第17話 301号室の彼女

春臣side


「彩冷……さん?」


「マスク付けてるだけで分からないなんて、私の顔、そんなに興味ない?」




 彼女はそう言いながらマスクを取り外し、笑顔を向ける。


 冷静に見れば確かにそうだ、何故声で判別できなかったのか。


 呆気にとられた俺は固まっていると、彩冷さんが突然抱き着いてくる。控えめな胸が体に当たり、緊張して何もすることが出来ない。


 その度に彼女は、何かを訴えかけるように強く俺を抱き締める。腕をクロスさせながら服を握り締め、心臓の音も早く脈打つのが分かる。


 彩冷さんの鼓動を感じる度に、自分の脈も自然に速くなる。


 そして、彼女は涙を流しながら俺を見つめる。




「君のお陰で、私は救われた。これだけ鼓動が速くても、全然痛くないのは春臣君が助けてくれたから……」


「俺が……?」


「覚えてないの? 私が入院してた時に、お金を集めて助けてくれたじゃない」


「確か、妹の隣の部屋で……」


「そう、それが私! あの時はごめんね、初対面なのに酷い事言って。でもこれから、私が君のお世話をして償うから」




 記憶は曖昧だが、幼少期に募金活動で助けた少女の思い出は微かにある。だがそれ以上、思い出せない。


 それに、お世話するっていったい何を言ってるのかさっぱり分からない。そこから彼女は、懐から手錠を取り出し、両足を封じられた。


 次に両腕にも手錠を付けられ、身動きが一つとれなくなる。外してくれと懇願するが、彼女は虚ろな瞳で俺に顔を近づけてきた。




「もう、何も押さえつける事は何もない! アナタがいれば、私はいつまでも幸せでいられる! 私を邪魔する者は誰も居ない! あぁ、あの日から待ち望んだ全ての事が、今現実になる!」


「彩冷さん、何を言って――」


「でも私が望んだ願いを、あの女は直ぐに手に入れた。それは、生まれ持ったものだから! 血を分けた兄妹だから、必然的に何の苦労もなくアナタの側に寄り添える。春臣君が帰った後、病室でもアナタの名前を呼んでた、お兄お兄お兄って!!」




 言葉の羅列で、何を言っているのか分からない


 血を分けた兄妹、何の苦労もなく、意味が分からない。先程までの彼女とは、何もかも違う。


 目の焦点もあっておらず、感情に身を任せた獣のように見える。


 怖い。


 恐怖を具現化したような彼女は、俺を抱きかかえて寝室に連れ出す。何を思ったのか、彼女は俺の服を捲り上げて鼻を押し当ててきた。


 彼女の息が吹きかかる度に変な気持ちになるが、ただ恐いと言う感情が勝る。


 この人が何をしたいのか、全く心が読めない。


 ただ俺は彼女の成すがままで、手も足も出す事は出来ない。




「はぁ……。いぃ……最高……。これがいつでも嗅げるなんて、幸せ……」


「彩冷さん、いい加減正気に戻ってください! こんな事、誰も望んでないですよ!?」


「いいえ、私は望んで――。あぁ、いいこと教えであげる。あの茅花の写真、あれは全部偽物」


「え……?」


「あれは加工して、茅花とホテルに入ってるように見せたの。あの子が女好きなんて真っ赤な嘘、茅花はアナタ一筋。アナタは何の証拠も無いのに、私の口車に乗って信じ込んだわけ。でも、アナタのあの時の顔、すごくよかった……。今でも脳裏に焼き付いてる、私に向けたあの感情がとても愛おしく思えた……」




 え……アレがすべて演技。先輩は俺を騙していたわけじゃない。


 俺があの写真を信じたから、何の疑いも無く。


 俺が先輩を傷付けた、俺が……。


 俺は自身のやってきた事が、先輩を突き放す行為であったことに気付いた。そしてあのクリスマスツリーで、雪が降り注ぐ寒空の中に彼女を置き去りにした事への罪悪感と自身の嫌悪感が募り始めていく。
























彩冷side


 あぁ、濁った貴方の瞳も素敵。自分に絶望する、その姿も茅花とよく似てる。好きな人に拒まれる彼女と、本当に信頼できる人物の損失で彼自身の自己嫌悪。


 散り際が綺麗なのは花だけじゃない、人間の強欲に塗れた感情。


 すべて失った彼に奉仕する事で、春臣君は私の物。感情に左右されない、私のたった一つしかない愛しい人が完成する。


 彼のお陰で完成したこの体は、彼の為にある。先天性心疾患を克服して、喜んでもらえるように健康な体を追求した。


 健康な体にも種類はある。


 病気に強い体、怪我の治りが速い体、あらゆる負荷に耐えられる体。


 でも、私が追い求めているのは男性を喜ばせる体。



 だから私は、もう我慢なんてする必要はない。




「春臣君……この場所で、一つになろ……♡」















 それから私達は、長い時間を彼の布団で過ごし、朝から夜に移り変わる。


 生気のない彼の顔を見つめながら、私はあの時渡せなかったシュシュを腕に着ける。彼の喜ぶ姿を見たかったが、今は仕方ない。


 これから私が修正して、自分色に染め上げればいいだけ。そう考えながら、裸の彼に毛布を被せて眠らせる。


 まるで赤ちゃんを寝かし付けるように、胸の辺りを掌でトントンと叩く。


 そこで、家のインターホンが騒々しく鳴る。彼のお世話をしないと、と思いつつ煩わしく玄関のドアを開く。


 そこには、髪がボサボサで浮浪者のような女性が立っている。私は対応を早く終わらせるように、早口で切り込む。




「あの、どちら様ですか? 今忙しいので、また今度――」


「アンタ……彩か……?」




 そう切り返されて、その名前で呼ぶのは一人しかいない。


 《b》茅花だ《/b》。


 前は腰まであった髪の毛が、更に長髪へと変貌し、金髪は脱色して黒髪に変わっている。この数日で別人に入れ替わる程、彼女の身なりは凄惨であった。


 数秒程、沈黙が流れて茅花は何かを察して私に掴み掛る。




「アンタが……アンタが嵌めたの? アタシが春と別れさせたのはっ……」


「……」


「――っ。何で……」


「邪魔だったから、ただそれだけ。最初からアンタなんて、友達でも何でもない。私は昔から彼が好き、これがすべて」


「アンタ……アタシの事、応援してるみたいなこと言ってたじゃんっ!!」


「付き合ってみればとは言ったけど、本心な訳ない」




 押し問答が長く続き、何を言ってもお互い通じない時間が流れる。夜である為、近所迷惑になると考えた私は携帯を隠しながら警察に連絡を入れる。


 何もかも都合が良い。なんたって、消す手間が省けるから。


 茅花は私に罵詈雑言を投げ捨て、首元を掴まれる。




「痛いんだけどっ……」


「返せっ……アタシの……大切な人をっ。アンタなんてっ、地獄に堕ちればいいっ……。アンタなんかに、春を幸せに出来る訳――」




 気付かれないように喧嘩を続け、数分後には警察が到着。


 異変に気付いたのか、茅花はその場から急いで逃げ出していく。彼女の身なりから考えれば、どの人物が不審者であるかは明確。




「ちょっと、離してっ!? アタシは何もしてないっ! あの家に春がっ――」




 そして遠い場所から茅花の悲鳴がアパート中に響き渡り、警察車両はどんどん遠ざかっていく。


 私は車を見つめ、茅花が車内で暴れる様を眺め、自然と口角が上がる。


 ダメよ、彩冷……笑っちゃ。家の前で嗤ったら、変質者のアイツと同じじゃない。




「ふっ……。ふふふっ……アッハッハッハッ! 良い気分だわっ、この万能感……。何もかも上手くいってるっ。彼女面のアイツは勝手に捕まるし、彼は私の巣の中っ……。私は今……幸福感でいっぱい……。後は、邪魔な二人を消す事だけ……。その後は、たっぷり愉しむだけ……。ねぇ、春臣くん……♡」




 私は雨が降り出した天を仰ぎ、両手を空に伸ばす。そして引き寄せ、自分の体を抱きしめて部屋へと戻る。




 

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