、彼は自分を賢く、理性的な人間であると思いたがる節があった、それだから僕は彼が純粋にそういうものに惹かれていたと思っている)、人との会話のネタに汎用なものを選んでいた。彼の言う権威のマントを着ないかわりにユーモアな社交性を身につけていった。
彼はある法律バラエティーの関西司会者の語り口に注目した。それは彼が思うもっとも面白い人物で、真似することはなくとも話の組み立てやら導入の仕方やらを観察した(この観察というのも嫌な言い方だ、人間そんな真面目に観察する情熱があるのだろうか、あるのだとしたらそれはある種の天才だけではないか)。彼はその観察のうちに人と円滑なコミュニケーションを保つためにはジョークと嘘が必須だと知ったわけだ。ユーモアという明るいものにかかればその影の、誇大なジョークや無害な嘘は暗黙のうちに許されるのだという。
彼は嘘とジョークについてこんな風に語った。
「いいか、嘘もジョークもリアルとフィクションの塩梅が大事なんだ。それは別にバレないためってわけじゃない。いやもちろんバレるのは良くない。そのあとの話が全部うさん臭くなってしまう。それは下手な嘘だ。良い嘘とか良いジョークは、すこし大袈裟とか、ありそうだと思わせるぐらいが大事なんだ。人と違う視点で切り込んでやる、そしてちょっと自虐も入れる、そうすると人はいいぐらいに話に集中して、もう本当かどうかは関係なくなるんだ。それが一番いいんだ。笑ってハイ終わり、ちょっとフィクションなものが人は好きなんだな」
僕はあまり嘘ででっちあげてまで人の注目をとろうとは思わなかった。だから彼の助言も僕には無用で、まあそれは僕がどちらかというとツッコミ役だったこともあるかもしれない。
Kの助言がどれほど有益なのか僕は知らない。しかし彼は自分で言うほど嘘もジョークも上手くなかった。いやジョークはまだよかったが、嘘は粗があった。僕が何かしら質問をいくつかすると、彼にはささくれができた。精彩を欠き、矛盾とはいえないまでも些細な不透明な部分ができ、さらにそこを訊くと彼は困惑した声でまた新たなささくれをつくった。完璧な嘘は存在しないし、こちらが流されなければ彼の嘘はもたなかった。
中学のあいだ、僕は真面目な学生だった。ただ真面目すぎることもなかった。学んだことというのもKのようにはっきりしていない。僕はきっと中学を通じて何かを学んだのだろうが、それは靄がかって輪郭などわかりはしない。たとえば僕は中学のときにはじめて女子に告白した。しかしそれから僕は何を得たのだろう。彼女は僕が恋人にふさわしくない理由を曖昧に答えた。僕自体にはそれほどの嫌悪はないが、何か決め手に欠けるのだろう。それはほとんど相性のようなものだ。
相性は恐ろしいほど残酷だ。一方が相手を好きでももう一方はそうでないことが往々にしてある。そうなると恋は実りにくい。どちらかが自分が好きな相手から拒絶される経験を得る。相性は残酷故に重大な観念だった、その残酷さに出逢うことで人々は自らを磨く習慣ができるのだから。
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