第5話 僕が女になった理由……

氷鞠side


 ありがとう、氷鞠……ありがとう、氷鞠……ありがとう、氷鞠……。何かもう、この言葉が頭から離れない。


 感謝されただけで、何でこんな気持ちになるんだろう……。お陰で今日の仕事に、身が入らない。このままだと部長に怒られそう。そんな事考えてたら、こっちに来ちゃった。




「おい、氷鞠。どうした、茅花の次はお前か?」


「あ……部長。すいません、考え事してたので……」


「はぁ……仕事終わり、少し付き合え」


「はい?」




 最初は意味も分からず了承し、会社終わりに部長とファミレスに行く事となった。落ち込んでいるように見えた僕に、ご飯をご馳走してくれるらしい。二人用のテーブルに座り、水が運び込まれる。


 取り敢えず僕はパスタとドリンクバーを注文して、部長は特大ステーキを頼んだ。メニューが届くまでの間、暫く沈黙の時間が流れる。部長は店員に手渡された水を少し口に付け、話し始めた。




「それで、どうかしたのか?悩みがあるなら話してみろ」


「いや、そんな対した事じゃ―――」


「対した事じゃなくても、話すだけでも楽になる。部署を請け負う立場から言うが、問題は早く摘んでおきたいんだ。支障を来されては敵わん」


「…………部長は、感謝されたらどんな気持ちになりますか?」


「突然だな。具体的な状況が分からなければ答えかねる」




 数日前に喫茶店での出来事を話し、春臣に感謝された事を詳細に語った。それを聞いていた部長は、首を垂れて髪を掻き毟り始めた。




「色恋沙汰か……彼氏に逃げられた私への当てつけか?。はぁ……それで、さっきの質問だが単純に嬉しいのではないか?」


「嬉しい、ですか?」


「他には様々だが、恩返ししたいとか、もっと良くしてあげたいとかじゃないか?あまり深く考えた事など無いから分からんが……」


「じゃあ、僕の気持ちは間違ってなかったんだ……」




 部長の良くしてあげたいという言葉に、あの時の気持ちを再確認する。何故僕が男から女になったのか。
























 僕は自己肯定感が低い為、何かと感情を抑えている事が多かった。体の線も細く、引っ込み思案な性格で男の子らしくない。何事にも優柔不断で、重要な決断でさえ自分で決められない。


 学生だった頃は、その性格故に虐めの対象になっていた。幼さ故の鋭い言葉、誰彼構わず陰口を叩かれ、誰も助けてはくれなかった。


 それでも頑張ったのは、小さい頃から好きだった歌。得意なものを身に着ければ、褒めてもらえると同時に、自分を変えられると思ったから。


 だが、変えようと必死に練習をした結果、虐めはエスカレートしていった。体育倉庫では声がキモいと殴られ、係を決める時も皆がやりたがらない委員に入れられ、全員から無視され続けた。ただ僕は、皆に褒めて欲しかっただけ、友達が欲しかっただけ、歌で切っ掛けが出来ればって思っただけ。




 そんな学生時代が終わり、兎に角地元に居る事に耐えかねていた。それで上京して、なるべく離れて暮らす事を選ぶ。仕事も別にやりたい事など無い、その頃の僕はただ平穏に暮らしたいだけだった。


 そして選んだのが、コールセンターでの仕事だった。初めは別の仕事を担当する予定だったが、声が元々高く女性に近い声質だった為、コールの担当に選ばれる。最初はクレームの対応や、あまりに余った在庫を処分する事が出来ない為、お客さんに無理やりにでも売りつけるような仕事が大半。


 そんな仕事をするにつれて、僕の心は荒んでいった。そんな毎日を過ごしていた僕は精神的に病み始めた為、違う仕事へと移し変わっていった。


 それは通信販売の対応だった。電話で注文を受け取り、それに対応するだけ。クレーム対応に苦しむ必要が無くなった為、それだけでも僕は救われたような気持ちだった。


 そんな日々を淡々と熟していったある日、




「お電話ありがとうございます。こちら、スパーキングジャパンです」


「あの、さっきテレビを見た者なんですけど……」


「はい、ナンデモスイコメールの掃除機ですね。こちらは、様々なオプションが付いて9980円になりますね。本日、お客様のご利用は初めてですか?初めてであれば、お名前と住所などを確認致しますので口答でお願いできますでしょうか」


「はい、名前が百目鬼 春臣です。住所が―――」




 この時もただ仕事を熟し、通販の対応をしていた。機械的なマニュアル、誠実な対応、抑揚の無い会話、どうせ直ぐに忘れてしまうような小さな仕事に過ぎない。その時はそう思っていた。


 最後に返品の説明や、欠陥が見つかればすぐに対応するという旨を説明し終える。




「以上が商品の説明となります。何かご不満な点はありますか?」


「いえ、とっても分かりやすかったです。ありがとうございました」


「では、またのご利用を―――」


「あ、あのっ」


「何でしょうか?」


「声……可愛いですね」




 初めてだった、人に褒められるのが。ましてや一番コンプレックスである僕の声を、可愛いと言った。親でさえ言わなかった言葉を、彼は思い出したかのように言ったのだ。


 その言葉に、僕は声が詰まり、直ぐには何も答えられなかった。




「あ、あ、あ―――」


「すいませんっ、変な事言って。それじゃ」




 切らないで、もっとアナタと話したい、もっとアナタを知りたい、僕は心の中で叫び続けた。それも虚しく、電話の切れる音だけが僕の耳に木霊している。


 掴める距離にあったはずなのに、そのチャンスを取り逃がした瞬間、全身の力が入らなくなった。椅子に凭れ掛かり、ただただ後悔だけが僕を支配する。あの人の声が聞きたい、あの人の容姿が見たい、あの人ともっと繋がりたい。いくら切望した所で、電話からは何も聞こえない。



 その日の仕事は途中から記憶が飛び、客の対応やいつ仕事が終わったかさえ頭に残っていない。いつの間にか自宅に帰り、いつの間にか出勤していた。


 数日経ったある日、意識を取り戻しつつあった僕はある事に気付いた。業務を熟している最中に、彼の住所が残っている事に今更気が付く。早速あの時のやり取りした書類を探している時、別の客から電話が入ってきた。僕はそれどころじゃないと思いつつ、電話に出る外なかった。


 いつもの声のトーンで対応した時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。彼だ。




「もしもし、数日前に電話した百目鬼なんですけど……」


「あっ…………」


「もしもし?」


「し、失礼しました。百目鬼様ですね、先日はお買い上げ頂きありがとうございました。お電話を頂いたという事は、何か不具合でもありましたか?」


「いえいえ、また少し気になる商品があったので電話してみようと思っただけです」




 声だけで分かった。落ち着いたトーン、優しい口調に丁寧な言葉遣い。聞いてるだけで癒される、きっと誠実で優しい人なんだろうな。僕は住所の事など忘れ、彼と会話がしたいという欲求に駆られ、ひたすら話を伸ばした。


 会話をしている最中も、家電についてよく質問してくる。何でも家事が好きらしく、便利であればつい買ってしまうとの事。


 なんて家庭的で素敵な人なんだろう、もっと知りたい、この人の好み、この人の好きな人物像を。




「あ、あの、関係ないお話なのですが……よろしいでしょうか?」


「いいですよ」


「好きなタイプは何ですか……?」


「え、好きなタイプ?」




 言っちゃった、言っちゃった……。こんなの聞かれても困るだけだよね、突然好きなタイプ聞かれても……。ましてや知らない人だし、絶対変な人って思われてる。何かずっと唸ってるし、やっぱり言うんじゃなかった……。




「やっぱり、先程の事は無しに―――」


「お姉さんみたいな声が好みですね」


「へ……?」


「顔は見た事無いですけど、絶対綺麗で美人さんだと思います。俺の勝手な希望ですけど……」




 何だろうこの気持ち、この人の為なら何でもしてあげたくなる、何にでもなれる気がする。この時の僕の心に、何かが芽生え始めていた。男とか女とか関係ない、この人が好きとか嫌いとか、そんな事じゃない。兎に角色んな感情が吹き出し、嫌なものが全部出たような気がした。


 そこから彼は通販を利用し、電話の対応をする事で仲良くなっていった。その時の僕は、彼との電話だけが生きがいだった。声を聞くたび一喜一憂、電話越しに折れる程抱き締めたい。心の中ではそんな事ばかりで、仕事の内容なんて覚えてない。


 でも、そんな時間も長くは続かなかった。当然毎回電話する訳にもいかず、彼からの注文は日を追うごとに減っていった。今冷静に考えれば、当たり前。


 だが、この時の僕は冷静では、いられなかった。自分の自己肯定感の低さから、勘違いしていく。


 


 そこから僕は狂っていった。魅力が無いのは顔がダメだから、魅力が無いのは女じゃないから、魅力が無いのは性格がダメだから、魅力が無いのは相手を本気で好きになった事が無いから……。




 僕は多額の資金を自分磨きと性転換の為に使っていった。胸を自然に見せる為に自分の脂肪を使い、自分の男性器を女性器に変え、兎に角男性には見えないように体全てを女性に変えていった。


 数か月が経過し、僕は完全に女へと姿を変えた。仕事をしていた同僚は、何があったのか質問攻めを食らうようになる。僕はめんどくさくなり、適当に流していると、違う部署の男性から声を掛けられる回数が圧倒的に増えていった。


 こういった事が1日ではなく、毎日のようにくる為、受け流そうとしてもしつこく絡んでくる。だから僕は、女にしか興味が無いと嘘を吐き、その場を凌いでいた。


 そして仕事が終わり、彼の住所が記載されている書類を見付け、早速赴く事にした。彼とは声でしか判別していない為、どんな顔なのか、どんな雰囲気なのか想像しながら歩く。やっと会えると考えるだけで手汗が止まらず、脚も笑い始めた。


 住所に近付き、辿り着いたのは趣のあるアパートだった。ボロボロで暗いイメージではあったが、そんな事はどうでもいい。彼の部屋は105号室、二階の端の部屋、僕は震えながらインターホンを鳴らした。


 だが、留守なのか全く出る気配が無い。何度も鳴らしていると、一階に居た大家さんらしきおばさんが声を掛けてきた。




「そこの人、二週間前に引っ越したよ」


「えっ、居ないんですか?!」


「あぁ、転職するとかなんとか言ってたから近くに引っ越したんじゃないかい?。それにしてもアンタ、偉いベッピンさんだね。アイツの彼女か何かかい?」


「あぁ……いえ、違います。お騒がせしました……」




 絶望した。これだけ長い期間を空けて、彼の為に磨いてきた努力が水の泡となり、ここの住所が唯一の手掛かりだった。ここにはもう居ないという事実を知った事で、力の入らない人形のように項垂れながら歩いて行く。


 大家さんは心配して駆け寄ってくるが、僕は答える気力さえ失い、ただ地面を見つめながら家路へ向かった。


 帰る途中、雨が降ってきた。当然のように僕は、雨など関係なく傘を差さずに歩く。雨が体に当たる度に涙が溢れてくる、僕の心のように。あれだけ逢いたいと願っていたのに、こんな形で別れるのが納得いかなかった。



 僕は何度も心の中で、と願い続けた。地面を見つめる目の焦点も合わずに、僕は遂にその場で転んでしまった。人が行き交う中、僕が転んでも誰も手を差し伸べてくれない、声もかけてくれない。


 今までの僕の努力は何だったのか、体全部変えて得られたのは、ただの孤独。次第に僕の心は、雨に打たれる度に体も一緒に冷たくなっていった。


 自暴自棄にっていた時、体に雨が当たらなくなった。その異変に気付いた僕は、顔をあげた。傘を差し出してきたのは、スーツ姿の男性。

 




「あの、大丈夫ですか?。風邪ひきますよ?」


「うぅ……」


「え……?」


「うわあああぁぁぁああああ…………」




 僕はその場で泣き崩れ、色んな感情がぐちゃぐちゃだった。僕が泣いた事で彼は慌て、取り敢えずと言いながら雨宿りする場所を探した。探した結果、ラブホテルしかなかった為、避難という形で僕達はホテルへと入った。


 虐められてきた僕には一生縁の無い場所だと思っていたが、こんな形で彼と入る事が出来て嬉しかった。そして部屋に入るや否や、彼はシャワーに入るように促してくる。何故かと尋ねると、服が透けて危ないとの事だったらしく、僕も反射的に恥ずかしくなり体を隠し、シャワーを浴びる事にした。


 シャワーから上がり、体を拭いていると足下にワイシャツが置いてあった。恐らく彼が置いてくれたのだろうと思い、ワイシャツと自分のパンツを穿いた。シャワー室から戻ると、彼はベッドの上で固まったように動かない。取り敢えず、お礼を言おうと声を掛けた。




「あの……ありがとうございます。ワイシャツ……」


「い、いえ、対した事は……。お金ここに置いとくんで、落ち着いたら出て下さい」


「ま、待ってくださいっ!」




 慌てて出ようとする彼を引き止め、もう一度ベッドに座らせる。こんなチャンスは無いと思った僕は、兎に角彼の情報を引き出そうと躍起になった。今はどこに住んでいるのか、何故スーツを着ていたのか。




「今日、転職先の面接だったんです。引越し先もその近くにしたんですが、気が早過ぎますよね……あはは……」


「本当、早過ぎますよ…………」




 でも良かった、こうして彼と再会できたのが何よりも嬉しい。初めて容姿を見たけど、やっぱり誠実で優しそうな見た目だった。


 安心した僕は、ふと視線を下ろすと彼のワイシャツからいい匂いがする。僕は本人が居るにも関わらず、鼻を服に押し付けた。




「すぅ……はぁ……♡いい匂い……」


「あの、あんまり嗅がれると恥ずかしいんですが……」


「す、すいませんっ……。そういえば、まだ名前言ってませんでしたね。僕は弓納持 氷鞠」


「俺は百目鬼 春臣」




















 それが彼との出会いだった。そこから流れるように、僕は春臣と一緒の職場へと転職する。最初の春臣は、僕が男だという事に気づいておらず、説明してから砕けた口調へと変わっていった、同僚という事もあるが。


 そんな昔を思い出していると、上の空な僕を心配して部長が声を掛けてくれた。




「おーい、大丈夫か?」


「すいません、大丈夫です」


「それで、自分で何か腑に落ちたか?」


「はい、なんとなく……」


「しっかりしろよ。っと、料理が来たな。今夜は奢りだ、冷めないうちに食べろ」




 ミートバスタが運び込まれ、僕はチマチマ食べた。部長が頼んだ特大ステーキがかなりの大きさで、食べ切れるのかと思ったが杞憂だった。瞬く間にステーキは無くなり、僕が食べ終わる前に完食してしまった。


 そして会計を済ませ、その場で部長と別れる。家路に向かう際も、僕はあの時の事を振り返りながら帰った。やっぱり僕には、あの人が居ないと何も変われないと悟る。


 春臣が居たから、僕はここまで変る事が出来た。でももし、春臣が僕の事が嫌いだったら?


 そんな事考えたくない、嫌われたくない、離れたくない、春臣の事だったら何でもする。自分の事なんて後でも構わない、だって……。




















 好きな人が側にいてくれれば……あとは何もいらない。




















 僕は次の日に春臣と遊園地へ行かないかと誘った。大体、二人で休日を過ごすと言っても居酒屋に行って酔い潰れて終わり。これがお決まりコースとなっている為、なんのフラグも立たない。


 だから今度は、全力で堕とす。あんな女なんかに、『絶対に渡さない』。



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